1-54 窮地を前にして

対と女の二人は座席に着くやいなや買ってきたビールを取り出して飲み始めた。
対のバッグと女の荷物は頭上の荷物置きにすでに載せてある。
幸運にも和田とチエは彼らから頃合いのいい後方側に座ることができた。
「女のほうはそんなに若くないようですよ」とチエは座りながら私に話しかける。
「そうかぁ、何才くらいに見える?」
「そうですねぇ、30前後でしょうねぇ」
もう少し若く見えるのだが、チエにはそうでもないらしい。
さらに「今日はお泊りですよね」とチエは言う。
{ そりゃあ、そうだろう }もう午後6時半は過ぎているのだから。
二人は、はたしてこんな時間からどこへ行こうとしているのか?
「チエ、ケンにメールを出しておいてくれ」
チエは慣れた手つきで携帯電話を取り出し得意の早撃ちメールを始めた。
和田は「ちょっと休むからな、動きがあったら起こしてくれ」
「はい」しなる指でメールをしているチエを横目で見ながら和田は目を閉じた。
{ しばらく休めそうだ、、}彼らはこの電車でゆっくりと酒を楽しみながら目的地に向かうらしい。和田は彼らの監視をチエに任せて睡眠不足をこんなときに補おう。
{ 女を連れている、とすると行き先は、せいぜい2~3時間の範囲だろう、、、酒を飲みながらというと、、? }
どちらにしても対と女の動きがあれば頭上の荷物置場においた荷物を下ろすはずだからわかりやすい。
{ しかし、今日のここまでの尾行は危うかったなぁ、、}

ひさしぶりに調査をした和田はここまでのあらすじを反省し始めていた。
和田は対を一人で尾行しなければという思いから、自らを引き締めたはずだったのに、それでも品川駅のところでうっかり見失いそうになった。
対が電車から降りることはわかっていたのだから、ラッシュアワーの状況に合わせて、そのときの対処をもっと考えておかなければならなかったのだ。
いつものように失敗をしないだろうと高をくくっていたことが現場の状況判断を甘くするものだ。久しぶりの調査だったにして、似たような経験している自分だったはずなのにである。
確かに予想外の状況が展開するのが現実なのだが、{ 慣れは自分を甘くする要素を含んでいるし、イマジネーションの停滞に繋がっている }そう思いながらも電車の心地よい振動が眠りを誘う。
{ あぁ、眠、、、 }和田はすぐに睡魔に吸い込まれていった。
そして、、、、
「和田さん、、、」の声に私はびくっと反応した。
「降りそうです」チエが私の耳元でささやいた。
「どこだ?」
「次は熱海です」
なるほど前方に荷物を中腰で整理している女の横顔が見える。
「熱海か」熱海は昔から有名な温泉地で名前の通り、海に近いせいかその温泉は塩っぽいが泉質はよい。
電車は熱海駅に入った。
対と女は熱海駅に到着した電車から降りた。ホームから、階段を下りていく、、
{ あれあれ、乗換え? }彼らは改札の方向ではなく、乗換えホームへ向かっている。
{ 熱海じゃない? }

彼らは伊東線のホームに上がった。
到着していた電車に乗り換えた後、座席に座わった。
見ていると再び、酒を飲み始め、心地よい気分でいるのか、乾杯している様子。
電車は出発する。
{ それにしてもこの二人、よく飲むなぁ、いったいどこに泊まるつもりなのだろうか ? }
そうこうするうちに、、、、

女がおもむろに立ち上がろうとしているのが見える。対が荷物を降ろそうとしている。
{ 次は伊豆高原駅、、、} ようやく辿り着いたようである。
二人はここまででだいぶ酒が入っているはずなのに電車から降りたあとも足取りは変わらない。
数人の下車した乗客とともには改札口に向かって歩いていくのだが、先に見えたのが、改札口に立っている駅員だった。
切符をチェックしているようなのだ。
現在はSUIKAなどのカード類で簡単にどこでも改札を通り抜けることができるのだが、当時、私たちが東京都内で使用していたカードでは、東京から伊豆高原までの遠方までは対応していなかったから、我々としてはあせった。
{ どうする? 前に歩いている彼らがここまでの切符を買った形跡を私は見ておらず、彼らがここまでの切符を持っているかどうかわからないが、持っていたらスルーで改札口を通過する。もし彼らが切符を持っていなかったら、ここまでの電車の不足料金の精算をした後に我々も同じように清算をする必要がある。我々は東京の渋谷駅をJRカードで通過して、ここの改札口を出るにしても田舎だからカードの精算機がおそらくないから即座には清算ができない。とすれば今までのカードを駅員に見せたり説明したあと清算することになり、時間を食うはずだから尾行が続けられないことになる。警察じゃないから、事情を話しても駅員が我々をそのまま通過させてくれるはずもない。どうする? }
それに前に歩く対象者たちのすぐ近くまでの接近は避けたいために対の後に何人かの他に下車した客の後ろのほうに和田とチエはいる。その前の人たちの誰かが清算をするかもしれないから、その場合はそのまたあとになる。
そうなると完全に尾行が続けられなくなる。
「ちょっと待ってください」と駅員に引き止められでもしたら万事休す。になる。
そう気づいたら { あぁ、気づくのが遅すぎる }

和田は突然、走り出していた。
チエも感じたのか、和田のあとに

続く。
ところが、前方に見える対と女は切符を差し出しながら、改札口を通過してしまったのである。
{ えぇつ、、彼らはここまでの切符を持っていたとは。もしかすると女が買って持ってきていたのか? 、、、このままでは尾行ができなくなってしまう、、そうなるといままでのことが水の泡にな、、、る、、、万事休す、}
それに駅に停車しているタクシーか、あるいは待ち合わせの車にでも乗られたら完全に万事休すになる。
どちらにしてもこの尾行は不可能になるのは、このままだとほぼ間違いない。
それでも和田とチエは数人を追い越して改札口に向かって走った。
{ やはり駅員が、対の後に続く下車客のチケットをチェックしている、、、まだ対象者たちはまだ前方に見えている}
「ど、ど、どうします?このままじゃあ、ここまでの切符をもっていませんから、清算しないとここを出られません、、、、、どうしょう?、、、どうします? 」
チエが息を切らせて、すぐ私の横まで追いかけて来て声をかける。
このままだったら清算しなければならず見失うことになる。彼らを見失わずにこの改札を通過しなければならないのだが、清算をせずに改札を無視して通ろうとすれば大騒ぎになってしまう。
しかし、、、その現実がすぐそこに迫っている。
チエはいつのまにか和田を追い越すようにしながら、小声で怒鳴った。
「もう、、、どうするんです?????」


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