無敵の極処

1-167 無敵の極処
優子は、先ほど夢想していた強烈な印象を思い返していた。
すると密かに思い出すことがあった。
幕末明治に生きた山岡鉄舟という武士のことだった。
鉄舟の残している記述文書類は簡潔。
しかしその深みは海のようでも広がりは天空のようにも感じられる。
山岡鉄舟は武道を極めようとした求道者だった。
やることなすこと命がけ、真剣だった。
幼いころよりの武道、禅、書を死ぬまで続けた。

何かヒントを浮かべは必ずそれを形に現しながら工夫する。
晩年のある日、課題を抱えていた鉄舟はある心のヒントを得ていた。
それを胸にいつものように専念呼吸を凝らし座禅をしていた。
すると、、、、
「いつのまにか釈然として天地物なきの心境に至るの感あるを覚ゆ。
時すでに夜を徹して三十日払暁(ふつぎょう)とはなれり。
此時坐上にありて、浅利に対し玄身を見ず。
是(ここ)に於いてか、窃(ひそか)に喜ぶ、我れ無敵の極処を得たりと」

鉄舟は試しに弟子の籠手田を呼んで、試合をしてみたところ「先生の前に立っていられません。こんな不可思議なことは人間のなせることとは思えません」というような意味の言葉を発している。
「神道にあらず儒道にあらず仏道にあらず、神儒仏三道融和の道念にして、中古以降専ら武門に於て其著しきを見る。鉄太郎(鉄舟)これを名付けて武士道と云ふ」
「夫れ、剣法正伝の真の極意者、別に法なし、
敵の好む処に随いて勝を得るにあり。
敵の好む所とは何ぞや。
両刃相対すれば必ず敵を打たんと思う念あらざるはなし。
故に我体を総て敵に任せ、敵の好む処に来るに随ひ勝つを真正の勝といふ。
譬えば箱の中にある品を出すに、まずその蓋を去り、細かに其中を見て品を見るが如し、是則ち自然の勝ちにして別に法なき所以なり
然りと雖も此術や易きことは甚だ易し、難きことは甚だ難し。
学者容易のことに観ること勿れ。
即今諸流の剣法を学ぶものを見るに、是と異なり、
敵に対するや直ぐに勝気を先んじ、
妄りに力を以って進み勝たんと欲するが如し。
之を邪法と云ふ。
如上の修業は一旦血気盛んなる時は少く力を得たりと思えども、
中年すぎ、或いは病に罹りしときは身体自由ならず、
力衰え業にふれて剣法を学ばざるものにも及ばず、
無益の力を尽くせしものとなる。
是れ、邪法を不省所以と云ふべし。
学者深く此理を覚り修行鍛錬あるべし。
附して言ふ、此法は単に剣法の極意のみならず、
人間処世の万事一つも此規定に失すべからず。
此呼吸を得て以て軍陣に臨み、之を得て以て大政に参与し、
これを得て以って教育宗教に施し、これを以って商工農作に従事せば、往くとして善ならざるはなし。
是れ余が所謂、剣法の秘は、万物太極の理を究めると云う所以なり。」
明治十五年(1882年)一月十五日
山岡鉄太郎
鉄舟は晩年に武道を通じて無敵の極処を得た。
優子はこの「無敵の極処」とは「心の極処」と言ってもいいのではないかと思っている。
鉄舟は無敵の極処を掴むために武道や禅や書などを活用した。
世界にはさまざまな宗教家がたくさんいる。
宗教者はその宗教を学び行動する専門家である。
しかし宗教者は祈りなどは熱心にするが、心の極処を得た者は歴史上、数少ないのではないかと優子は思う。

しかし気づきや悟りを得ることは宗教家だけではない。

人は誰でも大なり小なり得ているはず。
私たちが生涯を通じても心の極所を得ることはできないかもしれない。
しかし学ぶことは可能なのだ。

優子は熱心にその記述を読み返していた。
その背中越しに声が聞こえた。
「お母さん、、、」

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