1-40 いじめからの回避 


純一の望みを考えると美佐子は昔を思い出す。
美佐子の夫は子供たちが幼いころに交通事故で亡くなっていた。
生前の夫は普通ではなかった。賭け事が大好きで酒は毎日あびるように飲んだ。
仕事は土木関係で天気が良ければ出て行って働いてはくれる。しかし天気が悪ければ休みとなることが多く、その必然的に家にはお金が無くなる。もらった給料の多くは賭け事と酒に消える。酒が入ると気が大きくなって酒の量を阻もうとすれば暴れだした。次第に夫の暴力が子供たちにも及ぼしてくる。酒が入るものだからしつこい。子供たちは恐れた。酔いつぶれてしまえば翌朝まで静かなのだが酔いつぶれるまでだから長い一日となる。、翌日には二日酔い気味ではあるが、昨晩のことは知らないかのようにケロッとしている。そんな暴れる夫のことで近所の人たちに何度も助けてもらっていたのである。夫の浮気のことは知らない。水商売の女に手を出したことがある。しかし女は男にお金がないと分かれば離れていってしまう。必然的に夫は賭け事と酒におぼれることとなる。妻の美佐子はそんな状況から脱するためにお金を稼ごうとあらゆる仕事をしてみた。夫のためよりも自分と子供たちのためにである。しかしなにがしかのお金かあると分かれば夫は賭け事と酒代にと持っていってしまうから内緒にしなければならない。お金がないものだから夫は荒れてくる。そんな悪循環の毎日を過ごしていた矢先、夫は40代半ばに酒を飲み交通事故を起こして逝ってしまった。
あれから、何年たったのだろう。遠い過去のような気がする美佐子だった。
あのときの苦しみに比べればその後の仕事の大変さは何でもなかった。
苦しみから脱し、お金も貯まっていくに従い次第に子供たちも幸せにしていると思っていた。美佐子は子供たちにかぎっ子の生活をさせていたのを悔いることはできようはずがなく、せめて子供たちのいいように気のすむようにさせてやりたいと思っている。
美佐子は今回の純一の万引きはちょっとした気まぐれだろうと思った。悪気がなく子供特有のちょっとした間違いだったろうと思う。
それは母、美佐子にしても長男の純一にしてもある面では成功したように見える。
母から見るといままでの真面目でおとなしい純一が頑張っている姿に微笑ましく映った。
純一からすれば中学時代で受けたいじめられたくない一心で自分で選んだ高校受験を頑張った。あの忌まわしい中学時代とおさらばできることが支えだった。あのいじめから逃れるためには何でもする。頭は悪くないほうだったから結果的に希望の高校に合格できたのである。
そして純一は高校生になった。
中学校時代のいじめに関係した者が純一の入学する高校にいなかったことも幸いした。
報われたような気がした。
{ 中学のときのあの哀しみと苦しみに明け暮れた毎日、、、、あんな惨めな自分の心情を誰にも話したくないし、もし誰か話は聞いてくれたとしても解決してくれないことは身に沁みている。
自分がいじめにあっていることを知っているまわりの生徒たちは、純一の身になって助けようとしてくれる者はいなかった。かわいそうにと瞳を投げかけてくれる者はいた。しかし、、、、
それがどうだったというのだ、、、ただそれだけで終わってしまっている。
陰湿ないじめに同情なんかで太刀打ちできない、、、}と純一は身にしみた。
{ もしあのころ、勇気を出して、いじめの相談を誰かにしたことが明らかになったら、いじめがますます陰湿になってきたはず。それに誰も助けてくれない。そんなことになるんだったら、最初から相談などしないほうがいいに決まっている、、、、所詮、他人事なんだ、、、他人を本当に心配してくれる人なんて世の中にいるとは思えない、、、いるとしたら、親かもしれない、、、}と純一は思う。
だが、あのころ母には相談できなかった。

というより反発していたのだった。家ではあまり口を利かなかったし母親の言うことを聞かなかった。反抗心をむき出しにしていた。親父から受けていた暴力。でも今では過ぎ去った恐怖に思える。今、さらに切ないほど心が細くなり、消え入りそうな毎日。学校でも家でも助けてくれる人がいないと思っていた。

だから家で引き籠っていた。そこが唯一の逃げ場だった。
そんな惨めな生活が続くのであればこの世から消えてなくなりたいと脳裏をよぎったこともあったのだが、死もまた恐ろしかった。
{ もう絶対にあんな惨めな生活はしたくない、絶対に、、}と高校生になった純一は誓った。
だからそんなことにならないように高校生になってからは自分を精一杯、取り繕うようにした。
かといって極端に明るく振舞えるはずがないのだが、、、
気弱さを多分に持つ自分を少しでも強気の人間に見せるようにするつもりだった。
自分を飾る生活ではあったが、あの中学校のときのような苦しい惨めな生活よりはまだましに違いない。
高校に入って、確かに純一は次第に落ち着きを取り戻していく。
しかし心の中は本当に幸せな気分ではなかった。
繕いながら生きているという気持ちがつきまとっていたのである、、、、、
少年だった息子二人はいつのまにか大人になっていった。
長男の純一は東京のとある大学を卒業したあと、地元の大阪にある大手の電機会社に就職してくれた。次男の正也は早々に結婚し、近くに住んでいる。
そして純一が自分の会社を東京で興そうとしたのだ。
{ 女手一つで育て上げてきた長男の純一が一大決心をして会社を興そうとしている姿をみれば、どうして反対できようか } と母の美佐子は思った。
純一は大学を卒業し会社勤めをするようになると、母への見方が少しずつ変わってきた。自分が成長するにつれ、母親が一時期、靴磨きの仕事をしていたことはうすうす感じてはいた。仕事から帰ってきて、買い物袋から取り出す母の両手の爪には黒い垢が残っていたことを思い出す。
{ 女手一つで苦労して育ててくれ、私たちを心配してくれている }そんな気持ちを持ちながら純一は母の後姿を見ていた。純一としては会社設立のことで母に面倒をかけるつもりはなかった。{ しばらく母は大阪での一人住まいになるだろうが、気丈な母のことだから、心配することもないだろう }と思う。{それよりもなんとしてでも会社を成功させなければ、、、、}
純一は念じていたのだ。
そして、、、

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