1-7 恋心


そのおよそ2ヶ月前、、、。
喫茶店「ウファ」は池袋駅から少し離れたところにある。
店内のところどころに花の植木鉢をあしらえたこぎれいな女性向きの喫茶店だった。
優子は大学に通っていた頃、ときにこの喫茶店ウファを利用していた。
そのころ、この店でアルバイトをしていた宇多田はときに訪れる優子に片思いをしてしまった。
店に集う数人の学生たちの中でも優子は、ひときわ目立つ存在で、優子を中心にして数人の女子学生たちの放つ生き生きとした明るさは、かけがえのない輝きのようだった。そばを通るだけで美しい花の香りを感じていた。宇多田は可憐な笑顔と張りのある優子の声を思い出す夜、なかなか寝つけず、想えば想うほど心が高ぶる。だがその気持ちを彼女に伝えたくとも伝えられない自分を情けないと思っていた。その一方で店に訪れる優子を目にすると自分の気持ちを見透かされまいとそらぞらしくなってしまう。なにかしら怖さを感じて、熱い気持ちとは裏腹にまじめなウェイターの態度になるのが、恋焦がれる人に対してのせめてもの表現方法だった。それに談笑している仲間から優子が一人きりになることは稀だったことで{優子に告白するチャンスがなかなかつかめない}という言い訳をこしらえて自分の勇気のなさを慰める。この店に訪れる美しい優子を見ては心が騒ぎだし、店を出る頃には切ない気持ちになってしまう宇多田だった。
{ 好き }という言葉。いつも心の中で唱え、迷いの中にいた宇多田。
しかしその躊躇がいつしか機会をなくしていた、、、そのことにある日、気づいた。
いつしか優子たちは姿を現さなくなっていたのである。うっかりしていた。優子たちが大学の卒業時期だったことにまったく気づいていなかったのである。いつまでも在学しているという錯覚。その思い込みに自分を責めたてた。
大学の事務所に尋ねてみて「個人情報ですから」という一言で一蹴されたのはあたりまえのことだった。
その後の宇多田は身のおきどころがなく、店に勤務しても遠くを見つめるもののようにして、優子たちがウファに訪れるのを待ち続けていたのだった。ほかにいくつか方法はあったのだろうが、この店で待ち続ければ、優子や優子と一緒に訪れていた人たちの誰かが訪れてくれるものだろうと思った。しかし現実はそれほど甘くはない。待ち続けているうちに自分自身の馬鹿さかげんに気づくことになる。しかし宇多田にしてみれば、ほかに方法を思い浮かばず、ひたすら待ち続けていたのである。いつか来てくれる。優子の友達でもいい。あの仲間の人たちの一人でも来てくれさえすればと。その想い、毎日の切ない焦燥感がうねりをあげて身を焦がしていく。
誰かが入店するとすぐに顔を向いてしまい、つい出入り口が気になってしまう。夜になるとその哀しさはより増し布団の中で泣いた。
だが、その苦しみを癒してくれたものがあった、、、。
それは、、時だった。
このなんの変哲もないと思えるもの。その時というものが、日々を癒してくれていたのである。
あれから10年ほど経った。宇多田は喫茶店ウファの店長になっていた。
そして先日の夏のあの日。突然、その機会は現れた。
優子と早苗が突然、ウファに入店してきたのである。
宇多田は目が眩んだ。別人だと思った。現実と過去が交錯しクラクラとした。立ち尽くす心に湧き出す新たな炎が心臓を熱くしては突き動かす。あまりの驚きに惑い、夢のように感じられた。

10年前の幻が現れては消え、目の前の現実になっている。心臓を突き刺すような痛みを覚え、宇多田は思わず胸を押さえた。胸を抑えながら{落ち着け、落ち着くんだ }と戒めようとしたものの、脂汗がじわりじわりと噴出してきてかき乱されている。
ウェイトレスから「店長、店長!」と何度か声をかけられなければ、いつまでもじっとたたずんでいたに違いない。
たしかに覚えのあるあの女性二人は窓辺側に座って談笑している。一人は優子。そしてもう一人は名を忘れてしまったが顔は覚えている。
宇多田は我に返ると{ もう二度とはないかもしれない}という不安が急に襲ってきた。
意を決し、二人のほうへと近づいて行った。

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