1-108 尊厳ある遺書

早苗があの殺され方をしたことに犯人の早苗に対しての異常な憎しみが感じられる。
早苗は犯人と話しているうちに、犯人の行為の理不尽さに苦しんだのではないだろうか。
しかし犯人からの拘束から逃れるすべがなかったのだ。
そしてその日が迫ってきたとき、早苗は死を覚悟し腹を決めた。
早苗は後ろ側に両手まわされ手錠をかまされた。
そして体全体にロープを何重にも巻き付け締め付けられた上に、生きたまま袋に入れられた。
そして重しを付けられ、海中に沈められたのだ。
それを早苗は受け入れなければならなかった。
早苗の犯人への憎しみ憤りは、犯人よりもあったことだろう。
だが現前に迫る死を受け入れざるを得なかったのである。
ただ、人はどのような死の受け入れ方ができるというのであろうか。
優子は学生の頃、鹿児島県の知覧に行ったことがあった。
そこには知覧特攻平和会館があり、そこで特攻隊の遺書を読んだことがあった。
第二次世界大戦のさ中、1944年10月20日に最初の特攻の攻撃隊が組織され、最終は終戦日の1945年8月15日まで続いた。
特攻作戦で亡くなった隊員は1036名。
そのうちの半数近くの439名が鹿児島の知覧から飛び立った。
その手記の一部。
「1945年1月6日 比島にて戦死。亨年23歳 (神風特別攻撃隊第十九金剛隊)
お父上様、お母上様、益々御達者でお暮らしのことと存じます。幸光は闘魂いよいよ元気旺盛でまた出撃します。お正月も来ました。幸光は靖国で24歳を迎えることにしました。靖国神社の餅は大きいですからね。同封の写真は**で猛訓練時、下中尉に写していただいたのです。眼光を見てください。この拳(こぶし)を見てください。
父様、母さまは日本一の父様母様であることを信じます。お正月になったら軍服の前にたくさん御馳走をあげてください。雑煮餅が一番好きです。ストーブを囲んで幸光の思いで話しをするのも間近でせう。靖国神社ではまた甲板士官でもして大いに張り切る心算です。母上様、幸光の戦死の報を知っても決して泣いてはなりません。靖国で待っています。きっと来て下さるでせうね。本日恩賜のお酒を戴き感激の極みです。敵がすぐ前に来ました。私がやらなければ父様母様が死んでしまう。否日本国が大変なことになる。幸光は誰にも負けずきっとやります。
ニッコリ笑った顔の写真は父様とそっくりですね。母上様の写真は幸光の背中に背負っています。母様も幸光と共に御奉公だよ。何時でも側にいるよ、と云ってくださっています。母さん心強い限りです。幸雄兄、家のことは万事頼む。嘉市兄と共に弟嘉平、久平、保則君を援けて仲良くやってください。恩師に宜しく申し上げてください。十九貫の体躯、今こそ必殺轟沈の機会が飛来しました。小樽の叔父、叔母様に宜しく。中野の祖母様に宜しく。国本師顕殿、お世話を謝します。叔父さん、幸光は立派に大戦果をあげます」

人が死を現前に覚悟したらどうなるのか。
早苗は自分の魂の尊厳を自分自身に示したかったのだろうと優子は感じていた。
自分が死んだ後の遺体が発見されるか、されないかなどはどうでもいい。
犯人の名前など、もうどうでもいい。
端的に言えば犯人への憤りも憎しみさえももうどうでもいい、と。
早苗は遺書さえ書くことができなかった。
だから、ただただ早苗は自分の魂の証を最後の自分自身に示したかったのだ。
と優子は思った。
そして思い出していた。

先ほど機内のトイレに行く際の戯れていた親子の姿が、優子の瞼に浮かんだのである。
母親がニコニコしながら聾唖 ( ろうあ ) の幼い男の子に対して示していたあの手の形。
あれは早苗が残していた両手の形に似ていた。
早苗のあの両手の組み方。
、、、あれは、、、
早苗が手で残した遺書だった。

、、、のではないだろうか、、、、と。

魂を込めて自分自身に示していたのだ。
、、、その形こそ、、、

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