1-107 ほとばしる涙

そして、、、優子は静かに嵐の歌を聴いている。
頭に浮かぶのは音楽から流れ湧いてくる快いイメージだった。
エンターテイメントの重要な一つは歌の内容と質なのだろうと思う。
歌い手の歌う歌が人々の心に快い響きを伝えることができなければ人は感動しない。
ふとそう考えた時に早苗の心情を重ね合わせたのである。
早苗が学生の頃から気に入ってよく話していたのは、維新のサムライ、吉田松陰のことだった。
吉田松陰は時の幕府から捕らえられ、ついには刑に処された。
その29才のころの辞世の句がある。
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
「親思ふ 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん」
吉田松陰の子弟にはそうそうたる人物が輩出している。

思うに早苗も同じように28才の若さだった。
早苗は、シンガポールで殺人犯人から拘束を受け、なにがしかのことをされているうちにいつしかある覚悟をしたはずだろうと思う。
シンガポールの地で、女の身でありながら、誰にも連絡ができず、一人、ある覚悟を決めた時、その心情は計り知れないものがある。
{ もし自分がそのようなことになった場合、どうするだろう? }

そう考えているうちに吉田松陰の辞世の句が浮かんだのである。
人が死を覚悟したときにどう思うだろうか。
老化ではなく、急に迫ってきた死の予告に対してである。
吉田松陰の場合は日本を愛する魂の再生と親に対する感謝だと感じられた。
しかし、早苗の場合は、、、、、その覚悟は、、、、
そう優子が考えを伸ばしていると、、、ふと浮かんだイメージがあった。
{、、、、もしかすると、、、、、、、
もしかすると、、、
犯人に対する憎しみ、、、、ではなく、、、
早苗が形作ったあの両手を組んだ形、、、、
いままではそれは犯人の名前を示したかった、、、、のではなく、、、
、、、もしかすると、、、、

他の意味のある行為だったのではないか、、、、}
しかし、そのイメージだけでは、早苗の両肘から両手先が手錠から抜け出て、早苗の全面で組まれていたことの説明が不可能に思えた。
生きているときにも死んだときにもどちらでも不可能だと思われた。
優子は早苗の事件では犯人が何かの理由で早苗の両手を組ませて、何かの時に何かの理由で早苗の両肘を切り離ししたのではないか。
それとも早苗のほうが犯人の姓名をイメージさせようと残したかったのではないかと疑っていた。
{ しかし、、、、、説明のしようがない、、、と思っていた、、、、}
たとえ死を覚悟したとしても物理的に不可能なことだった。
隣では目をつぶったままの織江が嵐の歌を聴きながら小さく口ずさんだ。
その瞬間。
優子は早苗の心情が閃いたのである。
{ あぁ、あぁ、、、何ということだろう、、、人間とはここまでできるのだろうか、、、}
静かなる慟哭の前兆だった。
優子は突然のほとばしる涙に沈んでいった。

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