1-71 戦略

泉純一と浮気相手である若林奈美はクリーンシェア社で繋がっていたことが判明した。
「二人の幸せ研究所」では平行して純一の銀行関連についての割り出し調査も行おうとしている。
調べていくと純一の仕事についてはあるプロジェクトが進んでいた。
純一が経営するエアプリティ社と清掃関係の中堅会社のクリーンシェア社との契約の期日が迫っていることがわかってきたのだ。
最近の純一はそのプロジェクトについての技術的なアフターフォローをどうするかというミーティングのためにクリーンシェア社に呼ばれることが多いらしい。エアプリティ社が技術的な提案をし、クリーンシェア社が世に送り出す新製品「エアドゥ」は確かに画期的な商品らしい。
いままでの空気清浄機の多くは空気の汚れを集塵するためにフィルターを使う。しかしこの新製品はフィルターを使用せず、空気の汚れを電子エネルギーで焼き尽くして小さくなってしまうから基本的に長期間の集塵をする必要がない。重要なことは、室内の空気の汚れを取り去る清浄効果であるが、いままでの大手電器会社の販売しているものよりも数段あることが実証済みだった。そのクオリティだけでなく、埃だけでなくホルムアルデヒドなど多種の有害物質及び外部からのウィルスまで除去する能力が高いことが特徴だった。さらに発生するマイナスイオンは癒しの効果を醸し出し、肌に最適な湿度コントロールすることが可能だった。女性の間で話題になることだろう。換気機能も設置可能なのである。従来機器より最も小さく駆動部分がないかあるいは小さいので電気代が数分の一になり、フィルターの交換も要らないのでランニングコストが大幅に安くなる。そんないいことずくめの「エアドゥ」だから、価格も安く設定できるので特に家計を牛耳る主婦層や独身女性をターゲットにする商品になるという。この製品が市場に出れば、いままでの市場を席捲することになるだろうとエアプリティ社の社長である純一は自信満々だった。市場を席捲すれば、販売量が多くなり製造コストをさらに安くすることができるのだ。追随してくるであろうライバル会社を蹴落とすことができるプランだった。
純一の狙いはこれだけではなく、このプロジェクトを足がかりにしてエアプリティ社を大きく飛躍させることにあった。
{ 俺は織田信長になる。絶対に成功してみせる }純一はクリーンシェア社の担当者との会議を重ねるたびに自信を得ていた。
自分の会社はまだまだ小さい。しかし特許をもった技術力がある。それに比べればクリーンシェア社はこれからの企業であり販売力があるがこと空気清浄機については素人同然なのだ。
{ 名声などどうでもいい、実質をとればいいんだ } と純一は思った。
思い起こせば純一がクリーンシェア社にこのプロジェクトの提携を持ちかけるまでにはそれ相応の時間がかかったし、資金も必要だった。やはり技術的な裏づけがないならば、門前払いになる話なのである。時間をかけ何度も何度も試作品を作っては壊し、壊しては改良し、テストを繰り返しながら、やっとここまで辿り着いたのだ。もしかすると最初、対応してくれたクリーンシェア社の担当者が空気清浄機について素人だったからよかったのかもしれない。その後にも何度も持ち込まれてくるたびにその機能や効果がさらに向上し、その実証を見せつけられればクリーンシェア社は純一の話になびくほかはないのだ。純一の技術的なデーターの提示と実証の繰り返しの結果、クリーンシェア社の社長である清水を動かすまでになった。小さいエアプリティ社を経営する泉純一社長の野望、そして大手に上り詰めようとするクリーンシェア社の清水社長の考える世界戦略が合致したのだ。
そして、、、、そのかみ合わせとして重要な役割をした者が、、いた、 、、、、、

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1-70 生き物の怖さ


その日、探偵社「二つの幸せ研究所」の和田は依頼者の泉優子に二回目の調査結果について説明している。
夫の泉純一の浮気相手は若林奈美という。どこかしらエクゾチックな顔だちの27歳である。東京都中野区に一人住まいだった。勤め先は日本で有数の清掃関係の会社でクリーンシェア社という。この会社は全国に営業所がある。本社は新宿にあり、その本社で若林奈美は勤めていることも判明した。
結果説明を終えた後にうつむき加減の優子は
「、、実は夫からの生活費が少なくなってきたのです」
「えっ、生活費は奥さんが管理されているんじゃないんですか?」
「いえ、夫が以前、大阪で会社勤務をしていたときは夫の口座に会社から給料が振り込まれていましたが私が管理をしていました。でも今では夫が、会社を東京で起こした後は自分で管理するようになったんです。毎月の生活費は貰っているんですが、その額が以前より少なくなっているのです」
「ほう、、、で、そのご主人の管理するお金がどうなっているかを知りたいということですね?」
「はい、以前は私が通帳も管理していたんですが、いつの頃からか夫は自分で管理するようになりました。それに以前より秘密主義になったみたいで、、」
「わかりました、ご依頼のとおりこの若林奈美という女性については調査続行中ですが、その銀行関係の割り出しも可能な限りですがやってみましょう」
「お願いします」とほっとしたような印象の優子だった。
しばらくぶりに見る依頼者の泉優子は心なしか、以前より痩せたようである。着ている洋服も黒を基調とした上下だったせいなのかもしれない。品のよさと凛とした雰囲気はあるもののなんとなく元気がないように感じられた。もちろん夫の浮気のせいで大変な気苦労があるのだろう。
夫婦となって東京に住んで娘も生まれている。しかし夫に女ができたのである。
優子が探偵社を去ったあと「少し痩せられたみたいですね」とスタッフのチエは言い出した。
「そうだね、、、」
「浮気をされる側はかわいそう、、、、哀しみと怒りが込み上げてくるんだわ」
「でも泉さんはなんとなくそれを感じさせない人だね、、、、」
「、、、女の微妙な気持って、、そう簡単じゃないはずですよ、、、、私の友だちなんか大変だったんだから、、、、」とチエは声を落として言った。
「、、、ふ~ん、、、女の微妙な気持ちね、、、男もそうだしね。それはそうだろうなぁ、、、でも、もし女の人がいつか離婚というふうに決めたら、そのときからスパッと気持ちを切り替えられるんだろう?」
「そりゃあ、そうですね。そこまでいったらね、、そういう人もいるけれどそれまでが大変ですよ、、、、、諦めたら早いと思いますけれど、それまでがね、そりゃあ大変、、、それに女は怖い生き物なんですよ、、、男にはわからないかもしれません、、、、」
「、、、怖い生き物、、、女は囲い込みの感性をもっているしね、、、」
「、、、囲い込みの感性?」
「うん、、母性からなんだろうけどね、、、女の人は自分の持つバッグ類が好きだろう?、、、その中にいろんな物を入れて持ち歩いているだろう ? それにいろんなバッグや袋をいくつもほしがる、、、あれはおそらく子供をもつ女としての感性がそうさせているような気がするよ、、何かのときのためにいろんなものを手元に用意をしておきたいという意識なんだろうね、、、昔は食べ物とか飲み物とか、、、とにかく必要なものをね、、、、、用心深い女の人ほどいくつもバッグをほしがると思うよ、、、、中身も自然と多くなる、、、だから、持っているバッグや中身を見ればその人の性格さえわかるというしね、、、でもそれに対して男はねぇ、、、、外で動きまわるのには身軽なのがいいから、持つとしても荷物を最小限にしたくなる、、、、、まぁ、その点から言えば持ち物を見ればその男の性格も推定できるということでけどね、、、それに女の人は自分が生んだ子を必死で守ろうとする、、、家を守ろうとするだろうし持ち物を大事にする、、、その延長線上として持ち物を入れるバッグについても神経をつかうのだろうね、、まぁ、チエみたいな例外はあるけどね」
「まぁ、失礼だわ、、、私も女ですっ!それにしても、、、」
「いや、、、まぁ、でも男はあれだな、、どちらかというと男のほうが未練がましい気がするね。別れたあとはいつまでもグスグスしてるのは男だし、思い出しては悔やんでしまう、、、、」
「、、それは失恋したときの男の人の話でしょ?、、、、別れを言い出されたほうが未練が残るっていうのは男も女も同じと思うけど、、、言い出されたほうが女の場合は、、、、そうね、、、それはそれは大変ですよ、、、誰かに奪い取られたと思うかもしれないし、、、、それでなくても、、、女の執着って怖いものがありますよ、、、まぁ、、、、別れを決めてしまったら、女は次のことを考えてますけどね、、、、」
「なるほどね、、、」
「ストーカーの方が女としては怖いわ」
「、、、、、、女のストーカーも増えるかもね、、、」
「トンチンカンなお話しね?、、、でそんなことより、、、それより、さつきの優子さんは、、、、?」
「うん、、、もう引き返せないだろうし、離婚を考えているという話だったね」
「なんか優子さんホントかわいそうになっちゃつたわ、、少しやつれていらしたし、、、まったく男ってどうしようもないわ、、、最後はお金の話で落ち着くのでしょうけれど、、、、、ねぇ、思うんですけど裁判所でのあんな離婚相場の金額じゃ、割に合わないと思いますよ。女を馬鹿にしている金額だわ、、、女がいくら強くなったと言ったって、まだまだ社会的に弱い立場なんですからね。うちがやる以上、相手側からその何倍はとらなくちゃあ、、、、、財産分与、慰謝料、子供がいれば養育費なんか、、、、ほとんどの人が通り相場の金額かそれ以下で泣き寝入りしているんだから、、、、、ホントはそんなものじゃあ、気持ちがすまないはずよ、、、、、、裏切られたほうとしては、、、、それにいままでの無駄にした時間は取り戻せないのですもの、、、、男は歳をとってもいいかもしれないけど、、、女は旬というもんがあるんです」

「そうだね。離婚時に落ち着く金額は確かに安く感じるかもしれないね。特に年を取るほど身につまされる。残された側が女性で子供もいたら、裁判所が提示した金額に双方が納得したとしてもその後に毎月の安定したお金が入ってくるかはわからないこともある。都合ができて相手が支払われないことも起こりえるしね。逆に残された側が男の場合は違った意味で苦しむよね。どちらにしても今までのやり方では弱い。だからうちとしてはうちのやり方を依頼者には提案しているんだ。甘く見ていた相手側は高く払うことになるだろう。まぁ必要以外は裁判所も弁護士も通す必要もないだろうしね、、、」

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1-69 seveearth 

「seveearth」という会の要旨内容はこうである。
魂は現世及び霊界を通じて永遠に生きて紆余曲折はあるものの成長を続ける。
霊界は魂の故郷である。
人は魂 ( 心 ) の成長のためにこの世に生まれ、この世では死するまで肉体を活用し修行をしている。
人類の有史以来、偉大な人たちは人の苦しみを救うために陰に陽に行動している。
しかし偉大な人物に気づくことは少ないものである。一例としてキリストは結果的に磔にされた。しかしその偉大さに気づいていた少数の人たちによって、キリストの意志や真意などを伝えようと現代まで引き継がれている。しかし時代を経る中でその偉大さを悪用したりする者も出てくる。まるで自分たちが仏陀やキリストなどの精神を引き継いでいるかのように見せかけている者や組織もあることだろう。また古いしきたりからの束縛や弊害が多くの苦しむ人たちを生み出していることが世界にいくつかあることだろう。
世には、さまざまな高い志を持つ者もいるし、ゆがめた生活しながら死んでしまう人もいる。あるいは悪意を持って、自己欲のために他人を引きずり降ろそうと狙っている人もいることだろう。しかしすべての人間は長い目で見れば、いつしか気づきを得て善を志向するようになる。しかし気の遠くなるような長いときが必要になるだろう。また一人、敢然として誰にも知られずに黙々と貢献している人たちもいる。
この会では力を合わせ、自分たちでできることで貢献したいというのが会の要旨である。
しかし行動が大きくなればなるほど、それに対して摩擦や対抗する力が働くことだろう。
「seveearth」では、サムライの志を学びながら力を溜めておく必要がある。会のメンバーはそれぞれの得意を生かして成長することが大事なのだった。
優子は心と体の作用。自然の物を活用する研究を担当。織江は資金や投資担当。および個人が生まれてから老後に独り身になっても不安のない生活資金の維持管理及び死ぬ前後までどう活用するかの研究。詩は未来における人工知能開発などの担当。龍は病の新しい治療研究の担当。ドイツにて研究している。早苗はソフトウェア開発担当。
たとえばリーダー格の優子は心の変化が肉体にどう及ぼすか、および武士道の研究を続けている。それらは龍の人体の極小生命体の研究にも関わることでもあり、それに合わせて早苗や詩の将来のコンピューターやソフトウェアなどの技術を開発していけば、思いもよらぬ発展の可能性を秘めているである。

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1-68 日本人の志

優子は大学時代、仲良しの女性5人で「seveearth」いう会を作った。
この5人は日本の幕末明治時代に活躍した偉人たちのことが大好だった。話をしているうちに武士の志にちなんだ会を作ろうということになったのである。1853年、横須賀、浦賀沖に来航したアメリカのペリー艦隊四隻の黒船が来航したときの幕府側の右往左往する対応に「太平のねむけをさます上喜撰 (蒸気船) たった四はいで夜もねられず」とお茶の上喜撰になぞらえて庶民は風刺狂歌を作り巷に情報を流したのである。しかし志あるサムライたちは風刺や評論をするだけでなく行動を起こす。その行動したサムライの多くは、もともと下級武士だった。土佐藩 (高知県) 出身の坂本龍馬にしてもそうだった。実家が、下級武士だったが比較的、裕福だったので何事もなければ大過なく一生を終えたはずである。しかし当時の日本が外国からの脅威を受けていると感じた彼は自分や家族のことでもないのに黙って見逃すことはできなかった。故郷を捨て脱藩という罪を犯してまで、日本の危機を救いたいという志を立てて京や江戸に上ったのである。坂本龍馬、西郷隆盛、吉田松陰、勝海舟、山岡鉄舟など、のちに有名になった人たちだけでなく無名な庶民までが尊王という大義に命を懸けていたのである。それほど日本の「王」というものが、庶民にまで尊ばれた歴史はめずらしい。当時の日本を訪れた外国人が書き記した文章を読むと、日本人の多くが豊かな表現力を持ち、道徳性が高いことに驚いているさまが感じらる。それは日本の歴史の中で培われてきたものであり、連綿として現代人に引き継がれている。現代でももし何か危急のことがあればこの日本独特の精神性が立ち上がることだろう。
優子たち5人はこの日本人の志や独特の精神世界である武士道について調べていくほどに興味が尽きなかった。武士とは闘う専門集団だと考えている人がいるが、確かに義を重んじて戦うときには勇敢に戦うものの、勝利したとしても敗者に対しておごり高ぶることはない。武士の武というのは字のごとく戦いを止めると書く。平和を守ろうとする。
「seveearth」という会のメンバーは、そのようなサムライの志を愛した。会としてはそれぞれの特技や才能や経験を活かし、将来に向けて日本だけではなく世界に向けて貢献できるものにしようと考えている。やりがいがあるもの、生きがいのあるもの、幸せの追求といってもいい。心と体と社会の研究をする。その研究を通じて人々に喜んでもらえることをする。となればお金、起業、健康、病、老後、生きがいなどに新しい事を起こす。
それには知識も経験も資金も創る必要がある。資金的には在学時にアルバイトをして貯めた1人2万円合計10万円を元手にさまざまな形で投資することにした。学生の身だから、アルバイトぐらいでは時給のお金はたかが知れていた。その貯めた10万円を投資にまわした。半年ほどは全く増えなかったが、5人で知恵を出し合い次第に手法のコツを覚え、今では会の資金としてゆうに数千万円にはなっていて紆余曲折はあるものの増え続けている。テーマの分野に5人の知恵を働かせる。その中から最も得意とする人からコツを見つけ教えてもらえば皆が応用できるのである。万が一自分たちの誰かが危急になった場合には他のメンバーが助けることもできるし、会の資金の最大20%は各自、自由に使えることとした。例えば1億円があれば2000万円までは自由に使えるのだ。
彼女たちは大学を卒業しそれぞれの仕事に就いて経験を積んでいる。それぞれの研究を重ねては情報交流をしていたのである。
seveearthメンバーの代表格は優子 (頭文字としてY)で主婦 。織江 (O) は投資関係を研究し会の資金を増やしている。詩 (U) は人口知能 (AI) 関係会社勤務。龍 (R) は医療関係、ドイツにて研究を続けている。早苗 (S) はソフトウェア関係会社勤務。それぞれの名前の頭文字をとってYOURSと言っていた。
つまりseveearthの主要メンバーはYOURSで成り立っていた。
ところが、メンバーSの早苗が行方不明になってしまった。
当然、早苗のことは他の4人のメンバーたちも早苗のことを心配しており、優子は4人のメンバーに連絡したのである。

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1-67 老後


人は身体のそこここが思うようにならないようになると歳を重ねていると気づくものである。
自分たち夫婦が若いころ・・・・それは戦後復興期の経済は右肩上がりの波が続いた。
君江は君江なりに夫の経営する印刷会社の仕事を手伝い、家族の世話もして二人の子供を育ててきた。
しかし二度のオイルショック以降はそれなりの頑張りがなければ生き残れないと君江でさえ感じていた。経済の波や取引先の倒産などさまざまな問題が聞こえてくる。
バブル前後のときは土地の買収を仕掛けられたり、さまざまな経験もしてきた。
「苦労、苦労はなにいとわねど苦労しがいのあるように」という川柳を思い出す。
時代は変わっても人間の願いは変わらない。やはりお金は生活の大前提となる。
子供たちにはそんなお金の気苦労をなるべく見せないようにしてきたつもりだった。
嫁に行った優子とその夫の純一は、結婚当初は実家がある大阪に姑と住んでいたが、東京で独立する時期には孫のゆむいは東京で生まれ、今はもう3才になっている。
純一の会社「エアプリティ」も独立して3年くらいになる。創業ということで当初、資金繰りも大変で、義三に創業資金の一部を借りたこともあってほそぼそと経営を続けていたが、最近は景気のいい話が進んでいるように聞いている。もし純一が言うように東京本社だけでなく全国に支店を作れるようになるのならたいしたものだと思う。ただその場合は優子たちは姑の住んでいる大阪の実家へ再び戻ることになるかもしれない。
東京で生活している娘夫婦にはできるだけのことはしてやりたいと義三と君江は話をすることがある。会社が伸び盛りならばまだいいが、いいことばかりが経営ではないということは夫の義三が日頃から言っていたのだった。
君江にとっては年相応の痛みなどはあるが大病になっていない。夫の義三は神経質なこともあるが、なにかあれば医者に駆けつけいくつかの薬をもらい飲んでいる。

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1-66 家族の問題

今日の夕食は君江と光男とゆむいは同じテーブルで食事をした。
二人は初めてではないのにまるでめずらしいものを見るような様子だったし、意識しているせいかちらちらと互いをうかがう感じが君江にはおかしかった。
光男は日頃から用事がなければ君江たちに話かけようとはしないから { たまにはこんな刺激が光男には必要なんだわ } と君江は思う。
しかし夕食を済ませた光男のそそくさと自分の部屋に戻って行く姿を見て { 相変わらずだねぇ } と君江はあきらめぎみである。
おとなしすぎる孫のゆむい。ひっそりと自分の部屋に引きこもっている息子の光男。調子が悪くて臥せぎみの夫の義三。嫁いでいった優子。考えてみれば誰一人として君江の話し相手になってくれる者はいないらしい。 { それでも私の話し相手になるのはせいぜい優子ぐらいかしら。結婚しても娘は娘、それに女同士だし、、、、 } と君江は思う。
久しぶりにうむいとお風呂に入ってみると、いまさらながら家族というものの絆を感じることができた。お風呂でのうむいはおとなしいのだが、今日は機嫌がいいのを感じる。ゆむいなりにはしゃいでいる様子に思わず君江は微笑んだ。つぶらな瞳でまれに見るかわいい子なのである。君江は生命のほとばしるようなゆむいに触れることで、自分が歳をとったことにも気づかされるし忘れもできる。思わず微笑みながら{ まるで自分だけは歳をとらないとでも思っていたのかしら?自分もうむいと同じように幼い時代があった。青春の一瞬の回帰とともに今の君江は不思議さを感じている。しかしこうしてゆむいとじゃれあっている自分がまるで小娘のように浮き立つ気持ちを覚えるのはなぜだろう?女同士だからだろうか? 生命をいとおしむかのようにゆむいに微笑みかける君江だった。
{ しかしそれにしてもこんな子はみたことがないわ } とゆむいの様子を見て、何となく普通の幼い子とは違うものを感じている。ゆむいに話しかけてもほとんど応答はしないが、君江のしゃべっている意味をゆむいはほとんど理解しているのがわかる。 { それにしてもなんてかわいい子だろう } と微笑みかける君江だった。
今夜の君江はうむいと一緒のベッドで寝ることを楽しみにしている。
この間、うむいを泊まらせた晩に、うむいの寝顔を見て君江は驚いた。その目じりには薄く涙の後のようなものがあったように思えた。そのときの驚きと夢でも見て涙したのかとも思った。
いまだに何故なのかはわからなかった。
うむいを寝かせたあの部屋は結婚前、優子が使っていたもので、今晩もそこで寝るようにしてある。
隣の部屋では義三がいつものように本を読んでいるのだろう。
いつもは深夜まで読んでいて、いつのまにか眠ってしまう習慣なのだ。
何かあれば呼び鈴があるし、新しい水差しも置いてきた。習慣的に水差しと本は欠かせないのだ。
別の部屋では光男がまだコンピューターと遊んでいるのだろう。
さっきお茶を持っていったとき、相変わらずパソコンとにらめっこしていた。
光男に話しかけてもありきたりの返答である。
光男は25才にもなっても将来が見えないらしい。
{ 私たちに何かあったらどうやって生活していくのだろう? } と君江は心配する。
優子は片付いたけれども光男だけが、社会から一人、取り残されているように見える。
{ 何を考えているのだろう? いったいどうしたらいいというのだろう? }
小さいときは普通の元気のいい子だったのだが、中学校のころから寡黙になっていったように思う。光男をかわいいと思って甘やかしていた私たちが悪かったのかもしれない。
夫の義三も仕事にかまけて光男の相談には乗ってくれなかった。
いつしか光男は高校に行かなくなってしまったときだけ、少し揉めただけ。
義三は「高校に行かなくても家業を継いでくれるのならいいんだよ」と言っていた。しかし君江は光男のお尻を叩いて高校を卒業させ、大学にまで行かせることにしたのである。たとえ大学は三流にしても社会の中で揉ませることが必要だと思ったのだ。
そういう流れを敷いてやれば、いろいろなことを経験せざるをえないはずだし、外に出るようになれば何かの機会にめぐりあうとも限らないのだ。
そんな考えで君江は光男をなるべく外に出るように仕向けていった。
ところが光男はいつのまにか大学そっちのけで趣味のパソコンに没頭するようになったのである。光男はパソコンでゲームをしたり、インターネットを見ることが好きらしい。そういう時代なのだろうが、部屋の中で引きこもっている光男に何かしら不安を感じる君江だった。
そこで光男に対してパソコンをする条件に大学に定期的に通うことと外でバイトをする約束をさせたのである。光男の大学のほうはパソコンと関係することがあるのか、ときどき通ってはいた。しかしバイトのほうは怪しかった。
{ いまどきの若い人はこうなのかしら? }
しばらくすると光男は黙ってバイトを辞めてきて、いつのまにか部屋に引きこもっているのだ。そうこうするうちにこんな光男でも大学を卒業できたのである、、、
やっぱり一流ではなかった。卒業しても就職活動をしたようには思えない。
ただテレビで見るような家庭内暴力になっていないのがせめてもの救いなのだが、、、、
光男がどのように自分の将来を考えているのかわからない、、、、。

どこの家庭でもそれなりに苦労はあるだろうが、君江もなかなか家族の不安が解消されないし、いまだ解決の糸口が見つからないのだ。そのうち私だってさらに体が弱っていくことだろう、、、

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1-65波打つ生命力


昨晩、娘の優子が孫のゆむいを「一晩、預かってね」連れてきた。
{ 見た目には普通に見えるんだけど、、、 }とゆむいの様子を見て君江は思う。
夕食を終え、ゆむいは窓際にある鉢植えの花々のそばで絵本を見ている。
{ やっぱり女の子だねぇ、 }ゆむいを横目で見ながら、君江は薬と水をお盆に載せて立った。
隣の部屋のドアを開けるとベッドの中で夫の義三が目をつぶって横になっている。
天井の明かりは消してある。枕辺のスタンドはつけたままだから、眠りに入ろうとはしていないのだろう。
「さあ、お薬よ。」と君江はやさしく声をかけた。君江はベッドテーブルを引き寄せて、そのお盆を載せる。ベッドの中の義三は薄目を開けながら、君江に反応する。「今日はどう、おいしくなかったの?」と君江は明るい声で話しかける。
義三は自分で創業した印刷会社を廃業してしまった。その後、読書や書道のほかにこれといった趣味がないので自宅からあまり外に出ない。義三はもともと口数の少ないほうであったが、年とともにさらに少なくなった。それでもわがままぶりは昔より強くなった気がする。夫が働いているうちは自宅に帰るのは毎日遅かったが、今は違う。働いていてくれているときには「亭主元気で留守がいい」とばかりにふざけているときもあったが、朝からあまり外に出ない夫を見ていると何かほかにも趣味を見つけてでかけてもいいのになぁと思う。
仕事を辞めてから少し、頭痛がよくあるようになってきたので近くの医者に診てもらった。
医者の言うには「いつもより血圧が高めになっているのでもう少し強めのお薬を出しておきましょう。様子を見てください」とのことだった。義三は心配性なのか医者の言うままにいつくかの薬を飲んでいる。
妻の君江も年を感じ始めている。お互いに年なのだろうと思う。昔からあった首や肩のこりがよりひどくなってきたようにも感じている。元気のいい若いときはあっという間に過ぎ去ってしまう。若い頃は親を見て年をとるってこんなものかなぁと思っていた自分が、あっという間にもうこんな年代になってしまっていることに驚く。年をとっていけばそれなりに精神的に成長をするものだろう思っていたのだが、若いころに比べてもあまり変化がないように思うのは不思議な気がする君江だった。
そんな君江に若い頃に口ずさんでいた歌がテレビから聞こえてくる。テレビでリバイバルされているうちはまだ自分たちのような視聴者が少なからず世間にいるということになるのだろうが、それも年々少なくなることだろう。しかし若くても老年でも年を重ねるのは変わらないのだから、これからも楽しみというものを少しでも見つけていかなくちゃあと思う。身体が動くうちは「旅行でもしたいわね」と義三に明るく話しかけることがある。今日もそんな話しかけをしてみたのだが、義三はそのことには返事はせず「光男は?、、」と25歳になる息子の名前を言う。
「相変わらず、なかなか自分の部屋から出ませんよ。パソコンでしょ、、、」
「、、どうしたもんかなぁ、、、、」と義三は呟いた。
「はい、どうぞ、はい、、、」君江は義三に水の入ったグラスを渡している。素直に薬を飲み終わった後、夫は「テレビを点けろ」とばかり目で合図をして{ さらにわがままになったのかなぁ、、} と君江は思う。そばのリモコンをとり、スイッチをオンにして夫に渡す。夫はリモコンを受け取り、テレビのほうに顔を向けようとしたとき、君江の後方に立っているゆむいに気づいた。「あら、ゆむいちゃん」君江はゆむいを見て声をかけた。
ゆむいは義三のほうをじっと見ている。「こっちおいで」と君江が促してもゆむいはじっと
見つめたままである。義三もじっとゆむいのことを見つめている。君江はゆむいを抱きかかえるようにして義三のそばに寄せた。
「ゆむいはいつ来たんだ?」と義三はゆむいに話しかける。そして腕を差し出しながら、ゆむいの腕に触れようとする。ゆむいは不思議と尻込みをしなかった。しかしいつもの無感動的な表情は変わらない。義三は左手でゆむいの左手をゆっくりとさすりはじめる。さすっている夫の義三の表情がみるみる明るく変わっていく。
そして上半身をさらに起こしながら、ゆむいの腕から頭に触れようとする。その刹那、ゆむいはさっと尻込みした。「おっ、」と義三は小さく呟く。
「大丈夫よ」君江は優しい声とともにゆむいを後ろから抱きしめる。
君江は小さな体の微妙な振動を感じている。
ゆむいの波打つ生命力をいつまでも感じていたいと思った。

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1-64 交渉の結果 

「ルルルルルルル、、、ルルルルルル、、、はい、もしもし、、、あぁ、、そう、、、そうわかった。それでケンちゃんはどっちがいい? 今日、泊まるところなんだけど温泉じゃなくてもいい?
 あ、そう、わかった。お任せでいいの? うん、わかった、、、所長、ケンちゃん、もうそこまで来ているそうです、、、、それにまた所長の携帯、鳴らしても出てくれないってケンちゃんブウブウ言ってますよ」
「あれっ、、、そう、、、、」和田はチエとその女主人もから少し離れるようにしてケンに電話をかける。
「それで私たち会社で泊まることになりますので領収書は出して貰えますよね?」
とチエは再び女主人に尋ねている。
「はい、領収書はもちろん大丈夫です。 、、、、」
「どうします?、、、お値段のほう?、、」
「わかりました。もう遅いですし、、、じゃあ特別ですよ、、4500円朝食付きでいいですよ」
とあきらめぎみの顔である。
「そうですか、わかりました。 所長、それじゃあ、今後のこともあるしここに決めますか?
気に入ったわ、、、ここ、、」
{「今後のこと」って?}と思いながらも「あぁ、いいよ」と私は歩調を合わせるようにした。
「それじゃあ、ここに決めます。朝食つき、税金その他込々で4500円」とチエは勢いがよい。
「へっ、、税金もろもろ込み?」と女主人は顔が少しゆがむ。
「もちろんです。いまはそうなっているでしょう? 価格表示って」
「、、、、いやぁ、恐れ入りました。お嬢さんにはかないません、、、 
もうしようがないですよねぇ、、、、、」と女主人はそう言いながら私に悲しそうな顔を向けた。
{ なんと言っていいかわからない }私は黙って見つめあうことぐらいしかできない。
するとチエは「駐車場はありますよね」とさらにたたみみかける。
「大丈夫です、、、、大丈夫です。空いているところにどうぞ入れてください、、 
ここに鍵、置いておきますから、どうぞご自由にお使いください」
と言いながら女主人は、私に三つの鍵を渡し、逃げるようにして階段に向かう。
そして聞こえるような聞こえないような声でぶつぶつと呟きながら、階段を下りていってしまった。
チェックインするときは普通、宿泊の受付カードか何かに泊まる人の名前とか住所とかを書かなければならないけれど、、、この後、あの女ご主人は何も言ってくれないし、それでいいのかな?
まぁ、これほど印象に残ればそれも必要ないのかもしれない。
「所長、どこの部屋がいいですか?」
「この部屋でいいよ」
「じゃあ、私は隣にします。2階のほうが見晴らしがいいし、、、ということはケンちゃんは1階ですね」チエは私を巻き込んで部屋割まで決めている。
車の音がする。ケンが到着したようである。チエは階下に下りて行った。
1階には誰もいないし、出てこない。
「ちょつと出ま~~す」とチエが奥のほうに声をかける。
「ふはぁ~~~~い」と奥のほうから、さっきの女主人の返事が聞こえてくる。
奥から聞こえてきたその声音は何か情けないようで勢いがまったくない、、、、、、
チエは外に出た。
ケンが車の中からにこっと笑っているように見えた。
手招きして車を誘導し、ペンションの青空駐車場に入れる。
このペンションの外の敷地内にはこじんまりとした小さな一軒家みたいな造りの露天風呂があることをケンに説明する。
「へぇ、なんか隠れ家的な露天風呂でいいですねぇ」ケンが言った。
露天風呂は自分の部屋の鍵で露天風呂のドアは出入りできるようになっていて、その入口に掛けてある札を裏返しにすれば「使用中」という表示になるのだ。内側からは鍵がかけられるようになっている。久しぶりに露天風呂に入れるかも。
「明日、対と女がペンションを出るところの証拠撮りをするが、それを二人に任せるぞ。、、、東京方面も逆方向も始発電車は5時くらいからだからな、必ず撮れ。行き先が東京だったら、それで今回は終了となる。もし何か変な動きがあったら、いつでも連絡をしてくれ、、いいな?」と任せられた二人はうなずいている。
{ 二人ともあまり眠る時間がないけど、まあ、ここはしょうがないな、、 }と思いながらケンとチエを見比べた。
チェックアウトは午前11時なのだが、対と女がいつ出発するのかわからない。
念には念を入れておかなければならないし、絶好の機会を逃してはならない。

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お読みいただきありがとうございました。

1-63 交渉

和田はケンに連絡をしてみることにした。
「どうだ、ケン、今どこだ?」
「ついさっき伊豆高原に着きました。そちらの場所を探しています」
「そうか、どうしてもわからなくなったら連絡くれ」
{ やっぱり、先ほどまでのケンは伊豆高原に到着していなかったのだ。チエもいい加減なものだ }そう思いながら和田はペンション「ソリエ」の左隣のペンションに向った。このペンションで対応してくれた女性に尋ねてみると部屋は空いていたが空室はツインになるという。
できればシングル的な部屋を三つほどほしい。
値段が1人13000円か、そんなものなのか?、、、。
部屋の値段を値切ろうとしてみたが、その女性は無愛想な顔で相手にしてくれなかった。
{ こんな夜中に部屋の空きを尋ねている不審人物と思われた? }
次に右隣のペンションに向って歩いているときにチエが戻ってきた。
「この後ろ側のペンションは部屋が空いているそうです」
「いくら?」
「1人朝食付き税別7000円でいいということでしたけど」
「へぇ~なんと安いじゃないか? そ、、それ、、、いいね」
「でもあそこのペンションより、目の前のペンションが立派だし、聞いてみましょうよ」
そこで、チエとともにこの右隣のペンションに入ってみることにした。
入口は小さいが凝っていて小綺麗なつくりである。中には誰もいない。
受付の呼び鈴を鳴らすとぽっちゃりとした中年の女主人らしい人が奥から出てきた。
{ 値切るのはむずかしそうだな? }
カップルと思ったのだろう、女主人はにこやかにはしている。
早速、交渉してみると値引きして1泊1人7500円朝食付きならOkとのことである。
{ チエと同伴だったから値引き交渉に応じてくれたのかな? }
と納得していたら、横からチエがひじでつつくようにして口を出してきた。
「あの~~もう少し、安くなりませんか?この近所のほら、〇〇とかいうペンションは
3人で3部屋だったら1人5000円でいいと言われたんですけど?」
「食事つきで?」
「えぇ、、ダブルとツインの部屋でしたよ、、もうそろそろ私たちどちらかに泊まるところを決めたいんです、、それでこちらではいかかでしょうか?」
チエにしたら普段より丁寧な語尾の使い方である。
チエは一見、かわいい顔でおとなしそうに見えるし、名前からして穏やかそうなのだが、、
「そうですかぁ、うちではむずかしぃですねぇ、、」
そう言いながらペンションの女性オーナー人は目をはずしながら「それに、、あそこのお風呂は「沸かし」ですけどうちは天然ですしねぇ、、、」
「私たちは明日早いし、、眠れればいいんです、、、それに実は私、、、こちらのほうが気に入ってるですけどねぇ、、」とチエが言い始めたのだ。
「お上手ですねぇ、、、、、東京から、、、それじゃあ、、思い切って同じくらいにしましょうか、、、、」
「そうですか、、、、、できれば部屋を見せてもらっていいですか?」とチエは女主人の顔を覗き込む。
{ えっ、部屋を見るの? この際どこだっていいんだけど、、、、}と和田は思った。
「どうぞ、部屋は空いていますので、、、ちょっと待っててください。」と言って、女主人は奥から鍵を取り出してきた。二階の空いている二つの部屋がそれぞれツインで一階の一つがダブルの部屋という。
三つともそれぞれ個性的な内装の小奇麗な部屋だった。
{ 天然温泉、これで5000円? 東京じゃ味わえないな }と私はほくそ笑んだ。
三部屋を見終わったチエは「さっきの部屋少し臭ったわ」とどちらに聞こえるともなく一言呟く。
「えっ、そんなことはないと思いますけど、、、、」
「、、、それにここも少しタバコの匂いがきついわ、、、あぁ、いやだ~、、、奥様、、、、、、もう少し値段、負かりませんか?」
「それはちょっと、、、、、、」と女主人はポーカーフェイスである。
「部長は温泉好きだからいいけど、私はどっちでもいいんです。今度、伊豆高原に友達みんなで来るのを計画してたから、それならやっぱり感じのいいところにしようとと思ってるのよ。
それにインターネットではすぐに広まるしね、、、」とチエはタメ口ながら部長の和田へ話しかけてくる。
{、、、、、、、}
「どうです4500円、朝食付きで? もう遅いし、、、私たちもどっちかに決めなきゃならないし、、、、、」
「4500円?、、、それはちょっと、、、」
「それに、ねぇ、部長、今回のここのお仕事一泊とは限らないんでしょう?」
「うん、それは、、、まだ、、、、、」と私は答えながら、{ 急にこちらに振られても、、、、この~~~}と言葉を選ぼうとしていたのだが、、、
そこにチエの携帯電話が鳴り出した。

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1-62 人の特殊能力

横を向いたまま応えるチエが急に大人びたように見える。
「はあ、そういう考え方もあるんだねぇ、、、チエ、ケンは今、どの辺を走っているかメールで尋ねてみてくれ」
「はい、、」チエは携帯を出して得意のメールを打ち始める。
夜の暗さの中に携帯の液晶の明るさが反射してチエの横顔が変化する。
さらに冷たくなっていく夜風がチエの髪のほつれ毛を揺らしている。
{、、怖~~い~女、、、}
チエは携帯でメールを打ち続けている。
相変わらずの早打ちをしながら呟くように言った。
「二人とも風呂からあがって着替えはじめてるみたいですよ」
「えっ」
{ 何、メールしながら、、チエには何かが聞こえてる?ということ }
和田には何も聞こえなかった。
{ どうもチエというのは普通じゃない。それとも女性というのはそういうところがあるのかぁ?
メールをしながら耳は違うところを聞いていたということか?いや、それともたまたま聞こえたのだろうか?だいいちあんな遠くだから、聞こえたとしてもかすかなはずだろう? }
和田が露天風呂のほうに向って耳をそばだててみたものの露天風呂の方から話し声や音は、まったく漏れ聞こえないのだが、、、、私の耳が悪いのかな? それとも彼女には特殊能力がある?}
すると遠くのほうで、今度はかすかであるが「ガチャッ、、ガチャツ」と音が聞こえてきた。
{ あっ、ほんとに出てきた、、、}
和田はあわててビデオカメラのスイッチを入れた。
チエは早々にメールを打ち終え、すでにビデオ撮りをしていたのである。
和田のビデオカメラの暗視液晶画面に対と女の浴衣姿が映し出された。
対と女はゆったりと夜空を見上げ、しばらく会話を交わしたあとペンションの中に入っていく。
{ それにしても彼らはどこの部屋なんだろう }
この方角からではすべての部屋は見えない。
「ケンちゃんからメールがきました」
「何て?」
「もうそろそろ着くとのことです」
「え、本当か? 着くと言うのは高速道路を降りたということだろう? この辺は林の中にある建物で番地がわからないのに近くまで来ているということか?」
「、、、、」チエからすぐに返事がない。
「近くにいるみたいです」
いつのまにか夜は更けていた。
和田は泊まる所も考えなければならないと気づいた。
「チエ、三人の部屋が空いているかどうか、どこかペンションに聞いてきてくれ。
できれば値段も交渉してみてくれ、両隣のペンションに聞いてみるから」
「行ってきます」と言ってチエは対と女の泊まっているペンションに向った。
「おいおい、、チエ、あそこのペンションは今回やめておこう」
チエは後ろを振り向いて「シーッ」というジェスチャーである。
そして「さっきの設置したものを取りに行かないと、、、」とささやくように言う。
「何、、えっ、、、そうか、、、わかった、わかった、、」
{ そうそう、そうだった、、露天風呂のところに設置しておいた録音機器のことを忘れていた }。
設置した機器が、誰かに見つかるはずもないだろうが、用が済んだものは早めに回収しておくほうがいいに決まっている。
どちらにしても対と女が露天風呂で、いちゃついたようなものだろうから、そんな趣味もないし、せいぜい参考程度と思っていた。浮気の証拠であればいままでに取り終えた動画だけで充分だからだ。

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1-61 死んでもらいます。

浴衣に着替えた二人が下駄の歯を敷いてある砂利をぎしり、ぎしりときしませながら、ペンション「ソリエ」の出入り口から出てきた。 
「おい、あれは対と女だぞ。 どうだ、そうだろ?」 
「あ~、そうです、そうです」 
和田は早速ビデオカメラを構える。隣のチエも遅ればせながら同様にそのスイッチを入れている。
対と女は露天風呂までをゆっくりと歩いたあとその扉の鍵を対が開ける間、女は空を見上げながら黙って待っている。 
まわりは暗いが絶好のビデオチャンスだ。大事な証拠のひとつになる。 
女は露天風呂の前で「きれい、きれい、」夜空を見上げ唐突に叫びながら、対の肩に手を回したのだが、対はそれに返答もせず誘うように露天風呂へと女を促した。
露天風呂は屋根は設置してあるものの、その屋根の四方から夜空がのぞけるような形であった。
形のはっきりとした星々がまばらに広がり都会にない夜空を醸し出している。
星空と露天風呂、そしてかすかに舞い上がる風が肌をよぎる。
薄暗い灯りと夜空から漏れてくる光が二つの裸体を柔らかく反射しその影をなまめかしくする。かすかに草ぶきの香りを含んだ立ち上る湯煙は重なり合いながら舞い、踊るようにして上昇していく。
足音を忍ばせてその露天風呂の建物近くまで行ってみることにした。
聞こえる、聞こえる、比較的はっきりと対と女の話声が聞こえてくる。
{ いちゃついている、、、}この露天風呂の建物自体が密閉されていないのがわかる。
まわりが静かすぎるから、露天風呂内の二人の会話が外に筒抜けなのだ。
和田はチエのところに戻って、録音の指示をする。
「周りに注意しろよ」暗黙の指示をする。
チエはうなずいて、機材を設置しに向かった。
元の張り込み位置に戻ると「かなりいちゃついていましたね、、うまく音、録れそうです」とチエは言う。
「気分も開放的なんだろうな、酒もだいぶ入っているし」
「あんないちゃついているのを依頼者が聴きかれたら大変ですよね、、それに、、、、、
ねえ、あとでゆっくりHしょうね、、、、うふふっ、あっ、いやだー」な~んて女のほうが言ってましたよ。
確かに周りが静かなので、意外と聞こえるのである。
「まったく、、、」
チエのなぜか生き生きした表情に見えた。
澄み渡る気の中で夜空の輝きを仰ぎ見ていると、「さっき背中の流しっこしていたようですよ」とチエは小さい声で言う。
「まったくなぁ、、いい気なもんだなぁ、しかも平日だしなぁ、
対は家を出るとき、奥さんに何て言ってきたんだろう?」
「そうですよね、、いやぁ~ねぇ、、」
「お前ならどうする? 夫の浮気を知ったら」
「死んでもらいます」
「えっ? 何?」
「え、、私が妻なら許しませんから」
「死んでもらいます?、、って言わなかった?」
「はぁ、言いましたけど」
「どういうこと?」
「自分でするのは嫌ですから」

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1-60 半月

1-60 夜空のたもと
遠く前方に停車しているタクシーのほうからそのエンジン音の強弱が伝わってくる。
{ あのタクシーはユーターンをしているのだろう。ということは対と女はそのタクシーから降りたはず }
やがて前方のタクシーがこちらに向かってくるのが見える。
「運転者さん、そろそろエンジンをかけてください」
運転手は止めていたエンジンを再始動させる。
和田は完全に閉めずにしておいた車のドアをバタンと閉めた。
「よし、それじゃあ、そのまま動かしてください」
「はい」私たちの乗ったタクシーとユーターンして向かってくるタクシーとはこの細い道ですれ違う。
すれ違いざま見ていると確かにそのタクシーには運転手だけだった。
「運転手さん、ここでいいです」
「成功しましたかな?」と運転手は私のほうへ振り向いて微笑んだ。
「ありがとうございました、おかげさまで助かりました、、、それでね、運転手さん、相談なんですが、今の尾行のことは内緒にしてくれませんか。実はまだこれからこの調査がしばらく続きますので、噂が広まるとまずいんです。またお願いするかもしれませんので」とにこりとする。
「わかりますよ。大変ですね」
「すいませんねぇ」私はそう言いながらタクシー代金に少し加えてチップを含んだお金を握らせた。
運転手に挨拶をしてタクシーから降りた。タクシーはもと来た道へと戻っていく。
まわりは暗い林に包まれており、私は対と女が降り立ったとところに向かって歩く。
しばらく歩くと林が途切れてペンションの看板がいくつか見えてきた。
{ どこだろうな? チエは大丈夫だったかな? }
近づいていくと三軒あまりのペンションがあり、その先の一段の高みのほうに数件のペンションがあるようだった。
{ そういえば対がコンビで見ていたあの旅行雑誌に載っていたうちの一つかもしれんな、、、、、対と女が選ぶとすればどのペンションだろうか? }と思っているうちにじゃりじゃりと足音が近づいてきた。
暗がりから現れてきたのはやはりチエだった。 
「二人はチェックインを済ませました。〔ソリエ〕というペンションです」薄い紙のパンフレットをチエは差し出した。 
「怪しまれなかったか?」
「大丈夫です」
{ よしよし、、}
このペンション「ソリエ」の住所をケンに連絡することにしたのだが、不思議なことにこのパンフレットには住所の記載はあるものの番地が書いてない。  
{ こんなところにケンは来れるかなぁ、、しかも夜に、、} 
ケンが運転している車はナビゲーションが付いていない車である。 
今頃、ケンはあのおんぼろ車で高速を飛ばしてこちらに向かっている。
「急がないでいい、安全運転でこちらに来い」 
「わかりました」と元気のいい声を出してはいたが、ほんとにここがわかるかどうか、、、 
気長に待つよりほかはないだろう。{ まあ、ケンのお手並み拝見ということか、、、}
ケンが到着する前にそのペンション「ソリエ」を調べておくことにした。
行ってみると二階建ての大きなペンションである。周りは林に囲まれ、両隣にはもう少し小ぶりなペンションが建っている。周りの木々や建物の出入り口にはクリスマスでもないのに豆電球がいっぱい点じており、あでやかな感じを醸し出している。出入り口から15mほどのところに別棟で屋根つきの露天風呂がある。近づいてみると「貸し切り専用」という小さな掲示板が掛けてあり、そこに天然温泉だという証明書も掲示してある。  
夜中の0時でクローズだが毎朝7時から入浴可とのことで、今は誰も入ってない様子。 
伊豆高原の晩夏は夜風がひんやりとするくらいだから、こんなところに来れば { のんびりと露天風呂につかれれる、、、 }と誰しも思うことだろう。 
「あっ、誰か出てきました」チエが突然、囁いた。 

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1-59 地の利

タクシーは走り出すと、すぐに和田は話しかけた。
「運転手さん、、、その先のところを右にぐるっと回ってください、、、、、、、そう、そこを、、
それでもう少し先であちら向きにして停車してください」
運転手の肩越しに腕を伸ばして指し示す。
まだタクシーは駅区域内の少しばかり走らせただけなので、対と女が気をつけて見ていれば、このタクシーの動きが一目瞭然なのだが、、、まぁ見ていても気にすることはないだろう。
この辺の停車位置だと、このタクシーの中から、タクシースタンドで待っている対と女の動きがわかる。
運転手はちらちらと怪訝な顔でバックミラー越しに和田たちを見ている。
「はいはい、ここら辺でいいです、それで全部ライトを消してもらえます? 、、、、ありがとう、いやちょつとね、事情がありましてね、、、それにしてもここのタクシースタンドにはなかなかタクシーが来ませんねぇ?」
「そうね、もう今の時間はね」
「運転手さん、、あのタクシースタンドで待っている二人いるでしょう?実はね、あの二人を尾行しているんですよ」
「、、探偵さんですか?」一応、、、、さんづけはしてくれた。 
刑事には見えないらしい。
「まあ、そうです、ここであの二人を取り逃がすわけにはいかないんです。これから運転手さんにうまく尾行してもらいたいんです」
「はぁ、それは大変ですね、、でも私はやったことがないんでわかりませんよ」
と言いながらもこの中年の運転手はまんざらでない様子なのだ。
「それでね、運転手さん、、、、」運転手と打ち合わせを行う。
「えぇ、」と運転手は声のトーンが多少上ずりながら返事をする。
なかなか協力的な態度で、尾行に興味が湧いてきたのか、面白がっている様子にも見える。
あのタクシースタンドのほうでは対と女が立ち上がったり、ぶらぶらしたりしているのが見えた。
だいぶ伊豆高原の生涼しい夜風が強くなってきたようで、そばの草木がなびいている。
そうこうしているうちに一台のタクシーがスタンドに到着した。
対が先で次に女がタクシーの後部座席に乗り込もうとしているのが見える。
{ さあ、いよいよだ、、、 }身が引き締まる。
ここが締めくくりの勝負どころなのである。
彼らの乗り込んだタクシーの動きをじっと注視する。
「出ていい、と言ってから出発して下さいね」と和田は運転手に念をおした。
まず出だしが肝心なのである。
「はい」運転手の素直な声が響く。
彼らの乗り込んだタクシーはもう広場を通り過ぎようとしている。
「さあ、それじゃあ、静かに動かしてください、、、」
いよいよタクシーは彼らの乗ったタクシーの追跡をするのだ。
{ が、、、、しかし、、、なんで、、、こんなに出だしがのろいの?、、 それにしてもこの運転手、、、出だしが遅すぎる、、、おいおい、、距離をおきすぎると思うが大丈夫かなぁ、、、}
夜の伊豆高原は建物が少なく見晴らしはいいが、さすがに道路も閑散としている。
夜だし離れすぎてもまずいから心配になる。
走っている道はなだらかな曲線を描いているし視界もそんなによくないのだから、距離をおいているから気をつけていないと見失ってしまう、、、、かといってもあまりに近づくわけにはいかないし、、、。
前方を走るタクシーは大通りから5分ぐらい走って左に折れ、
林のあるほうに向かっていくように感じたのだが、何度も右折左折を繰り返しているうちにどちらの方向に向かっているかさっぱりわからなくなった。
そしてこんどはなだらかな傾斜になり、前方を走るタクシーは国道からはずれて、すでに林道に入っていると運転手が教えてくれた。
「どっちに向かっているのでしょうね?」
「まあ、こっちはペンションの方向ですね。」
「一本道のようですね」
「今のところはね、この先、いくつか分かれ道がありますから、どっちへ行くでしょうねぇ、、、」
様子を見ているとこの運転手さん、、都会の運転手とは違う、、、地の利はもちろんあるはずだが、、、たしかに都会の人間ではない、、、、、、、「夜目」が鋭いようなのだ。
前方の車が急にスピードを緩めて、分かれ道を右へ曲がっていく。
運転手は慣れた手つきで、距離をおいてついていく。
「この先、四、五軒、泊まるところがありますよ」
そう運転手が言っているうちに対と女が乗っているタクシーが前方で止まったようだ。
「あっ、運転手さんここらへんで止めて、ライトも全部消してください」
木々の間からわずかに見える前方に止まっている彼らのタクシーを見守る。
「よし、チエ、静かに行け。 運転手さんドアを開けてください」
ドアが開き、室内灯が灯る。
「あっ、運転手さん、その明かりを消して」
「、、、」運転手は室内灯をすばやく消す。
「よし、気をつけてな、あわてるな、任せるぞチエ」チエの背中を押すように言った。
チエにはすでに何をすべきかを伝えてある。
林の中に降り立ったチエは、ザワ、ザワ、ザワ、ザワと葉や草を踏みつけながら、腰を低くして目標に向かっていった。
和田はチエが出て行ったとき開けた車の自動ドアを運転手が閉ようとするのを手で押さえた。
万が一にも対や女にこちらの車のドアの閉める音の気配に感ずかれたくない。
ドアを手で誘導しながら仮に閉じるようにしておいた。


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1-58 葛藤と沈黙

{ もしかすると、、、間違っていたのかも、、、}
さっき一度見失ったときにチエに「お前はそっちのほうで見張っていろ、絶対見失うなよ」と和田は指示していたような気がしてきた。
{ 、、そうかもしれない、、、いや、確かにそうだ、、、 }だんだん思い出してきた。
いまでは勘違いをしていたのはどうも私のほうだったような気がしている。
そうだとすれば和田は忘れっぽいさに恥ずかしくなっている。
対と女はこのタクシースタンドという小さなたて看板の後ろ側にあるベンチに座って静かに話し込んでいる。近くなのだが彼らの声が小さすぎて聞こえない。
今かけている携帯電話を一旦、切るようなしぐさをしたあと、他の人にも電話をかけるように装った。そして今度はチエに直接、電話をすることにしたのだ。
{ そうだ、、なんでそのことに気づかなかったのか、、、馬鹿だな、俺は、、}
和田の頭の中がぐるぐる回る。
「る。。。。る。。。。る。。。。」と和田はチエに電話をかけた。
「あっ、はい、、もしもし、、、」チエが電話に出た。
「あ~俺、俺、、、さっきはごめんね~~あ、もしもし、こっちにタクシースタンドがあるんだよ。そろそろタクシーが来ると思うから、早くこちらに来てよ」といいながら、私はチエの返事を促してみた。
「私にそちらに来いということですよね? もうこちらのほうはいいということですよね?」チエは念をおしている。
「はい、はい、そうですよ、、お願いね。」
そしてチエがようやく動き出した。
携帯電話を切った。ようやく気持ちが落ち着いた。夜風が顔に触れているのを感じる。
{ あれっ、何かヒリヒリしているなぁ、、、 }
手を当ててみると、携帯電話の話し声が外に洩れないように長い間、耳に強く押し付けてすぎていたようだ。
{ 耳が、、、ヒリヒリする、、、、痛~~、、、 }
対と女は和田のことをまったく不審に思っていないようだ。
いや、もともと対象者たちは、周りのことに関心がなかったというべきか、、、
ヒリヒリして丸く赤く染まった右耳をさすっていると、後ろ側のベンチに座っている対と女のおしゃべりがやんだ。
静かな夜の暗いタクシースタンドには私と近くにいる対と女の三人だけ。
伊豆高原の沈黙の闇が広がっていてなんとなくやれきれない。
駅近くで誰かが車で向かえに来たらしく、乗車して去っていく様子が遠めに見える。
夏の終わりでもさすがに伊豆高原の夜風は冷たいくらいになっている。
この時間ではタクシースタンドに来る人はいないようだ。考えてみれば、旅行者ならすでに泊まるところに着いていなければおかしい時間ではある。
駅からの光を背中に受け、かすかに足音が近づいてきた。チエである。
和田はすかさず「結構、寒くなってきたな?」と近寄ってきたチエにウインクしながら招き入れる。
「そうですね、、、、、?」チエはきょとんとしている。
{ 日ごろはおしゃべりなチエなんだが、、なぜか乗ってこないな、、、それとも緊張してる、、、そうは見えないが?、、対と女の様子を探っているということか、、 }
対と女のほうは途切れながらもぼそぼそと会話をしているようだ。
まあ不自然ではないのだが、ただ落ち着けない時間がゆっくりとすぎていく。
そして和田たちもしゃべることがなくなってつい黙ってしまう。
しばらくすると小さな明かりがちらちらと向かってきているようだ。
{ おっ、、、タクシーのようだ、、}と和田は心の中で呟いた。
ようやくタクシーがこのスタンドに到着した。私たち二人はひとまず乗車する。
後部の自動ドアを閉めた運転手が「どこですか?」と聞いてきたので、「まずは動かしてください、、知り合いがまだ到着していないので、この辺で少し待ちたいんです」と私は答えたのだが、運転手は「はぁ、じゃあ、ここで」と言って車を動かそうとしない。
「いや、運転手さん、ここじゃあ、まずい、、、、そうだ、、いえ、いや、ちょつと、、、少しぐるっと走ってくれませんか?」
「ぐるっと、、? 、、走るんですか?」
「はい、お願いします」
タクシーの運転手は怪訝な顔でバックミラー越しに後部座席の私たちをちらちらと見たあと車はゆっくりと動き出した。
対と女はタクシースタンドで次のタクシーを待っている。

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1-57チャンス

すぐに和田はチエに電話をかける。
「おい、チエ、駅に向かって左側方向に人がいるだろう」
電話に出たチエに「もしもし」も言わずに和田は怒鳴りつけるように言葉を放つ。
「はい、、」
「わかるか?」
「、、、、、、」こんどはチエから返事が来ない
「駅を背にすると右の隅方向だ」再び怒鳴った。
「あ、、はい、あれでしょうか? 駅の角近くの二人でしょうか?」
「そうそう、お前から二人が見えるか?」
「はい、おそらく対と女だと思います。」
{ ほんとか? あ~~~よかった、、}和田は安堵した。
「そうだ、それに違いない、チエ、お前はそっちのほうで見張っていろ、
絶対見失うなよ、二方向からだと見失わないはずだ、 もし誰かが車で迎えに来られでもしたら追尾がむずかしくなるからな、、目を離すな、、わかったか?」
和田の意気込みに押されたのか、「あ、はいっ!」チエの返事のトーンもいつもより高い。
チエに指示をしながらも彼らの動きを注視して目を離さないようにした。
ここで再び見失うことは絶対にできないのだ。
ここからは遠いから、人が注視していることなど対と女は気づかないはず。
ここまできたらどうしても見逃すわけにはいかないし、
動き次第で、すぐに対応しなければならないのだ。
和田はその二人を睨みつけていた、、、
田舎のことだからタクシーはいつ来るのかわからない。
それにしても先ほど対と女がタクシースタンドに来たときにタクシーが来ていなくてほんとによかったと思う。もしタクシーに乗って行かれでもとしたらと思うとぞっとする。
後続のタクシーがないのだから、尾行はそこで万事休すになっていたはず。
、、怖い話だ。
{ よよっ、、}駅近くにたたずんでいた彼らが再び動き出したことで和田の心は震える。
しかし彼らの近くには停車している車も迎えにきている車もない様子に少しばかり安堵する。
{ あ~~よかった }しかし、、、
{ あれっ、またこっちへ歩いてくる? ということは、、、、もしそうだったら、いや~~確かに幸運、、、、、このタクシースタンドで、今度はこの私が先頭にいることになる、、、 }
彼らはだんだんとこちらに近づいてくる。さっきの危機が私の幸運に繋がっていたのだ。
{ しかしまたこっちに近づいてきている、、、私はどうする? 挨拶するわけにもいかないし、、、黙っているのもなんとなくぎごちない、、、}
とっさに私は携帯電話をかけている様子を装うことにした。
伊豆高原にあるホテルにすでに到着している友達に電話をしているふうを装うことにしたのだ。
「いや~~遅くなっちゃって、ごめん、うん、今から行くよ、うん今のところ二人でね、、、うんうん、、、タクシーがまだ来ないんで、、今待っているところ、、、はい、はい、、、うん、、、、、なるほどねぇ、」と言いながら私はまわりの様子をうかがっている。
しばらくして対と女は私の後ろのほうから近づいてきて少し離れて立った。
後ろの対と女はぽつりぽつりとしゃべっている様子である。
{ やっぱりタクシーを待つつもりなのだな、、よしよし、、、あとはうまく演技しなければ、、}
と思いながら携帯電話を耳にあてながら通話しているふうを装っている。
{ それにしてもチエはどうしたのだろう? もうここに来てよさそうなのに?
もしタクシーが来てしまったら、私一人で乗ることになるな、、早めにチエを呼ぼう、、}
あたりを見回したが、チエは近くにいない。
{ ははぁ、あれか、、あれだな、、チエは駅のところからこっちを見ているようだ、、}
暗がりに慣れた私の目はチエを確認した。
{ それにしてもチエは何をしているんだ、、私を一人にしておくつもりか? 
対象者たちはここに来ているのだから、、、もうこちらに来てもいいだろう、、、
早くこっちへ来いよ~~}と私は思いながら通話しているふうを装い続けている。
{ いい加減、チエはこっちに来ないのか }
私はしびれを切らして行動に移す。
対と女の視界に入らない隙を狙って私の片方の空いた左腕でチエと思われる人影に向かってこっちに来るようにというゼスチャアを何度か試みる。誰かと電話をしている装いをしながらである。
しかしチエの反応がないように見える。
{ 暗いから、俺のこの「来い」というゼスチャアが見えないのかぁ? }
私はもう一度、手招きするように動かしてみたのだが、どうもあいつは理解していない
ようなのだ。チエは動かない。
{ チエはこっちを見ているはずなのに~?  俺の動きが読めない? }
私は対と女の視界に入らないときにさらに私の腕と上半身を大きく動かしてみた。
今度ようやくチエが反応ある動きをしているような、、、、、
、、だが上半身というか頭の動きが少ししている、、、
{ あいつの動きは私にだいたいわかるのだから、チエも私のほうは見えるはずだ?
、、、何か、不思議そうな頭の振りのような、、、、、意味がわからないのか?、、、、
なんて奴だ、鈍感なのか?、、、、
まてよ、あちらのほうが照明がたくさんあるからこちらより明るいはずだ、、
もしかするとこちらのほうは見えにくいのかも? }
そうはいっても対と女が近くにいるからここではあまり変な動きができない。
対と女に私の動きに感じられたら、あとあとが大変なのだ。
私は対と女の様子をうかがいながら、チエにジェスチャアをしているから、悟られるはずはないと思うが、万が一ということもある。
絶対に私のこの変な動きを感じられて、印象に残ってはまずいのだ。
{ それにしてもチエも状況でわかりそうなもんだがなぁ、、、どういうゼスチャアをすればチエはわかるんだろうか?、、しょうがない、、もう一度、気持ちを込めてやってみるか? }
私はチャンスを狙い、このときとばかり今度は気持を込めながら、上半身を総動員して動かしてみた。
するとチエは両手のひらを空に向けて両腕を伸ばしている。それを何度か繰り返した。
{ わからない?ということか、、なんという鈍感な奴、、}と思った瞬間、思い出してきたことがあった。
{ もしかして?、、、、間違っている? }


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1-56 幸運

しかし、よ~~く見ると暗くてよく見えないが、あの辺にベンチみたいなものがあるようなないような、、、}和田は目を凝らした。
さすがの私も心細くなって後ろ側の駅方向を振り向いた。
やはりこんな状況の中、チエの姿は見えない、、、、、
肝心なときいつも奴はいない、、、、
{ どうしょう、、、、??? }
さらに歩幅を緩めてゆっくりと動いていると彼らは来た方向を逆戻りしてくる動きをみせた。
{ あれれっ、こんどはこっちに向かって来る?、、、もっと悪い状況になる、、、このままだと私は彼らと鉢合わせしてしまう、、何てことだ、、、まさか怪しまれたわけではないはずなのに、、、、}となればこちらに向かってくる彼らのルートと微妙にはずしていくほかない。
幸運にも私はこの広場のほぼ中央付近にいるから彼らと適当な距離をおいて自然にすれ違うことができるはずだし、まわりはだいぶ暗くなってきたし、私の顔はよくわからないはず。
{ しかし彼らはいったいどこに引き返そうとしているのか?、、、もとの方向だから駅方向になるのだが、、、、 }彼らは私とすれ違った後、やっぱり駅方向へとゆったりと戻って行く。
彼らが駅に用事があるとしたら、きっと駅かその周辺にいるチエが見つけることだろう。
私は彼らの動きを気にしながら、先ほど彼らが立ち止まっていた広場の端の地点まで来てみた。
ここには長椅子が二つ置いてあり、小さな外灯が一つポツンと灯っている。
これは、、、ひょつとするとタクシースタンド?
よく見ると小さな看板が立てかけてあってタクシースタンドと書いてある。ここにもあった。
{ なんと彼らはタクシーに乗ろうとしていたのか? しかしタクシーがきていなくてほんとに幸運だった。もしきていたら、私たちの乗る後続のタクシーがないはずだから、見失っていたはずなのだ、、、ところであの二人、、、何しにいったのだろう ? }
私はすぐにチエに電話をかける。チエは駅近くにいるはずなのだ。
携帯電話の呼び出しコールが数回鳴って、ようやくチエが電話に出た。
すぐさま私は「対と女はそちらに向かったぞ、見たか?」と怒鳴った。
「いえ、こちらにはいません」
「えっ、いない? そんなはずじゃあ、、、じゃあ、どこにいるんだ?」
「ちょっと見えません。」
「お前、どこにいるんだ?」
「まだ駅のところですけど、、、和田さんはどこですか?」
「何、、、? 俺はまだ広場だ。見えないか? それより、対と女は駅のところに戻っているはずだ、、、、おかしいな、、、、そっちにいるはずだぞ?」
ここで見失ったら、何にもならない、、、私はいらいらしてきた。
私は駅方向に目を凝らした。すでに駅周辺の外灯が灯っているのだが。
{ あっ、いた } 小さい木立とチエのうろうろしているシルエットだけが浮かんでいる。
{ しかし肝心の対と女は いったいどこへ消えたというんだ? } 私の頭は熱くなってくる。
しかしいつまでもチエからは連絡が来ない。
{ まさか、、、すでにどこか他に行ってしまったというのか?
さっきすれ違った後、私もユーターンしてついて行けばよかったんだ、、くそっ! 
だが、あのとき、すぐに後をつけていくのはあまりに不自然に思われたのだ。
もし彼らが振り返って、私を見たら { あれっ? } と思うかもしれないのだから、すぐに追尾する勇気がなかった、、、、やっぱり、、素直について行けばよかった、、失尾?
今から追っても間に合わないだろうか?、、でもどこへ消えたというんだ? }
私はまたしても後悔の念がふつふつと持ち上がってきた。
{ でもなんとかして探さなければならない、、、}さらに緊張が高まってくる。
ここまで尾行したのに失敗に終わったら、ほんとに惨めになる。
{ 時間がすぎればすぎるほど彼らの所在がわからなくなる、、、、}
私は駅周辺を睨みつけ、走って向かうことにした。
「あっ !」
瞬間、私の目に映った何かの動き、、、{ あっ、暗闇が動いたように見える。もしかすると?}
駅のはずれにたたずんでいる一人の黒いシルエットが動く。
だんだん暗いところに目が馴染んできていた。
「あれ、、、何?、、、あれは人だ、、よな?」
さらに目を凝らしてみると黒い影がかすかに動いていた。
{ もしかすると、、、そうであってほしい、、}
私は心の中で叫んだ。かすかに動いた動きが対に似ている。
しかし一人だ。 { 違う、、、? }

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1-55 岐路

チエと和田は改札前近くまできた。
一瞬、チエは情けない顔をしている。
対の次に乗車チケットのチェックをしようと改札口にきていた下車客を和田は追い抜く。その下車客は、私たちの割り込みを{ 何、何、? } とばかりに目を白黒させている。
和田はその下車客に軽く会釈をしたあと、すぐにチエに言った。
「それじゃあ、チエ、払っておいてくれ」
「えっ?」とチエはキョトンとしている。
「お金は大丈夫?」と私はチエにたたみかける。
その改札口でチェックしている駅員がキョトンとしている。
「へっ!、、、 あっ、はい」突然だったのか、チエはしどろもどろになった。
和田は駅員に向かって「彼女が二人分を払いますから」と言い終わりながら、すぐにそのまま改札を通り過ぎた。

こんなことで戸惑っているようでは用事がすまない。
対と女を見失ってしまうのだ。
駅員もチエもポカンとして和田を見送っている。
こういうときはなんとしてでも誰かが尾行を続けなければならない。
伊豆高原駅はすでに薄暗くなっていた。
前方に駅を出た対と女がゆっくりと前の広場を歩いているのが見える。
和田は適当に距離をおいて歩いている。駅だからタクシーなどに乗られると尾行に失敗する可能性がある。なぜならば田舎ほど1台しかないか、あるいは1台も待機していないことがあるものだ。見回すと数台の車が停車している。
しかし対と女はそちらのほうに向かって歩いていない。
{えっ、、どこへ}それでも少しばかりホッとはしたものの気が許せるはずがない。
夏休みが終わった季節で涼しい風が吹いている。
駅前の広場のところどころには外灯が灯っていて、遠ざかるほど暗くなっていく。
前の二人は駅前広場を横断するようにゆっくりと歩いている。
{ どこにいくつもりだろう?、、、その先は何があるのか? 何もないようだが、、? }
と和田は目を凝らしてみる。もしかするとあの二人に向かえの車が来ているかもしれないと思って、和田は神経を尖らせているのだ。
もしタクシースタンドなら普通、駅前にあるはずなのだが、彼らは駅の広場の中央付近を歩きながら遠ざかろうとしている。
その先には車の1台も見えない。広場の端のほうに向かってゆっくりと歩いている。
今のところ誰かが彼らを迎えに来てきている様子も見えない。あるいはホテルからの送迎があるかもしれない。
{ どこへ行く つもりなんだ? まさか、目的地まで歩いて行くつもり? }
この広場には前方に歩いている対と女を追尾しているだけで、まったく人っ気がない。意識して尾行している和田にとっては非常にやりにくい。が悪いことに、彼らは広場の端付近まで行くと突然、立ち止まってしまった。
これはたまらない。{ これは、、、さらにまずいことになった、、、 }
こんなところで立ち止まられるとその後ろ側から近づいていた和田としてはやりきれない。
かと言って和田一人だけ、この広場にぽつんと立ち止まっているわけにもいかないし、、、、
「う~~ん」と思わず唸った。頭がカ~ッと熱くなってくる。
{ こんな広場のど真ん中で、身を隠すところがない、、、、どうしたら?、、、、あぁ、このままだとますます対と女のところに近づいていくばかりだ。でもそこまでなんとなく自然に歩くしかない? あっ、対が和田のほうを向いている。立ち止まるのもおかしいし、不自然なこともできないし、かといって近くになって対と挨拶?する? いや~~、、、、、、だいいち対のいる付近に何があるのだろうか、なぜそこにいるのだろう。何もないように見えるぞ。そんな何もないような見えるところに対と女がいて、そんなところに和田が向かうのも不自然かもしれない。これはまずい。相手に感じられずに尾行していたつもりが、、立ち止まっている相手のところに近づいている。対と女の周りには一人っ子一人いない場所だから見失ったら怖いと思う一途で追尾してきた。尾行というのはある程度までは近づいていなければ見失う。対と女が次にどういう行動するのかまったくわからない、周りに誰もいない夕方の状況。対と女が近づいた和田を見た場合、どういうふうに見えるのだろうか?
心細くなるばかりだが、かといってここから引き返すのも不自然だし、、、、この広場のど真ん中でずっと立ち止まっているのも誰が見ても不気味だろうし???、、、、、 
それにしても彼らが立ち止まったいるところには何があるというんだろう ?
それとも何もない?、、、確かに対と女の周りには何もないように見えるし、そこに近づいている私は余計、彼らにとって怪しくなるはず、、、、いっそここで立ち止まろうか?、、、、、
どうしよう?


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1-54 窮地を前にして

対と女の二人は座席に着くやいなや買ってきたビールを取り出して飲み始めた。
対のバッグと女の荷物は頭上の荷物置きにすでに載せてある。
幸運にも和田とチエは彼らから頃合いのいい後方側に座ることができた。
「女のほうはそんなに若くないようですよ」とチエは座りながら私に話しかける。
「そうかぁ、何才くらいに見える?」
「そうですねぇ、30前後でしょうねぇ」
もう少し若く見えるのだが、チエにはそうでもないらしい。
さらに「今日はお泊りですよね」とチエは言う。
{ そりゃあ、そうだろう }もう午後6時半は過ぎているのだから。
二人は、はたしてこんな時間からどこへ行こうとしているのか?
「チエ、ケンにメールを出しておいてくれ」
チエは慣れた手つきで携帯電話を取り出し得意の早撃ちメールを始めた。
和田は「ちょっと休むからな、動きがあったら起こしてくれ」
「はい」しなる指でメールをしているチエを横目で見ながら和田は目を閉じた。
{ しばらく休めそうだ、、}彼らはこの電車でゆっくりと酒を楽しみながら目的地に向かうらしい。和田は彼らの監視をチエに任せて睡眠不足をこんなときに補おう。
{ 女を連れている、とすると行き先は、せいぜい2~3時間の範囲だろう、、、酒を飲みながらというと、、? }
どちらにしても対と女の動きがあれば頭上の荷物置場においた荷物を下ろすはずだからわかりやすい。
{ しかし、今日のここまでの尾行は危うかったなぁ、、}

ひさしぶりに調査をした和田はここまでのあらすじを反省し始めていた。
和田は対を一人で尾行しなければという思いから、自らを引き締めたはずだったのに、それでも品川駅のところでうっかり見失いそうになった。
対が電車から降りることはわかっていたのだから、ラッシュアワーの状況に合わせて、そのときの対処をもっと考えておかなければならなかったのだ。
いつものように失敗をしないだろうと高をくくっていたことが現場の状況判断を甘くするものだ。久しぶりの調査だったにして、似たような経験している自分だったはずなのにである。
確かに予想外の状況が展開するのが現実なのだが、{ 慣れは自分を甘くする要素を含んでいるし、イマジネーションの停滞に繋がっている }そう思いながらも電車の心地よい振動が眠りを誘う。
{ あぁ、眠、、、 }和田はすぐに睡魔に吸い込まれていった。
そして、、、、
「和田さん、、、」の声に私はびくっと反応した。
「降りそうです」チエが私の耳元でささやいた。
「どこだ?」
「次は熱海です」
なるほど前方に荷物を中腰で整理している女の横顔が見える。
「熱海か」熱海は昔から有名な温泉地で名前の通り、海に近いせいかその温泉は塩っぽいが泉質はよい。
電車は熱海駅に入った。
対と女は熱海駅に到着した電車から降りた。ホームから、階段を下りていく、、
{ あれあれ、乗換え? }彼らは改札の方向ではなく、乗換えホームへ向かっている。
{ 熱海じゃない? }

彼らは伊東線のホームに上がった。
到着していた電車に乗り換えた後、座席に座わった。
見ていると再び、酒を飲み始め、心地よい気分でいるのか、乾杯している様子。
電車は出発する。
{ それにしてもこの二人、よく飲むなぁ、いったいどこに泊まるつもりなのだろうか ? }
そうこうするうちに、、、、

女がおもむろに立ち上がろうとしているのが見える。対が荷物を降ろそうとしている。
{ 次は伊豆高原駅、、、} ようやく辿り着いたようである。
二人はここまででだいぶ酒が入っているはずなのに電車から降りたあとも足取りは変わらない。
数人の下車した乗客とともには改札口に向かって歩いていくのだが、先に見えたのが、改札口に立っている駅員だった。
切符をチェックしているようなのだ。
現在はSUIKAなどのカード類で簡単にどこでも改札を通り抜けることができるのだが、当時、私たちが東京都内で使用していたカードでは、東京から伊豆高原までの遠方までは対応していなかったから、我々としてはあせった。
{ どうする? 前に歩いている彼らがここまでの切符を買った形跡を私は見ておらず、彼らがここまでの切符を持っているかどうかわからないが、持っていたらスルーで改札口を通過する。もし彼らが切符を持っていなかったら、ここまでの電車の不足料金の精算をした後に我々も同じように清算をする必要がある。我々は東京の渋谷駅をJRカードで通過して、ここの改札口を出るにしても田舎だからカードの精算機がおそらくないから即座には清算ができない。とすれば今までのカードを駅員に見せたり説明したあと清算することになり、時間を食うはずだから尾行が続けられないことになる。警察じゃないから、事情を話しても駅員が我々をそのまま通過させてくれるはずもない。どうする? }
それに前に歩く対象者たちのすぐ近くまでの接近は避けたいために対の後に何人かの他に下車した客の後ろのほうに和田とチエはいる。その前の人たちの誰かが清算をするかもしれないから、その場合はそのまたあとになる。
そうなると完全に尾行が続けられなくなる。
「ちょっと待ってください」と駅員に引き止められでもしたら万事休す。になる。
そう気づいたら { あぁ、気づくのが遅すぎる }

和田は突然、走り出していた。
チエも感じたのか、和田のあとに

続く。
ところが、前方に見える対と女は切符を差し出しながら、改札口を通過してしまったのである。
{ えぇつ、、彼らはここまでの切符を持っていたとは。もしかすると女が買って持ってきていたのか? 、、、このままでは尾行ができなくなってしまう、、そうなるといままでのことが水の泡にな、、、る、、、万事休す、}
それに駅に停車しているタクシーか、あるいは待ち合わせの車にでも乗られたら完全に万事休すになる。
どちらにしてもこの尾行は不可能になるのは、このままだとほぼ間違いない。
それでも和田とチエは数人を追い越して改札口に向かって走った。
{ やはり駅員が、対の後に続く下車客のチケットをチェックしている、、、まだ対象者たちはまだ前方に見えている}
「ど、ど、どうします?このままじゃあ、ここまでの切符をもっていませんから、清算しないとここを出られません、、、、、どうしょう?、、、どうします? 」
チエが息を切らせて、すぐ私の横まで追いかけて来て声をかける。
このままだったら清算しなければならず見失うことになる。彼らを見失わずにこの改札を通過しなければならないのだが、清算をせずに改札を無視して通ろうとすれば大騒ぎになってしまう。
しかし、、、その現実がすぐそこに迫っている。
チエはいつのまにか和田を追い越すようにしながら、小声で怒鳴った。
「もう、、、どうするんです?????」


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1-53 緊張

心のどこかで諦め、いや諦めたくないという気持ちが錯綜しているさなか垣間見えた。{ あっ、あれ? }それはほんの瞬間だった。
{ あっ、いたっ、、あれだっ、}希望のともし火が{ ぽっ! }と灯ったのだ。
{ それっ! }っとばかり近づいていく。
{ やっぱり対だ、あ~~よかった、、}よく見える位置まで近づく。
やっとそこで安堵したのもつかの間、今度は対が突然、後ろを振り向いたではないか。
 { うっ、、、}一瞬にして、つまり和田のいる方向を振り向いたのだ。
和田の身体が凍りつく。あまりに突然だったので対と目が合ってしまって身動きできない瞬間があった。
{ まずい、目を合わせちゃ }と和田はすぐに目をそらそうとする。習慣ではある。そして体を動かした。
よそ見をするようにして対の視線のコースを外れながら歩いて行く。こういうときに最も大事なことは相手の目と合わせ続けず、かつ自然と動いている状況をつくることが大事だ。
{ さっき突然、振り向いたのは、、まさか警戒している? いや違うだろう、、それにしても何のために振り向いたのか? しかし今度は、このまま対とすれ違うように通り過ぎたまま距離をおくとまた見失う恐れがあるからまずいし、かといって対を変に見続けるのはやりにくい、また見失ったら困るぞ }といろんな思いが駆けめぐっていく。
和田はうまくタイミングを計って近くの雑貨店に入った。
雑貨店の中から、ちらりちらりと対を見ていると対は人々の通っているその通りの片隅に立ち止まり、メールを始めているではないか。
そしてメールが終わった対は、すたすたと歩いて近くのコンビニエンスに入ってしまった。
{ うむっ、、、!} 和田の携帯電話が振動している。見てみるとチエが品川駅に到着しそうだとのメールである。{ やれやれ、やっとか来たか } こんなときには返信メールをしている余裕がないから電話でチエに指示をすることにした。
そうこうしているうちに対がようやくコンビニから出てきたのだが、ビールなどを買い込んだようで、ビニール袋を二つぶら下げて出てきた。
その後ろには、肩先までの髪の女性 (今後はこの女性を「女」と称することにする)が続いている。
{ なるほど、ここで二人は待ち合わせをしていたのか、、、ふ~ん、、}
対と女は寄り添うようにして品川駅構内を歩いていく。
そして東海道線のホームヘと降りていく。
{ それにしてもチエはまだか、、、、ったく }和田はチエに再び電話してみる。
和田の指示に「わかりました」ってチエは応えた。
{ 「わかりました!」って、チエが電話を切るときの返事は小気味いいのだが、、、、、ほんとうにここの場所わかっているのか? ここに間に合わなかったらどうしてやろうか、、、、? }
しばらくするとチエがホームで待っている和田のところに小走りでくるのが見えた。
{ やれやれ、間に合った }
チエは「すいませ~ん」と小声でささやきながら近づいてきた。
「ほら、あそこに見えるだろう、、あの男、、、、あのビニール袋を持った男だ。、その隣に女がいる、、あれだ、わかるか? 
「あ、あれですね、、、」チエは獲物を狙うかのようにじっと先の二人を見つめる。
「今のうちに撮っておけ」
チエはバッグに隠し装着しているビデオカメラを対と女に向けて撮り始めた。
あちらはまったくこちらを意識していない。
「よかったな、、、、、間に合って」
「、、、、、」チエは返答せず撮っている。ホームには帰宅ラッシュなのか人の動きが激しい。
私たちがビデオで撮っていてもまわりはまったく関心を持たれない。
このホームに電車が到着するとのアナウンスが流れる。
{ さてと、、打ち合わせをするか }とチエを見るとまだ対と女を撮っている。
「おい、チエ、もういいよ」と和田は声をかける。
ちょうどそのとき電車が入ってきた。下りの電車がホームに近づいてくると同時に私はチエと打ち合わせを始めた。
「いいか、この人ごみぐらいだから隣の車両からでも見えるだろう、あの二人が車両に乗り込んだら、お前はすぐに隣の車両に入れ、、そして対と女がどこに立つのか、座るのかを見極めろ、、そこがまず大事だ」チエは少し緊張したような表情で、私の話にうなずく。
チエの耳が心なしか赤くなっているようだ。
{ 変なところで色っぽい、、}

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1-52 発想の応用


その矢先、対らしき人物が出てきたではないか。
{ あれれっ、対じゃないか? }予想より早い。早すぎる。
こと調査というものは予想を裏切ることはしょっちゅう。しかも必ずと言っていいほどいろんな邪魔が入ったりする。
しかたがない。和田は一人でそそくさと対を追いかけることにした。
「ルルル、、、」「ルルル、、」「ルルル、、、」と和田の携帯電話が鳴っている。
車担当のケンからだ。「うん、対なのはわかっている。 お前、チエに連絡してくれ」
和田は対を見失わないように慎重につけていく。
対は前回と同じような感じの背広姿で歩いている。
渋谷駅ハチ公前の交差点で止まった。ここで少しは時間を稼げる。
対を目で注視しながらも「ルルル、、、」「ルルル、、、」とチエに電話をかける。なかなかチエは出ない。交差点の雑踏に消え入りそうになる対を見失わないように位置をとっていく。
長い信号が変わり、対が歩き出した。対は携帯電話で話しながら駅方向に向かっている。{、、たくっ、こういうときにはチエは電話に出ないな、、何やってんだ、、}
尾行というのは簡単そうで、そう簡単ではない。いままで知らない人だった人を尾行するのだから、その対に一切感じられずに尾行を続けなければならない。通常、大組織での尾行などであれば複数人によっての対の尾行ができるわけだから、それほど問題はないとはいえよう。しかしほとんどの探偵社は少人数の組織である。だから尾行を続けるには、尾行する側の姿はできるだけ対に見られないほうがいいに決まっている。しかし見られたとしても対は尾行されていると思っていないはずだから、通常ならばほとんど問題はない。ところが尾行者が何度か対の視界に入ったり、印象に残る姿を見られ、対の記憶に残ったりすると{あれっ?、さっき見た人じゃないか?}と感じられることがある。結果的に自分が尾行されていると感じられたら尾行を続けるのはできなくなる。もし対が何か秘密事を持っていて、尾行されるかもしれないと少しでもそういう不安があるとすれば、最初から警戒されることになるから尾行自体が難しい。だが通常はそういう人はあまりいない。しかし最初から警戒する対を最初のほうでうまくやりとげることができさえすれば、警戒心を解くことになるから、その後の尾行はとても楽なのである。しかしこれまた難しいものだ。
この発想はいろいろな機会や商売などで応用できる。
 対はJR渋谷駅のハチ公口側の改札へと入っていく。
そして山手線内回りホームへと上がった。
{ ん、、恵比寿、、、品川方面、、か? }するするとホームへ電車が入ってきた。
こちらもやっとチエが電話に出た。やっと電話が通じたのだ。
すかさず「 おい、いつもとは逆だ、品川方面、もう電車が来た、俺は乗るぞ、急げ!」
「はい」やけに落ち着いたチエの返事が聞こえる。
和田は、すぐに電話を切って対に目を馳せる。
{ おいおい、チエはやけに落ち着いていたな? 近くにでもいるのか? 和田はそれどころじゃない } ラッシュアワーだけに相当込み合っている。和田は対の後方側から乗り込む。
{ ちょっと離れすぎかな? } と思いつつ、対のいる方向を見つめると、、、
{ あの辺にいるはずだ }だが混んでいて人の頭で対の姿は見えない。
電車は動き出す。これじゃあ、おそらくチエは、この電車に間に合っていないだろう。
しばらくするとチエからメールが届いたのだろうか、携帯電話の振動が私に伝わってくる。
電車は次の停車駅の目黒駅に入っていく。
{ メールなんか、見てられない、それより対は何処に立っているのだろう、対はまさか、用を思い出して急に降りたとか、いやいるはずだぞ } 和田は対が見えない不安から額付近に汗がにじみ出そうである。
しかしこの目黒駅での乗り降りでごった返しの隙間から、やっと対がちらりと見え隠れした。やっと安堵した。
そして電車は和田とチエと対を乗せたままスィ~ッと出発した。
メールを見ると { 今、向かっています } とチエからのものだった。
{ そんなことはわかっているよ、早く来い } 和田は目黒駅を通過している旨の返信メールを急いで打つ。
{ いったい対はこれからどこに行こうとしているのか、、、?}
チエが尾行に間に合わなかったのは和田の油断からだった。
よくまぁ、チエに飲物を買いに行かせているタイミングに対が出てきたものだ。タイミングが良すぎる。
この調査は二日目だったし、3人で張り込みしているから少し慢心していたのか、こんな早い時間に対は建物から出てこないだろうと高をくくっていたのだ。
しかし { そんな反省しているうちに見失ったら大変だ } と一人で尾行している自分の気を引き締める。
電車内の対は携帯電話でメールをし続けていたが、しだいにそわそわし始めているような感じがする。{ もしかしたら、次の駅で降りる? }
いつのまにか電車は品川駅に着こうとしている。対は鞄を体に引き寄せ、前の乗客の背中を押すように近づいてドア側に向いている。
{ チエに連絡をするのは後にしよう、 油断をすると見失うぞ } と和田が思っていると電車は品川駅に到着してドアが開いた。
案の定、対は降りていく。和田もその動きを見て降りようとするが、前の人たちがつっかえて降りようにもなかなか降りられない。
{ まずい、、 }
和田は思わず「すいませ~ん」と一声を放つ。
だが前方の乗客の一人がちらりと振り返りながら怪訝な目で和田を見やっただけである。
降りようにもすぐに降りられない状況なのだというゼスチャアなのだろう。
{こりゃあ、、、まずい、、} と思ったそのとき、その一声の効果が少しあったのか、なんとか人々の群れに隙間ができた。和田はその隙間をめがけて、{ それっ! } とばかりに対の出た方向へとダッシュする。
だが、そのために一瞬、対を見失ってしまっていたようなのだ。
{ まずい! }和田は動揺しながらあたりを見回す。
{ だがまだ遠ざかってはいないはず! }
夕方の品川駅は混雑しているし見失ったら最後だ。和田は必死な思いで目玉ギョロギョロ { 逃がしたら、あの二人に何と思われるか、、、、}
こんなときに脳裏によぎっている。変なプライド?被害妄想気味タイプ?

まわりは似たような濃紺のスーツ姿サラリーマンたちやOLたちが歩いているのだ。早くしないと完全に見失うぞ。
{ どこだ、どこだ、どこなんだ!!、、 }
すでに和田の心は悲痛の叫びに変わっていった、、、、

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1-51 とびっきりの笑顔

ありがたいこと?にチエは余計な追尾はしなかった。
しかし調査初日にしてはどっと疲れた。
ビデオカメラで建物などを撮った後、今日の調査を終わりにするつもりで、さりげなくチエの方向を向くと近づいていたチエは和田にとびっきりの笑顔で応えた。
そうされるとどうも文句を言いたい気持ちが失せてくるものだ。
チエは何か言われると思っていたのだろうか、口早に報告を始める。
和田は聞きながら「、、そう、さっきのコンビニ、、 旅行雑誌ね? ふぅ~ん、、」
{、、、もしかすると重要な情報かもしれない?、、、 } そう思った。
「、、、わかったよ、、それじゃあ、、、さてと、、、」と和田が言った途端、チエは「あっ、私、これから用事があるんですけど、今日はこれでいいですかぁ~」と言い出す。
「、、ん、まぁ、今日はいいけれど、、、ただ、、、明日午後から別の仕事があるからな
、、、、まあ、、いいよ」と応えると、「ありがとうございます、、それじゃあ~、お疲れ様でした~~」と間髪をいれない。{ なんて調子のいい奴だ、、} と思っているうちに、もうするりときびすを返して小走りで走り去っているのだ。
和田は「はいはい、さようなら」と独り言を言いながら一人で先ほどのコンビニに向かうことにした。
さて店内に入ると、対の見ていた雑誌コーナーでその雑誌はすぐに見つかった。
ページをめくってみると{ ほ~~}確かに関東近郊の温泉についての特集ページが載っている。{ なるほど対はこれを見ていたということか、、}


後日、調査2回目である。
この日は夏の暑い日の木曜日だった。
和田は午後4時半すぎに再び道玄坂の現場に到着した。
対象者は1回目と同じ泉純一である。
現場には車で来るようにとケンとチエに指示しておいたのだが、今日もまだいい張込場所を確保できていないようで張込みの車は場違いなところに駐車していた。
さすがにそばにケンとチエが立っている。和田の前回の怒り?教えが少しは生きているようだ。
建物の出入り口の対が確実に見える場所に駐車したいのだが、そこには数台の車がすでに駐車しているから、まだ無理の様子。今日の調査で二度目だし、通常はこのような場所での張込みのための車は、対が車やタクシーを使用するとき意外はあまり必要ない。というのは渋谷の道玄坂だからそれなりの人通りはあるし、よほどのことがないかぎり、張込みのための車なしでも対に感じられることはないのだから。まず面取りは問題ないだろう。
ただ今日はなんとはなしに張込用の車を用意しておきたいと思った。
それに車を手配したのには理由がある。
ケンとチエの二人に { 対に悟られにくい人通りの多い場所だが、人通りが多い分、見失う恐れも多い。念には念ということもある。調査は慎重にするものだよ } という和田の暗黙の示唆なのである。{ あの二人はそのことを感じてくれるだろうか? } と思う。
先日の和田の「怒鳴り」が少しはきいているのか、張込み車の近くにいたケンとチエは和田が近づくと二人とも気持ちのよい挨拶をしてくれる。
{ うん、挨拶だけはできるようになったな } と和田はこんなことで感心している。
これでも入社したての頃は、挨拶がよくなかった二人である。
どちらかというとケンのほうが挨拶の印象がよくなかった。
あごでしゃくったような感じて「おはようっす」ってな感じ、だった。それも小声で。
チエは一応の挨拶はするが、型どおりのぼそぼそ声。
しかし最近は慣れなのだろうか、二人とも挨拶と笑顔が自然と出てきているように思える。
三人で今日の調査の打ち合わせをしていると建物の出入口付近の車が動き出す。
「おっ、どうだ、あそこは?」対の勤務する建物の道路対岸側に止まっていた白い車が移動しようとしているのを和田は見つける。
「あそこの場所に車を置こう」
「やってみますか」すぐにケンが張込用の車に向かっていく。
「チエ、その場所をとりに行け」すぐに行って場所を確保しないと他の車が来て停車や駐車されてしまうのだ。
「はい」
道玄坂では車の量が多く渋滞しやすいので車の流れは遅い。こちらの車高は他の駐車している車と比べて高いほうではあるが、この車を駐車させる場所が対の出入りする建物の出入り口とは対岸側になるから、まれに流れている車がうちの車より大きいワゴン車だとかぶってしまって、肝心の対の出入りするところが確認しづらくなることもある。
{ でもまあ、ここでしょうがないかなぁ、、}今のところベストだろう。
現場というのは思うようにはいかないもので、、、、何かがあるものだ。
午後5時半になった。
和田とチエは車の張込配置のいい所が空くまでは、車外で張込をしている。
まだ残暑には程遠いほどで日差しは柔らかになっているが、やたらにのどが渇く。
{ まだ対が出てくるには時間的に早いだろう }と和田はチエに3人分の飲み物を買ってくるように指示する。
ケンは対岸側に駐車している車の中で見張っている。こういうときは、3人が互いに少しずつ油断をする傾向がある。ただし性格にもよるが。本当にしっかりした人であれば、どこでもしっかりしようとするし、自立していない人ほど誰かを頼りにするものだ。
この辺は人通りが多く、人が街に溶け込みやすいから、張り込みも比較的やりやすい場所だからこそ、余計油断をしやすいとも言えよう。
{ 今日もまたどこもびっしり駐車しているなぁ }とのんきに思っていたところ、、、

1-50 本物の対

和田の声に反応して変な顔を向けながら去っていく。
「えっ、どうしたんですか?、、、、」とケンの声が受話器から聞こえてくる。
「いや、何でもない、こっちのことだ、、、」和田は今の状況を手短にケンに話す。
まったくチエには気が気でない。電話しながらサエの様子を見るていると{ あちゃっ、、、危険! } まだやってる。それでも対はチエに気づかない。
{、、ったく、もぅ、頼むよ、、、もういいよ、、} 
和田は祈るようにして見つめているしかないのだ。
しばらくするとサエはようやく対のそばから離れた。
和田は思わずサエに感謝の気持ちが湧いた、、いや違う、ほっと一息ついた。
何か嫌なサスペンス映画を見ている感じがする。
対は結局、何も購入せずに店から出てきたのだが、あるいていくうちに今度は酒屋に入って行く。{ どうも思うように帰らないもんだなぁ、、、}と和田は思いつつも、油断してはいけない。何も買わずにすぐに出てくることがあるので、店の出入り口を注意しておかないと。
チエ一人に任せておくのも危険なことだし。
酒屋の奥のほうはよく見えないが、対の姿が店のガラス越しにちらちらと垣間見える。
しばらくすると大き目の袋を片手にして対は店から出てきた。
左手に黒い鞄、右手にボトルの入ったようなビニール袋を持って歩いていく。
ここまでくれば、対の行く先はまちがいなく自宅だろうと思う。
{ やれやれ、、、}和田は目を離さないが余裕が出てきた。
チエはときどきよそ見をしながら尾行をしている。
{ なんて奴だ、、、それになんだあれは? }
チエはわざとかどうかわからないけれど、尾行しながら、ところどころの店先の商品にも目を配りながら歩いていく。
今日のチエは和田のことを無視しているのか、それとも余裕なのか、、、
ようやく対は自宅マンションに到着した。
郵便ポストを見た後、入り口のドアを鍵で開け、マンションの中に消えていく。
オートロック付の比較的新しいマンションである。
チエはまたしてもそろそろと近づいていく、、、、、
{ おいおいチエ、余計なところまでついて行く必要ないぞ、、、}と遠くから和田は様子を見守るしかない、、、、、、

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1-49 尾行前

和田はしびれを切らして突然、車の窓ガラスを開き怒鳴った。
「二人ともこっちへこい」
突然の怒声にびっくりした二つの顔がこちらを凝視している。
車の中でじっとしているわけにはいかない、、これから愚痴に似た私の説教?の始まりである。
張込車をほったらかしにしてここを去っていたことは、小さなことのように見えるが、仕事に対しての心構えの不足につながることだから怒った。その突然の怒声にケンとチエは小さくなって嵐が過ぎるのを静かに待っている。かといっても調査開始の時間が迫っているものだから、ほどほどにして調査の打合せをしなければならない。
そんなわけで怒ったり、打合せをしたりと、そのあと三人は車の中で張り込みを開始することにしたのである。
今日は調査初日ということもあって三人で一緒に張込みすることにしたのだ。
しばらくすると「チエ、大丈夫?、、、」とケンが話しかける。ケンはチエより後輩なのだが呼び捨てにしている。
「もちろん、、、大丈夫よ、、あんたこそ、どうなのよ」二人は面取りのことを言っているのだろう。二人とも面取りが苦手で、よく対象者を対象者じゃない人と見間違えて追いかけてしまう。事前にじっくりと対象者の顔写真を見ていても実際の現場では対象者でない人を間違えて追いかけることがあるのだが、そうなったら仕事にならなくなってしまう。
どちらかというとチエのほうはケンよりも面取りはへたというか、へたというよりひどい。
チエは対象者と似たような人が現れると「あっ、出たっ!」と勢いよく声を出すのだが、自信をもって「出たっ!」と弾けるように言うものだから、周りのスタッフはその勢いにつられてつい動いてしまう。
以前、対象者じゃない人を尾行してしまって、大失敗してしまったことがある。そのときはつい腹立たしくなって{ あいつ、、どこに目がついているのだろうか?、、、、O型ってあんなの? }とついチエのせいだけにしてしまったことがある。
慣れた者でも最初に対をキャッチするときは緊張するのだが、、、、、
ケンは単純で勢いに流されやすいたちだから、チエの「出たっ!!」の一声で毎度のごとく対象者だと思い込み追いかけてしまう。
今日も対だと思い込んで勢いよく飛び出してしまうケンとチエは仕方のないことだろうが、何度もそんなことになったら癪にさわってくることだろう。
確かに対象者の可能性はあるのだから、そう思い込んだ人は追いかけてみるしかない。
どちらにしても飛び出した二人は本当に対象者かどうか、先回りしてその人の顔を確認することになるのだが、戻ってくると「ん~~、違ってました~~」というのが、今回もそのパターンだろうね。「また」という言葉が使われないだろうし、戻ってきた二人に愛想笑いをするしかない。まぁ苦笑いのつもりなのだ。
二人とも悪気のない行動なので、愛想笑いくらいは見せておく。
でも{ また~、、、やっぱり }いう複雑な気持ちだ。
だがさらに何度か繰り返すことになると、さすがに険しい気持ちになっている。
テレビや映画の探偵では、人はこんな場面をあまり見たことはないのだろうが、、、実際は、こんな人間くさいというか?なんというか、、これが現実なのだ。
そうながら思いながらも{ この二人をうまく使えばどこかで楽ができそうだな }という甘さが和田の心のどこかにあるにはある。
そんなこんなで調査初日からこの二人に任せてしまうのは危険である。
もし面取りができなかったら、その後の調査が難しくなり、どちらにしてもあとあとこちらに比重がかかってくることになる。そんなことになりたくないので、この二人と仕事をするときは、和田が中心になって張込をすることになるのだ。
まったくどちらが上司なのかわからない。
まあ二人ともいいところもあるのだから、少し目をつぶるしかないなとあきらめ気分でこの調査と教育係りいや面取係り?を私が自認することにした。
やがて二人はいろいろな経験を積んで成長することだろう。
しかし、いくら経験を積んで成長したとしても性格を変えていくのは簡単な話ではない。
三人はこの建物の出入口から出てくる人々を選別している。
この建物ではセミナーや研修などが毎日のように催されている様子で、出入りが多いから神経を使う。だから長時間、凝視していなければならなくなるのだが、時間がたつほどにふと余計なことを考えるのが人というものである。たとえば{ 今日は何を食べようかなぁ、とか、あれはおいしかったなぁ }とか、どちらかというとケンだけなのかもしれないが、、、。
また人々の群れの中に特徴のある人物が目に入ると対象者でもないのに、ついその人を目で追いかけてしまうことがある。それは集中している自分の神経を少しの間だけ、ゆるめたいという気持ちが、生じるのかもしれないが、そういうときに時の隙間ができて、本当の対象者を見逃すことがありえるので、気をつけなければならない。
今日は調査初日だし、目を皿のようにして張込に没頭していく。
そばのケンとチエもこの出入り口を一生懸命、見つめている様子に感じられたのだが、、、、

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1-48 問題の突破口

生きていると何がしかのことが起きる。
それを解決したり、突破したり、克服するにはさまざまな要素が必要である。
その大事な要素の一つはまずはそのことを受け入れて観察することから始まる。どこまで深く観察できるか、できているかが鍵である。たいがいのことはそのことにより重要な要素を把握して判断する。できるだけ感情に左右されたり激して行動しないことだ。
探偵社「二人の幸せ研究所」の所長兼調査の和田は、先日の調査でもあらわになった調査スタッフのチエとケンの性格に助けられることになる。
しかしその時その日には感じられないものである。人とは不思議なもので何が助けになるのかわからない。
調査現場は渋谷の道玄坂にある対象者の泉純一の会社住所になる。
渋谷駅から徒歩7~8分くらいにある道玄坂に面しているS・Tビルの702号室。このS・Tビルには100以上の会社や事務所がテナントとして入っており、会議場もいくつか併設され、地下の1階2階には駐車場があって、渋谷では比較的大きなこの建物である。
事前に前調査は終えており、今日は本調査の初日だ。
渋谷の道玄坂といえば時間帯によらず人の流れはなかなか途切れない。
人がじっと張込していても、よほどのことがないかぎり不審に思われることもないだろう。
対象者を彼らはマルタイと呼ぶから、今後は対(タイ)と呼ぶことにしよう。
預かった対の写真を見ると中肉でメガネをかけており柔和な感じがする。身長は170cmくらいの38才の男性で、社長っぽい顔に見えなくもない。
行動調査をする場合、預った顔写真などをもとにするのだが、実際とは多少違いがあるし、この建物の出入り口から出入りするサラリーマン風の男性たちは多いから、似た人も少なからずいることだろう。だから見間違えないためには、できるだけ至近距離で見極めるのが一番である。それには車の中から張り込めば自分たちの姿をさらされることは少ないから、私は張込用の車を最もいい場所に駐車させておきたいと思っていたので、スタッフのケンとチエに、この建物出入口のすぐ近くに駐車させておくようにという指示をしておいた。
和田が現場に向かっていると、会社の車が駐車しているのが遠目に見えてきた。
{ あの辺ならば対が出てくるのをキャッチしやすいことだろう }と思いながら近づいて行ったのだという。
{ しかし誰もいない、、、、? }すぐ近くまで来てみたものの、誰もいない、、、、、、
あの二人はどこかに行ってしまっている。

{ いったい何処にいるんだ? }
到着してもうしばらく時間が経っている。

{ なんていうことだ、、、、 } 
誰かがいなかったら簡単に駐車違反になってしまうかもしれない。
{ もし駐車違反になってしまったら手間取って面倒になる}

むっとした。
二人がいないかもう一度、見回す。
ケンはまだよちよち歩きの20代前半の探偵修行中で、太っていて特技?は大酒のみ?
チエはケンより調査の経験は少しだけ長いのだが、どうも独特の個性があって、この仕事がいまだに向いているのかどうかは、なんともいえない。ただどんな仕事でもそうだろうが最初の頃に{ まったくどうしようもないなぁ }と思える者でも、何かのきっかけでめきめきと上達してくることもあるのだから、二人とももう少し様子を見ているわけである。
ケンとチエは最初の頃、どちらも挨拶することに不安があった。ぶっきらぼうというか、雑というか、挨拶というのは人と気持ちよく接するための大事な出入り口であり、潤滑油みたいなものだから重要だと思っている。その挨拶が気持ちよくできるようになればしめたもので、そのさわやかさや誠実さが仕事にも表れてくるはずなのである。
聞くところによると以前よりはこの二人の挨拶も良くはなってきているとは思うのだが、、、、、
つまり仕事のほうも段々も良くなってきているのではと思っていたのだが、、、、、
張込車に乗り込んで機材のチェックをしている間にやっとケンとチエがのんびりと近づいてきた。
「相変わらず、すごい車ねぇ、、、」チエの野太い声が聞こえてくる。
「もう、とっくに買い替え時期を過ぎてると思うよ。この車」とケンの甲高い声である。
「この夏でもまだ冷房は入れないの?」
「この車は暖房だけは付いてるんだ。冷房が壊れてる?、、めったにない」
「確かにどこにでもあるオンボロ車で目立たないってことでは、言ってみれば逆の一流よねぇ、、、」
「あはは、、、いや、そろそろ限界だよ。これ以上オンボロになると余計目立っちゃうよ」
車の窓にはスモークを張ってある上に他にも工夫をしているので、外からは車の中がほとんど見えないし音もあまり漏れないのだが、外からの音はこの車内に伝わってくるようになっている。
{ 車の中にいる私を二人はまだ気づいていない }そう思いながら、耳を澄ましていたのだが、、、、

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1-47 許せない

ドアのところで覗こうとポッンと立っていた幼いうむいは危機一髪だった。
そのドアを片足で蹴った夫の純一の行動から優子は身を挺して幼い娘のうむいを救った。
さすがに夫はばつの悪そうな顔をして自分の部屋の方に去って行った。
優子はさらなるきっかけさえあれば、夫を刺していたに違いない。
だが振り向いた優子の目につぶらな瞳のうむいの姿が映った。
優子は握っていた包丁を台所の上に置いてうむいを抱きしめた。
{ 考えてみれば一人、うむいを放っておくわけにはいかない、、、もし悲惨な事件を母親の優子が起こしてしまったら、うむいの将来がめちゃくちゃになってしまう } と思った。

優子はうむいを強く抱きしめた。
今、あの探偵社は夫の浮気相手の女性を調査している。
あの会話からすれば夫と浮気相手は何度も逢瀬を繰り返すどころか、二人の将来を計画するほどの仲だったのだ。
もう少し情報が手に入ればと思う。

しかし許せない、、、許しはしない、、、
、、、次第に優子の身体が熱くなっていく、、、

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●1-46 夫の暴力

夫の純一はいつものように朝食を食べた。昨晩のことを忘れたかのようだった。
朝食を済ませ夫は平然と仕事に出かけていった。
足音が消えてから「ふぅ~っ」と妻の優子は緊張の糸が切れたように椅子にへたり込んだ。
昨晩遅く、酒臭い息をして帰宅してきた夫はおもむろに玄関先で黒いかばんを放り投げ、優子にビールを出せと怒鳴った。
優子は { 今夜はいつもより機嫌が悪そうだ } と思いながら、冷蔵庫からビールを出してコップとともにダイニングテーブルの上に置く。夫は自分でビールをグラスについで一息に飲んで間もなく「つまみはどうしたんだ」と言う。「ちょつと待ってて」と優子が応えると「早くしろ」と怒鳴りつける。こんな様子は今に始まったことではないのだが、、、、
こんなとき、いままでの優子なら、夫になるべく静かに対応してきたつもりである。
でも時にはちくりと意見や批判をすることもあった。自分としては良かれと思って言ったつもりなのだが、夫の受取り方次第でさらに嫌な雰囲気が生まれてくる。変な受け取り方をされるくらいなら、言わないほうがいい。夫婦の会話は少なくなっていくにつれて優子は夫に話しかけられても最小限の言葉しか出なくなっていくことになる。そのことがかえって夫の気持をいらだたせるのかもしれない。純一も結婚当初の会社勤めをしていたころは、そのようなことはなかった。しかし次第に優子に対してじめじめとした物言いになってきた。今風に言えばモラルハラスメントのようなものではあったが、そのころ暴力的に荒れるということはなかった。姑の存在も関係していたように感じる。
しかし東京にきて徐々にではあるが変わってきたのである。思いもよらず暴力的な夫が日常化しているのだ。最初のころは軽く小突く程度だったものが、平気で殴ってくるようになった。優子の実家は近くにある。しかし優子は夫のことを実家の親に相談することを躊躇していた。それは夫の立場もあったし、自分の親に心配をかけたくないという強い気持が優子にあったからである。
夫のことを { 人が変わってきた } と思うしかなかった。それが何故なのか、その理由が判然としていなかった。ただ暴力がこんなに続いていくとは思わなかった。
しかし、、、、いまではその「理由」を優子は知っている。
夫のために酒のつまみを用意している優子の背後に向かって、「遅い」と言って夫はグラスを床に投げつけてきた。
「ガチャン、、、」とそのグラスとビールが床の上で砕け散った。優子はさすがにその音に「びくっ!」と身体を震わせた。この夜の優子はこんな夫の態度にさすがに腹が立ってきて、つい無視をしてしまった。その様子に夫はいきり立つ。優子に近づいてきて、いきなり優子の後ろ髪を掴み、後ろ側に引きずる。人は後頭部の髪を強い力で後ろに引きずられると相手のするがままにならざるをえない。夫はリビングに散らばったグラスの破片の近くまで優子の髪を引きずっていく。斜め後ろ側に優子の髪が引っ張られ、思わず優子は夫のほうに目をむいた。そのうむを言わさぬ夫の行動に優子に憎しみの表情が表れたかもしれない。夫は掴んでいた手を離しながら、その手で優子の頭を叩いた。思わず優子は両手をついて床に崩れ落ちる。優子はグラスの破片のいくつかが下半身と両手に突き刺さった感じがした。
「お前、、俺はわかっていたんだ、お袋と俺に妊娠を内緒にしていたくせに、、、、考えてみればお前、東京に来る前に自分が妊娠していたのをお前は知っていたはずだ、、、何故あのとき内緒にしていたんだ。、、この野郎、、妊娠していたら、お前は東京に来ることはなかったんだ。わかっている。お前の策略だったんだな。お袋を遠ざけたかったんだ。
、、、、、くそっ、、、、、、、」と言いながら、夫は優子の背中側を足で蹴った。
「そんなことはないです、、、」と優子はかろうじて呟く。肯定するわけにはいかないのだ。
あの頃、優子は姑と離れて住みたいという気持ちが募っていたことは確かである。夫にも姑のことで不平を漏らしたこともある。ただ夫から東京に住むことや新しい会社設立の話が出てきたので、その話がある程度、進んだら自分が妊娠していることを報告しようという気持ちだった。結果的に報告したのが遅かったのかもしれないが、そんなにいきり立つほどのことではないと優子は思っていたのだ。それにその妊娠の報告を早くしたところでそんなに影響があったとは思えない。もしかすると妊娠していたことで優子を姑のところに一時的に大阪に引きとめられたかもしれない。しかし夫自身が優子の父に東京での会社設立や資金のことで相談していたはず。当時、東京に一緒に住もうと言い出していたのは夫のほうではないか。
{ 今更ながらこじつけなんだわ、、もともと妊娠とは関係なかったはず、、 }と優子は思うほかはない。|
優子の手のひらやどこかに割れたグラスの破片が食い込んでいる感じがする。
「そんなことはないわ、、」という優子の返事を聞き終わる前に純一は、優子を再び蹴った。
「うっ、、、」と思わず、優子の唇から漏れる。
そのとき突然、ガチャッとドアの開く音がした。
ふと優子は「ガチャリ」と音のしたほうを見る。リビングに隣接しているドアの隙間から幼い娘のうむいが身体の半分近くを出し、こちらを覗こうとしている。
「あっ、」と優子は小さく叫んだ。
{ 来てはいけない、危ない、 }と脳裏によぎると同時に夫の動きが優子の目に映った。
優子はその刹那、夫の動きの予兆を察した。うむいが開けたドアに歩み寄り突然、足で蹴って閉めようとする夫の心の動きを優子は察知したのだ。今思ってもなぜだかわからない。
確信に似たその優子の予知的な感覚と動きは不思議だった。もしもそのドアが蹴られたらポツンと立っているうむいにドアが強くぶつかり、どんなことになるかわからない。しかしそれを防ぐためにうむいのところに優子が飛び込めば、優子自身がうむいにぶつかる危険性があった。瞬間の動きだった。優子はそのドアが夫の足で蹴られようとする刹那、無意識にドアとうむいの隙間に飛び込んでいった。蹴られたドアは、「ブン」という鈍い音をしながら優子にぶつかった。
優子はすぐにうむいに近寄り抱きかかえる。幸いにもうむいは何事もなかった。
夫はそれを見ながら「ちえっ、、、」と舌を鳴らした。
荒々しく冷蔵庫からビール瓶を取り出し、戸棚から栓抜きとグラスを持って自分の部屋のほうに行ってしまった。
{ なんということだろう、まさか我が子まで }優子は去り行く純一の後姿を睨みつけた。
夫の去ったこの部屋に静寂がおとずれた。
優子はうむいを抱きしめると興奮しているのが伝わってくる。
優子はうむい抱きかかえながら台所に戻って包丁を掴んでいた。

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1-45 いったいどこに

早苗は実は優子にとって命の恩人だといっていい。
ある真夏、当時、同じ大学生のいつもの仲良し5人で、静岡県のとある山のふもと近くでキャンプをしていた。東京ではほとんど見られない湧き水か、そのキャンプ地から少し歩くとあり、澄みきった川も流れている。ここは何度かみんなで来たところで慣れていて、泳ぎの得意な優子ともう一人が、早速、着替えて泳ぎだした。しかし、しばらくすると突然、泳いでいた優子の片足が何かにとられ、それから逃れようとすると深みにはまってしまった。もがきだす。川の流れはそれほどではないが、最初、何か片足がはまったような気がしたくらいで何でもない感じがしたのだが、急に身動きできない状態になった。泳ぎが得意な優子が慌ててしまった。さっきまで優子の近くで泳いでいたもう一人はそこから離れていて泳ぎに熱中している。優子の異変にまったく気づかない。慌てた優子は声なき声を出しながらもがく。その異変に最初、気づいたのが岸辺で食事の支度をしていた早苗だった。川の浅瀬で遊んでいる人たちの中には優子の変な様子に気づきだしたが、それでも唖然としたままである。急なことにどうしていいかわからなくなるのが人の常である。やみくもに川に飛び込んで助けようとしても一緒に溺れる危険性がある。
そのときの早苗はとっさの判断をした。テントの中に置いてあった長いロープを持ってきて早苗は自分の胴体にロープを巻き付け、仲間二人に片方のロープの端を渡し、「私の様子を見てて、合図できたら必ず引き上げて!!」と言い渡した。そう怒鳴るや否や早苗は溺れそうになっている優子めがけて川に飛び込んだのである。早苗自身は特に泳ぎに自信があるわけではない。しかし日頃から機転の利くほうだった。結果的に早苗はロープという命綱を使って危うく溺れかけていた優子を救うことができたのである。
小柄な早苗はぐったりとしているしたたかに水を飲んだ重い優子を川岸まで抱え込んだ。
{ あのときの早苗の機転がなかったら、本当に危なかった。死んでいたかもしれない } と優子は感謝していたのである。
あの早苗はいったいどうしているんだろう?
何としても突き止めたい。助けられるものならばなんとかしたい、、、

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1-44 再会する友情

  
夫は地元の大阪で悩んだ末に退職し、自分の会社を興こすためにこの東京に移り住んだ。

それから数年経った。
「会社を大きくして営業所を全国各地に作るぞ。金がいくらあっても足りない」と酒の匂いをぷんぷんさせながら携帯電話でしゃべっていたのを優子は漏れ聞いている。小さい会社でも社長としての苦労は並大抵でないことぐらいは察している。だから妻としては生活費を切り詰め、家庭を守るという気持ちでいるのだが、最近の夫はいままでとは違う感じがしていた。
仕事で夫の帰宅時間がたびたび遅くなるのはしょうがないにしても夜の生活で、いままでなかったようなことを要求してくる夫に憂鬱になっていた優子なのだが、そんなことを誰かに相談する気にもなれないでいる。
家族の誰かが怪我や病気をしたとか、仕事のことで悩み事があるとしてもそれなりに頑張ってはいける。家族のことは夫婦で相談しながら助け合っていける。娘のゆむいにしてもまだ幼いのに医者からは先天性自閉症かもしれないという聞きなれない症状名を言い出されたので優子はうむいの将来のことも案じている。
だが浮気というのはお金で女を買ったのと違う。優子にとって裏切りなのである。お金で女を買っただけでも夫に触れたくないと優子は思う。男も女も不倫や浮気はよくあることという風潮のこの頃ではあるが、いざ自分が裏切られる立場にたつと日ごろのテレビ報道を見るときの感情とはまったく違うのだ。
結婚したら浮気というものはありえるものだと思ってはいたものの、現実を目のあたりにしてみると夫婦のわだかまりが心の中で渦巻いてくるのだった。
それに浮気だけではなかった、、、、。
もっと大事なこと、、、、。
優子は夕暮れの池袋の街を歩きながらさまざまな思いにふけっている。
早苗との約束場所であるその居酒屋が視界に入ってきた。
優子はハンカチを取り出し、目じりにあてた後、握りしめながらハンドバッグに押し込んだ。
居酒屋のドアを開けた。

ざわめきと酒と魚の匂いが一気に優子を包み込む。
奥のほうにいる早苗が手を振るのが見える。
{ 今日は飲もうかな、、、}と優子は思った。

そして、、、小2時間ほど。
二人は居酒屋を充分に堪能した。

優子と早苗は居酒屋を出た。

街に出る。

早苗は優子の腕を組んだ。
少しばかり熱気が残る夜の街は二人を包み込みながら一緒に歩いている。
だいぶ二人は飲んではいたものの足取りはしっかりしている。
「飲みなおそう、家で、リーダー」早苗は優子の腕をさらに抱え込んだ。
「そうね」
通りでタクシーを拾う。
「新大塚駅のほうへお願いします」
二人を乗せたタクシーはすべるようにして出発する。
タクシーの中でも早苗は優子の腕を再び抱え込む。
互いに東京に住んでいて会おうと思えばいつでも会えるという気持ちだったが、それぞれの棲む日々がその機会を遠ざけていた。ゆっくりとお酒を飲んで話をする機会は最近はなかったように思う。それには居酒屋は不向きに思えた。
タクシーから見える街並みが流れていく。
今は流れ去る人生のひとときに大好きな優子とともに過ごしている。
日々のわだかまりが消えたように思える。

{ これからお話しすることが山ほどある }
タクシーの中で二人は黙っていた。
まるで互いのときのずれを埋め合わせるかのように。
早苗のマンションは地下鉄丸の内線・新大塚駅から歩いて数分のところにある。
大通りに面しているので周辺は比較的明るく、若い女性が一人遅い時間に帰ってもそれほど怖くない。
早苗はマンション前にタクシーを止めてもらった。
優子がタクシー料金を支払おうとしたところを早苗は押しとどめて「はいはい、出て~」と優子を押し出した。
二人はマンションに入る。
二人を降ろしたタクシーはすぐに走り去っていく。
「お酒はまかしといて、用意してあるわよ」と言いながら、早苗はポストの郵便物をバックに入れたあと鍵を取り出してオートロックのドアを開ける。
エレベーターは2機。1階に止まっているエレベーターに二人は乗り込む。
このマンションの外見はどこにでもあるような建物だが内装はこぎれいな造りになっている。
二人を乗せたエレベーターは上がっていく。
そのときマンションの入り口に向かってカツ、カツ、カツ、カツ、カッ、カッ、カツ、カツ、カッ。ヒールの小音が近づいて止まった。
そして昇っていくエレベーターの数値を注視する。
外にはもう一人。
、、、、関心を寄せる者は誰もいない、、、、、

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1-43浮気の前触れ


夫の純一が妻の優子の父である尾崎義三に会社経営の相談がしたいと言い出した時には夫の意気込みを感じていた。
それに優子は大阪で純一と姑との三人で住む境遇を打破したかったこともあるし、久しぶりの東京の生活を思い出していたのだった。
{ しかし夫の思うとおりにすることが、逆に作用していたのかもしれない }と今になって思う。優子の母が父に対して接してきたよう。夫から一歩下がるようにしてフォローしてきたつもりだった。だが、かえって夫の気持ちを至らぬ方向へと緩ませていたのかもしれない。
会社員時代の夫にはそれなりに拘束性や規律性があった。
しかし今は違う。小さいながらも社長業として、不安はあるのだろうが、それなりの自由度も感じられる。現実に夫は「仕事が忙しい、、、」と言っては、しだいに遅く帰宅するようになっていったし、日を追うごとに夫婦の会話が少なくなっている。
ときにはしたたかに飲んで深夜の帰宅もよくあるようになった。
仕事といえばそれまでなのだが、昔はそんなに遅くまで飲んで帰ってくることはなかった。純一の日ごろにないいびきを掻きはじめると{やはり苦労をしているのかな?}とは思う。ただ遅く帰ってきても穏やかに眠りについてくれればいいのだが、ときに荒々しく優子を求めることがある。そんなとき拒否しようとすると決まって暴力を振るうようになってきたのである。酒というものが、こんなにも人を変えるものかと思う。
ただ仕事の付き合いで飲まざるを得ないこともを考えると { やむを得ないのかな } とは思っていた。
夫が深夜の泥酔で帰宅してくると、眠っている幼い「ゆむい」に気遣う優子だった。
ある夜、泥酔した夫をベッドに寝かせ、衣服を片付けているときにそばにあった夫の携帯電話が鳴った。
思わず優子は手にしてみるとメールのようである。夫の携帯電話をいままで触ったことはなかった。思わずどこかのボタンを押してみるとたまたまメールの内容が現れてしまった。それを何げなく読んでみると女性からのもので、まるで恋愛をしているらしい内容だったのである。
いままでは夫は浮気というものを否定していたし、優子もそれほど詮索したことはなかった。
夫の携帯電話に着信していた女性からのメールを偶然、見たあの日の翌日に、優子は夫と同じ携帯電話を購入した。その機種は販売終了寸前だった。持ち帰って説明書とにらめっこをしているうちに機械音痴だった優子はなんとか操作だけはできるようになった。この時代に携帯電話を持っていないことに「いまどきめずらしい」と会う人ごとに言われていた。こんなことでもないかぎり、手にしようと思わなかったのだが、携帯電話の操作手順を何度もくりかえしているうちに一通りの操作ができるようになった。夫の寝ている隙に夫の携帯電話のメール履歴をコピーさえできるようになった自分に少し不思議な気がした。そして夫の手帳の中身と照らし合わせてみるとその女との付き合いのおおよその見当がつけられたと思った。
夫がエアプリティ社を立上げてからは、男が仕事に没頭する一途さを感じるものがあって、静かに見守るほのかな妻としての幸せを感じていた。だが仕事だと言って外でお酒を飲む回数が増え帰りも遅くなっていったし、優子につらくあたるようになっている。それはストレスが溜まっていると思えたし、会社が大変なのかと妻として心配もしていた。
以前、夫の母である姑とともに大阪で一緒に住んでいたときにも夫の優子に対するいじめ的なものがあるにはあったが、それはある面、姑がいる手前だからかもしれないと思っていた。
ところが会社を立ち上げるために東京に移って数年たった今では、いままでと違う夫を見ているように感じている。小競り合いほどのたたく程度だったものが、今では足で蹴られることもある。
仕事のストレスなのか、なんなのか、なんとなく夫婦という絆の危うさを感じていた。
結婚前にはこんな兆候はひとつも感じなかったし、むしろ純一の性格を積極的でいながら礼儀正しい性格だと思っていた。どんなストレスがあるにしても暴力を振るう夫を理解できないでいた。
夫の暴力は自分が我慢していれば子供が大きくなるにつれて直っていくだろうくらいに思っていた。
だが、、、

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1-42 商機

しかしだからといって引き下がるわけにはいかない。充分な広告宣伝の資金のあるはずもないのだから、毎日毎日同じことの繰り返しであるが、自分たちなりの売り込みを続けるよりほかはない。、、、そして、、、これが創業という大きな壁なんだ。。。
社員として毎月の給料を貰って仕事をしていたときとの違いを感じていた。
そうこうしていくうちにぽつりぽつりと契約してくれるところが出てきたのである。
幸運だったか、世の流れだったのか。
純一が会社員のときには技術的な仕事で営業は苦手だったのだが、一つ商品の売り込みに成功してみると何かしらの自信を得て面白みが湧く。
第一号の設置してくれたお店のさまざまな写真を撮って、次の売り込みに利用した。
純一たちは流れ出る汗を拭いながら、静かに手ごたえを感じていった。
{ 会社員だったときとは違い、仕事の大変さを再認識したけれど、その意味合いがだいぶ違う。社員として雇われていたときとは違い、今はやりがいというものがあるが確かにしんどい。一緒になって営業してくれている部下の二人も以前と顔つきが違う。しかし仕事量が半端ない }とみんなに頭を下げたい気持ちになる純一だった。
まだ小さい会社の社長だから、どうしても外回りが多くて、現場で実際、自分が空気清浄機を取り付けているうちに自分が社長なのか職人なのかわからないほどの状況になっている。仕事が終わっても部下と一緒に外で飲むときは飲み屋や飲食店に空気清浄機が設置できるかどうかが、自然と気になってくるものだった。それがきっかけで店主と契約をしたこともある。だから昼間はセールスや契約をしたり、機器を設置もすれば、夜は夜でなんでもよい。きっかけさえあれば商売に結び付けたい。貪欲な純一だった。そうでなければ先に進めないと思っていた。
そんな矢先、清掃サービス業界のシェアの一角に食い込み、今や中堅と言っていいほどの会社に上りつめている「クリーンシェア」という会社から問合せがあった。
その担当者によれば「弊社は空気清浄機について知識があまりないのですが、御社の商品を興味深く拝見しました」という嬉しい連絡だった。
名もない小さなエアプリティ社が入り込めるはずのないような会社だった。純一は { 我々には特殊な技術力があるからだ、、、だから、、、こうやって思わぬところから声がかかる } と
心ひそかに喜んだ。
もしこの会社との取引ができればエアプリティ社としては一気に空気清浄機の業界だけでなく清掃分野関連まで名を知られることになるだろう。 { となれば、、、、}
待ちに待ったチャンスが訪れていることに熱くなる純一だった。
機を置かず、早速動き出す。
クリーンシェア社は東京の新宿区に本社を構え、今や飛ぶ鳥を落とす勢いで大きくなっている。いままでの清掃サービス業界の中では異色の動き方をしていた。自動で部屋をクリーニングできる機材の開発とロボット化を進め、それらを開発する世界企業と取引関係を進めていた。日本の繊細な技術や製品群を売り込むと同時に海外からの情報を収集していた。どこの国はどのような清掃サービスを必要としているか、今後、どのような地域でどのようなサービスが必要なのか、詳細なデーター分析をしていたのである。
日本国内でしのぎを削っている大手の清掃サービスはほとんどが国内向けであり、ある程度限定されるサービスや価格競争の中にあった。つまり新規に参入するには大きな壁が立ちふさがってもいた。そのような理由からクリーンシェア社はいち早く、先進的な技術と販売力の情報収集及びデーター分析を持ち込んで世界に打って出ていたのである。
そこにエアプリティ社の技術情報が流れた。
純一は早速動く。
1m四方の立方体の透明なプラスチックの箱を作り、デモ機などをクリーンシェア社に持ち込んだ。
クリーンシェア社の会議室に案内された純一と部下たちはそれらの器具をテーブルの上に設置する。
その箱の中にエアプリティ社の空気清浄機のデモ機を入れる。そして煙草やその他の煙をその密閉された箱の中に送り込んで充満させる。つまり透明感が全くないようにする。そして担当者の目の前で電源のスイッチを入れる。するとほんの数十秒でたちまち箱の中は透明になるのだった。
次に他社のデモ機を中に入れて同様にしてみる。するとたちまちとはいかず、透明感近くになるには時間がかかってしまう。どちらも箱の中の煙の量の分析数値をカウントできる機器も設置してあるので数値データの変化が目に見えるのである。その透明感の速度の違いとデジタル的な数値の変化に担当者たちは目を丸くした。
純一は「本日はお忙しいところお招きありがとうございました。弊社はまだまだ小さい会社です。しかしながらこのように弊社の空気清浄機は大手の最新式のものと比較しても段違いに違うことがわかります。これらは弊社の特許技術です。技術は最先端のものですが、今後も研究を続けていきます。しかも比較的簡素な装置ですので価格はそれほど高くないのです。当然、他社と比較しても安いのです。これは先ほどデモ機で行った試験の様子をビデオに残したものです。どうぞご検討をよろしくお願い致します」とにこやかに案内したのである。

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1-41 創業のとき

泉純一は「エアプリティ」社は東京都渋谷区道玄坂に起業した。
前の会社の後輩二人が協力してくれるので三人で発足することになった。
会社の出資金は純一の貯めていたお金を使った。それとともに実はその金額以上を妻である優子の父、尾崎義三から借りているのである。
もちろん純一が「エアプリティ」の代表取締役社長になった。
純一は勝算がなければ独立などしないし、というよりこの業界に大きなチャンスがあると見込んでいるのには背景があった。
もともと前の大手の会社(A社)に勤めているときは電子関係の技術開発をしていたのだが、空気清浄機という比較的、新しい市場のために担当部署にまわされたのだった。
最初、気乗りしない分野であったが、研究開発を積み重ねていくうちに面白みも湧き、この業界の将来性を見込めるようになった。しかしその業界ではトップ企業といわれるまでになっていくうちに研究開発者や技術者らと間にさまざまな軋轢がうまれ、人間関係に悩まされていくようになった。
そこで組織の一部の動きとして「早期退職者募集」ということが持ち上がり、気に食わない者を追い出しにかかる雰囲気があったのである。
純一としては組織内の悩みをかかえながら、仕事を進めていくことに苦痛を覚えた。
排他的なそして策略の影を組織のどこかに感じてはいたが、この雰囲気を変えるというより、これをなにがしかの機会と考えることにしたのである。というのは純一が空気清浄機の研究や技術開発を進めていくうちに内密ではあるが自分なりに得たものがあると確信した。
それをもってすれば小さいながらもいままでの商品を凌駕する高品質のものが造れるし、新しく参入しても成功するという自信があった。
その思いを営業の後輩二人に打診したところ、乗り気になってくれたのである。
そうはいってもこんど純一が設立した新参者の「エアプリティ」社が市場から認識されるまでは時間がかかるだろうし、会社経営も初めてのことだから簡単にはいかないことぐらい純一は覚悟している。頼りは技術力と若い二人の営業マンなのだが、二人に任せるつもりはない。営業は社長みずから飛び込むのだから合計三人になる。
世間では室内から放出される害毒・ホルムアルデヒドやタバコの害などのことは知れ渡り、健康ブームも手伝ってか追い風となっており、空気清浄機の市場自体は静かに広がりつつある。先行している大手メーカーが一般家庭のマーケットを対象としているのとは違い、純一の「エアプリティ」社はホテルやレストランなど専門的な市場に狙いを定めることにしたのだ。
エアプリティ社の販売しようとしている空気清浄機はその主要部分に新しい電子制御方法を用いているのが特長だった。
従来はモーターファンを回すことで部屋の空気を回転させ、その空気の中の汚れを集塵フィルターに集めるものが主流だった。ところがエアプリティ社の販売するものは集塵装置の部分が特殊な電子装置と安価な特殊紙で構成する筒状の「セル方式」と名づけた物でできていおり、この部分で汚れやほこりを、焼き付けたり集塵する方式なのである。
いままでのタバコの煙や有害物質などを集塵フィルターで捕らえるというよりもこのセル部分の特殊な紙に焼き付けてしまうので集塵が簡単で今までより強力だった。
モーターファンを取り付けるタイプでもいいし、取り付けないタイプはより小型化できる。
部屋に静かな対流を起こして集塵するこの方式の効果は他社のものより優れていたようである。それに従来の集塵フィルターによる空気清浄機はそのフィルターを掃除したり、繁茂に取り替える換える必要があったが、このセル方式だと長期間交換しなくてもいいし、セル部分の特殊紙は使い捨てであり安価だった。
小型、軽量化され集塵効果がより優れており、手間がかからずランニングコストが低くなり、結果的に商品の価格が非常に安くできる。
いいことずくめに思える空気清浄機ではあったし飲食店やホテル、レストランや事務所などで静穏なこの空気清浄機は好評だとの声が聞こえている。
{ 市場に新規参入する場合、優位的な差別化ができなければライバル社に太刀打ちできない、、、それに営業力があればこしたことがないけれど、うちのような小さな会社で力を発揮させるには商品自体に営業力を持たせるべきであり、販路を広げる原動力になるのだ }と純一は思う。
だが商品の優位性ややりがいとは違い、純一は煩雑さも感じる。
会社の設立や維持、売り込み用のデモ機器の準備。
宣伝ちらし、パンフレットの作成、配布。商品のセールス。
それと少ロットとはいえ量産化するための型枠の製造。
受注をしたあとの設置、商品保管する倉庫の手配。
設置した後のアフターフォローなどめまぐるしくやることは多かった。
{ あぁ、、、人材とお金がいくらあっても足らない、、、

これが創業というものなんだ、、、} と感じていた。
会社員時代の純一は技術畑だったから、商品開発に熱をあげていて、販売することについてはまったく考えたことはなかったのだが、自分が社長になってみると自分たちの手で開発した商品を自分たちの手で売っていくという、いままでとは180度、違う感覚で仕事を進めなければならない。商品の優秀性とその差別化、さらに価格の差を見せつけて売り込めば、必ず市場が反応してくるものだと純一は思っていた。
もちろん商品を購入してもらうのには時間がかかることだろうことは認識している。
エアプリティ社を設立し、全社員といっても営業経験のある部下の二人と社長の純一だけの三人だけだから機動力としてはそれほどのものはないのだが、純一としては「どんな大企業も出だしは一人や二人の発想から始まるものなんだ」と熱い意気込みだけはあった。
ただ実際、街中に出て、飛び込みの売り込みもしてみると事務所や店舗などはそうそうやすやすと契約はしてくれないことを痛いほどよくわかることになる。
自分が思っていたほどの反応が飛び込んだ店などに感じられないことが、最初の頃わからなかった。空気の汚れやすい飲食店なら興味を示すところが多いものだが、通常の店舗や事務所ではそれほどの「引き」がないことを知る。
考えてみれば当たり前かもしれないなぁと思う。たしかに客先に必要性がなければ商品自体に興味を示さない。当然、商品金額と維持費、メンテナンス代など費用が掛かるのである。
こんな当たり前のことが、自分にはわからなかったことに想像力の不足を恥じ入った。{ 足を使って汗をかいて営業までしなければ、こんなことがわからないなんて、なんて情けない男なんだろう }と純一は思った。
商品に自信をもっていた自分、その自分の頭脳のなさ、戦略性のなさにあきれている。
市場というものは自分たちが惚れている高いクオリティ商品だとしても市場そのものは思うように反応してくれないものなのだということがようやくわかってきたのである。
しかし、、、

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1-40 いじめからの回避 


純一の望みを考えると美佐子は昔を思い出す。
美佐子の夫は子供たちが幼いころに交通事故で亡くなっていた。
生前の夫は普通ではなかった。賭け事が大好きで酒は毎日あびるように飲んだ。
仕事は土木関係で天気が良ければ出て行って働いてはくれる。しかし天気が悪ければ休みとなることが多く、その必然的に家にはお金が無くなる。もらった給料の多くは賭け事と酒に消える。酒が入ると気が大きくなって酒の量を阻もうとすれば暴れだした。次第に夫の暴力が子供たちにも及ぼしてくる。酒が入るものだからしつこい。子供たちは恐れた。酔いつぶれてしまえば翌朝まで静かなのだが酔いつぶれるまでだから長い一日となる。、翌日には二日酔い気味ではあるが、昨晩のことは知らないかのようにケロッとしている。そんな暴れる夫のことで近所の人たちに何度も助けてもらっていたのである。夫の浮気のことは知らない。水商売の女に手を出したことがある。しかし女は男にお金がないと分かれば離れていってしまう。必然的に夫は賭け事と酒におぼれることとなる。妻の美佐子はそんな状況から脱するためにお金を稼ごうとあらゆる仕事をしてみた。夫のためよりも自分と子供たちのためにである。しかしなにがしかのお金かあると分かれば夫は賭け事と酒代にと持っていってしまうから内緒にしなければならない。お金がないものだから夫は荒れてくる。そんな悪循環の毎日を過ごしていた矢先、夫は40代半ばに酒を飲み交通事故を起こして逝ってしまった。
あれから、何年たったのだろう。遠い過去のような気がする美佐子だった。
あのときの苦しみに比べればその後の仕事の大変さは何でもなかった。
苦しみから脱し、お金も貯まっていくに従い次第に子供たちも幸せにしていると思っていた。美佐子は子供たちにかぎっ子の生活をさせていたのを悔いることはできようはずがなく、せめて子供たちのいいように気のすむようにさせてやりたいと思っている。
美佐子は今回の純一の万引きはちょっとした気まぐれだろうと思った。悪気がなく子供特有のちょっとした間違いだったろうと思う。
それは母、美佐子にしても長男の純一にしてもある面では成功したように見える。
母から見るといままでの真面目でおとなしい純一が頑張っている姿に微笑ましく映った。
純一からすれば中学時代で受けたいじめられたくない一心で自分で選んだ高校受験を頑張った。あの忌まわしい中学時代とおさらばできることが支えだった。あのいじめから逃れるためには何でもする。頭は悪くないほうだったから結果的に希望の高校に合格できたのである。
そして純一は高校生になった。
中学校時代のいじめに関係した者が純一の入学する高校にいなかったことも幸いした。
報われたような気がした。
{ 中学のときのあの哀しみと苦しみに明け暮れた毎日、、、、あんな惨めな自分の心情を誰にも話したくないし、もし誰か話は聞いてくれたとしても解決してくれないことは身に沁みている。
自分がいじめにあっていることを知っているまわりの生徒たちは、純一の身になって助けようとしてくれる者はいなかった。かわいそうにと瞳を投げかけてくれる者はいた。しかし、、、、
それがどうだったというのだ、、、ただそれだけで終わってしまっている。
陰湿ないじめに同情なんかで太刀打ちできない、、、}と純一は身にしみた。
{ もしあのころ、勇気を出して、いじめの相談を誰かにしたことが明らかになったら、いじめがますます陰湿になってきたはず。それに誰も助けてくれない。そんなことになるんだったら、最初から相談などしないほうがいいに決まっている、、、、所詮、他人事なんだ、、、他人を本当に心配してくれる人なんて世の中にいるとは思えない、、、いるとしたら、親かもしれない、、、}と純一は思う。
だが、あのころ母には相談できなかった。

というより反発していたのだった。家ではあまり口を利かなかったし母親の言うことを聞かなかった。反抗心をむき出しにしていた。親父から受けていた暴力。でも今では過ぎ去った恐怖に思える。今、さらに切ないほど心が細くなり、消え入りそうな毎日。学校でも家でも助けてくれる人がいないと思っていた。

だから家で引き籠っていた。そこが唯一の逃げ場だった。
そんな惨めな生活が続くのであればこの世から消えてなくなりたいと脳裏をよぎったこともあったのだが、死もまた恐ろしかった。
{ もう絶対にあんな惨めな生活はしたくない、絶対に、、}と高校生になった純一は誓った。
だからそんなことにならないように高校生になってからは自分を精一杯、取り繕うようにした。
かといって極端に明るく振舞えるはずがないのだが、、、
気弱さを多分に持つ自分を少しでも強気の人間に見せるようにするつもりだった。
自分を飾る生活ではあったが、あの中学校のときのような苦しい惨めな生活よりはまだましに違いない。
高校に入って、確かに純一は次第に落ち着きを取り戻していく。
しかし心の中は本当に幸せな気分ではなかった。
繕いながら生きているという気持ちがつきまとっていたのである、、、、、
少年だった息子二人はいつのまにか大人になっていった。
長男の純一は東京のとある大学を卒業したあと、地元の大阪にある大手の電機会社に就職してくれた。次男の正也は早々に結婚し、近くに住んでいる。
そして純一が自分の会社を東京で興そうとしたのだ。
{ 女手一つで育て上げてきた長男の純一が一大決心をして会社を興そうとしている姿をみれば、どうして反対できようか } と母の美佐子は思った。
純一は大学を卒業し会社勤めをするようになると、母への見方が少しずつ変わってきた。自分が成長するにつれ、母親が一時期、靴磨きの仕事をしていたことはうすうす感じてはいた。仕事から帰ってきて、買い物袋から取り出す母の両手の爪には黒い垢が残っていたことを思い出す。
{ 女手一つで苦労して育ててくれ、私たちを心配してくれている }そんな気持ちを持ちながら純一は母の後姿を見ていた。純一としては会社設立のことで母に面倒をかけるつもりはなかった。{ しばらく母は大阪での一人住まいになるだろうが、気丈な母のことだから、心配することもないだろう }と思う。{それよりもなんとしてでも会社を成功させなければ、、、、}
純一は念じていたのだ。
そして、、、

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1-39 いじめと教師

母からなにがしかのお金を持たされていた純一たち兄弟だったのだが、しかしお金があったから、純一はクラスメイトの一部の不良たちから執拗にまとわりつかれたのかもしれない。
いじめというもの見てもまわりの人の多くは助けようとはせず、他人事のように見て見ぬふりをしがちである。
ある日、誰かがいじめのことを先生に陰で言いつけたことがあった。
それは逆の意味で大変なことになる。
教師は他人事のように呑気な対応で「お前たちの中でいじめはやっていないだろうな?」とクラスメイトに向かって尋ねる。そんな言葉を投げかける教師だった。
{ 所詮あの先生にとって他人事なんだ。誰が「私がいじめっ子です」と白状するものか。余計なことを言いやがって、、畜生!、、、 }純一は煮えくり返る思いがする。
この日以降、さらに陰湿ないじめを受けるような気がしていた。むしろ教師の言葉が起爆剤になることがある。
当然、翌日にはもっと陰湿さを感じた。いじめを受けた人間でしか味わえない不安と惨めさをさらに感じることとなる。
純一はいじめる人間を憎悪しながらも、それを乗り越えられない屈辱感を積み重ねていっている自分に焦燥感を抱いている。悔しい気持ちが大きくなったとしても、いじめる相手に正面きって反発できないでいる。いじめに対しての恐れが日々増大し、悲しいくらいの気弱さが充満している自分に解決策はないのだと思い込んでいる。
どうすればいいのか自分ではわからない。時は恐ろしいほどスローに動く。止まったかのようだ。
{ どうしたらいいんだ、、、? どう解決できるというんだ、、、?
 どうにもできない自分がここにいるだけなんだ、、、、}
忍び寄るいじめの圧力と陰湿な暴力に耐え続けなければならない。それしかないのだと思い込む。その悲しいばかりの孤独な自分がいる。
{ あぁ、誰も助けてくれない、、、、誰も自分のことをわかってくれない、、、みじめになる。相談もできない、、、、、、どうしたらいいんだ、、、どうしたらいいんだ、、、悲しい、、、、
悲しい、、、、悲しい、、、、、、悔しい、、、}
純一は一人、言葉が出ない日々が続いていた、、、、
誰にも頼れない、、、誰、も、助、け、て、く、な、い、、、
、、、、、孤独をかみしめる純一だった、、、、、、、
純一は{ 中学校に行きたくない }と切実に思っていた。
けれど学校には行かなければならないという観念が支配していた。
特に母の後ろ姿を見ていると { 学校には行かなければ、、} と思ってしまう。
だから純一は学校から帰ってくると、すぐに自分の部屋に籠る。
一人になりたかった。そこだけが唯一、心休まるところだった。明日までの。
母が自宅にいればなにがしか反抗して困らせる自分もいた、、、、。
それも面倒になって部屋に籠る。
中学校三年生のある日、純一はあるコンビニエンスストアで本を盗んでしまった。
その場で従業員に取り押さえられた。純一が盗みをしたという連絡を聞いた母は飛んできた。
母はコンビニの店長に平謝りをして何事もなかったように丸く収めてくれようとする。
店長を前に純一に向かってこんこんと説教をする母の姿を呆然と見ていた。
母とともに自宅に戻った純一は万引きした自分の状況を話すでなく、もう中学に行きたくないという意思表示だけを母に示した。母に本当の心情を言うことは避けた。いらぬ心配をかけたくなかったのである。
それに純一は高校に進学をしたくなかったが、その気持ちを母に伝えると猛反対されることぐらいわかっている。だから純一は悩み、考え抜いた。
そして母に提示したことは、もし進学するとしたら、高校は純一が選び、住むところも新しいところにしてほしいという条件だった。
そうすれば純一はいじめから逃れられると思ったのだ。
純一の意志は固く引かなかった。
母の美佐子はそんな頑なな純一を不思議に思いながら、なぜかしらかわいいと思った。
純一の言うとおりにしようと思った。なぜだかわからない。母親の直感だろう。
純一の行こうとしている高校は大阪の北のほうにあったから場所的にも納得のところではあった。
もしかすると自分の仕事のことが息子たちに知れるかもしれない。
しかしそのときはしょうがないと美佐子は覚悟していたこともある。
{ どちらにしても純一が望み、ためになるのであれば、、} と思う美佐子だったのだが、、、

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1-38 母と息子たち

その頃、息子の純一が東京で事業を起こすとの意気込みを示したのである。
東京は大阪から新幹線で2時間ちょっとくらいではあるが、美佐子にすれば純一がもし、この大阪から離れて生活するというのだからすこしばかり滅入ってしまう。
「会社を興す以上、東京でなければだめなんだ。会社が軌道に乗ったら大阪でも営業所を設けて帰れるようにするよ」と言って純一は母の美佐子を説得した。
そういう息子の一大決心を聞くにつれ母の美佐子も折れるより他はないと思うのだが、、
美佐子の夫は子供たちが小さい頃、交通事故がもとで亡くなった。
その頃なにがしかの保険金がおりたものの、まだ幼かった二人の息子を女手ひとつで育てるのにそれなりの苦労を重ねてきた。
かわいい息子二人にひもじい思いをさせたくないという一心と夫を亡くした寂しさを癒すために懸命に息子二人を育ててきたところもあった。
美佐子は少しでもお金になりそうな仕事ならなんでもやった。
懸命に仕事をしていくうちにひところ落ち着く仕事を見つけた。
それは靴磨きの仕事だった。
当時、靴磨きの仕事はできそうでいて簡単にはできない仕事の一つだった。
それぞれの場所に縄張りがあり、新規参入というのはむずかしいのである。
だが美佐子にとって仕事をすることに必死だった。
その必死さでその縄張りという垣根を崩していく。
そしてその縄張りの中に入ってしまえばこちらのものであった。
美佐子の仕事に対する意気込みは違う。
大阪の生まれだからというのではなく、もって生まれた持ち前のバイタリティと真剣さで雨の日も風の日も仕事をこなしていくのだった。
休もうと思えばいつでも休める仕事だし、保証がなく身体が資本の仕事である。
{ 病気などしていられない } そんな気持ちで美佐子は休みもなしの状態だった。
この靴磨きの仕事は見た目だけ気にしなければいいし、稼ごうと思えばサラリーマンの二倍以上の手取りになる。
しだいに稼ぐためには何が必要かというのをわかるようになっていく。
美佐子は笑顔を向けて常連のお客をそらさない。
靴磨きに女性が少ない分、そんな美佐子の常連客が増えていった。
苦労はするもののそれなりに順調に稼げる仕事のことは息子たちに教えなかった。というよりなるべく仕事のことを知られないようにしているつもりだった。
度数のないメガネをつけ、手ぬぐいで髪をおおって目の前の靴を磨く姿にした。
そして上から見ているお客に冗談交じりの言葉をかけるときの美佐子の笑顔と対応はお客を再び訪れさせるに違いなかった。
美佐子は仕事を終えれば、近くのデパートのトイレに入って普段着に着替えて帰宅する。
稼ぐ土日も家にいなかったから、二人の息子はかぎっ子で育っていった。
美佐子の仕事は順調になっていき、お金も次第に貯まってくるようになった。
年にも似ず手は皺だらけで爪には黒い垢が溜まって、何度洗っても消えないけれど気持ちは充実していた。
仕事を終え、高いビィルディングの合間から夕焼け雲が見えるとき、衣服を着替え化粧を直した美佐子の唇がときに微笑んだ。
かぎっ子で育った純一と正也の二人の息子は美佐子の希望だった。
二人の息子は母の美佐子にねだれば好きなものは買ってもらったし、遊びに来る仲間にも奢ることさえできた。小遣いも多めに持たされた。
幼い二人は世間というか、まわりから冷たくされている感じを父親がいないからだと意識するには幼すぎてもいた。
長男の純一が中学に行くようになっていじめられるようになったのも自分のせいだと思っていた。純一は気弱さはあった。
忙しい母はいじめのことを知るよしもない。

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1-37 転機

、、、その方法、、、、、
義三は経営していた印刷会社をたたむと同時に所有していた不動産を売却することにしたのである。昭和の高度成長時代に勧められるままに土地や購入していたマンションが、いくつかあった。そのいくつかの不動産を売却することでお金を作ることにしたのである。
バブルがはじけて数年しているものの場所がいいものなら、いまだ買い手がつく。世間で日本の不動産神話が崩れたという声が聞こえるものの、まだまだ頼りになるものだと実感することになった。それによって従業員の退職金や未払い金、さらに純一への投資資金をつくることができたのだった。
商売していればおのずと担保をつけ銀行からお金を借りることもあるものだから、義三もこの際、担保をつけ銀行から借りていた未払い金をその部屋も処分して返せたのだから、ほっと安堵をした。
それにお金の一部を娘婿へ投資することを考えてみれば、楽しみにもなってくる。
義三は自分の住んでいるところと少しばかりのマンションを残すことで、テナントさんさえ借りてくれてさえいれば、その家賃収入ですぐに生活に困るということはないだろうと思った。それよりも心配していたのは会社を閉めることへの従業員の反動だった。ところがその不安を感じないほど反発はあまりなかったのだから、胸をなでおろすことになった。
{ 幸運といえるだろう、、、 }と義三は思った。
巷では会社や店の倒産が多く見られ、マスコミでも「倒産」という言葉に慣れっこになっていたのだろうか。社員は{ このご時世なのだから何がしかのお金さえ貰えれば }という気持ちになってくれたのかもしれない。 
充分だとはいいがたいが、それなりの資金を義三は純一に提供することができた。
義三にとって投資というよりも純一夫婦に預けたという感覚ではあった。
娘の優子のためにもなることであり、いい機会だろうと義三は思ったのである。
一方、その頃、、、優子は変調が生じていた、、、、
変調、、、、優子は身ごもっていた。
心のどこかに姑の美佐子と別居することを望むようになっていて、、、、、
そのころ、、、夫、純一によって持ち込まれた独立の話。
独立して東京に拠点をもちたいという夫の言葉に優子の心は動いた。
{ もしこの時期に身ごもったことを姑の美佐子に知られたら、、、、東京への移転を反対されるかもしれない、、、、}
一方、姑の美佐子は、、、、、、
息子の見つけてきた優子がこの大坂に嫁いでくることになったころ。
最初、きれいなお嫁さんが来たという印象だった。
しかし、そうもいつておられなくなった。
年代の違いがあるものの同性が同居するということがしだいに違和感を生じるものだということを美佐子はあらためて知ることになる。
女の奥底に眠る心情を無造作になで触られたような感覚がときにあったのである。それは我慢できないといういうものではなく、かといって無視するほどあたりさわりのないものではない。忘れかけていた女の感情がふつふつと湧き上がるのだった。
美佐子は昔から悪い女ではなかった。むしろ気立てのよい女のほうだったと思われる。
しかし、優子が同居してしばらくするとしだいに温かみのある気持ちが捻じ曲がるような感覚をもつことがあった。
もちろん生活には嫌なことばかりでなく、むしろひさびさに女同士の楽しみ方もあったのだから、うれしい日々もあった。
しかし生活というものはしだいに微妙なずれを生じるものである。
若い人には若い人なりの考えはある。大阪と東京の生活観もあることだろう。
近所や知り合いとの接し方なども優子なりに慣れてくれることだろうと思った。
たが、小さな気がかりがしだいに大きな感情のすれ違いになっていく。
美佐子にすれば優子は日々の食費にお金をかけすぎていると思うし、優子は賞味期限が切れたものなら、まだ食べられるはずなのにすぐに捨ててしまうのが気になる。それにどこが汚いのかわからないが「汚い、汚い」という呟きが聞こえてくる。
優子が美佐子の話をどこか上の空で聞くようなことはちょくちょくある。
自分の息子の嫁なのだから、頭では仲良くしなければと思い、それなりに接しようとしてきたつもりだったのだが、、、、、
これが他人で、同居しないでお付き合い程度ならばうまくいくのだろう。
しかしひとたび身内となれば違う。
{ 傍目に仲良くしているように見える嫁姑でも、よほどのことがないかぎり心が通じているとはいえない }と美佐子は思う。
それでもこのごろでは、優子が子供を産んでくれれば、家族の絆のかたちが変わってくるかもしれないと一縷の望みを持っていた美佐子だった。
しかし美佐子は優子の変調に気づかなかったのである。
そのころ、、、、

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1-36 起業と閉業

聞いてみると夫の勤めている会社の早期退職希望者の募集に応じることにしたというのだ。
優子は{ それは相談ではなくて、もうすでに決めていることじゃないの }と思ったが口に出しては言わなかった。バブルのはじけた数年後のことだった。
純一によるとこの機会に今の会社勤めを辞めて、仲間と共に空気清浄機の販売会社を作りたいという。そのためには内々、仲間の協力を得ることになってはいるが、それなりに出資金がいるという。
その相談の意味というのは優子の東京に住んでいる父の須佐義三にそれらのことで相談をしたいという。
そのころ義三は東京で小さな印刷会社を経営していた。
だが平成のバブルのはじけた後、その経営の難しさを感じていた。
景気がよくなりつつあるというニュースがときには流れてくることはあるが、こんな中小企業まで景気のいい話は回ってこないだろうと思っている。
バブルの頃はさまざまな儲け話を前に人々の欲望と皮算用がうごめき、その願望のエネルギーはじわりじわりと貯まっていく。それらの儲け話の前には不安の要素が含まれているのだが、人はそれを過小評価してしまう。不安な要素よりもお金が儲かるという現象を巷に見て聞いていると自分も乗り遅れることに不安さえ感じた。なんとか何をしても稼げるはずだと思うようになるとむしろ自分か関係ないことでも儲けられるのではないかという気持ちになってさまざまな情報に耳を傾けるのだ。それに自分の仕事がうまくいった。実際に儲けに儲けたのだ。
テレビの経済ニュースが最高潮に達していた時期が続いていた。潜在的な負のエネルギーが積もり積もってまるでバネが元に戻るような力が突然おとずれてバブルがはじけたのだ。
その後の政府の景気対策は後手後手に見えたし、あてにはできないと義三は思っている。
そんなことより不安にしているのは印刷業界の流れが変わってきていることだった。
コストをぎりぎりまで落としても継続した利益が生まれそうもないし、いままでとは違う波が世間に流れ始めていると感じていた。これは景気とはあきらかに違う要素がある。
もしかすると印刷業界だけではない。
、、、、新しい波には世代交代がつきものだが、、、、、
といっても息子の光男は会社を手伝おうとしないし、いや手伝ってもらうとしても先行きの不安に悩まされることになろう。肝心の従業員も日々、勤めているだけの様子で、建設的な提案などない。
{ そろそろ、私も潮時かなぁ、、、}といつわざる義三の心境だった、、、、、
そんなとき、、、、、
娘の優子の夫である泉純一の独立の話が須佐義三のもとに舞い込んだのである。
純一と優子はともに大阪から上京してきて、独立のため、そのお金の工面と会社設立の相談に乗ってほしいというのである。
純一は空気清浄機の販売会社を東京に設立したいという。
純一の勤めている会社は空気清浄機に関する製造販売だから充分に経験があるし、数人の仲間と起業したいというのである。
空気清浄機といわれてもぴんとこない義三ではあったが、娘とその婿である純一の表情を交互に見ればなんとかしてやりたい気持ちも生まれてくる。
純一は大阪は地の利があるにしても東京のマーケットは魅力で、会社設立を東京にしたいのだという。そのために手持ちの資金などとともに義三から借りるお金でその会社の運営資金にしたいと言うのである。その新しい会社は仲間とともにつくるのだが、その代表取締役は純一になる。取締役という形で義三にも名を連ねてほしい、給料という形でお金を還流させたいと純一は申し出た。
とは言え、義三は考え込まざるを得ない、、、、、
独立という言葉は聞こえはいいが、会社経営というのは会社勤めの感覚とはまったく違う。サラリーマンから見れば会社経営はうらやむほどのお金を手にすることもありえるが、経営がうまくいかなかったり、はては路頭に迷うことにもなりかねない。まして創業となると勤め人の意識とはかけ離れている。かなり努力をしなければならないし相当の力がいる。それなりの不安な日々に悩むこともあるだろう。成功するとは限らないし、そしてそれが続くとはかぎらない。社員はそんな社長の苦労は表面は感じてもそれほど考えないものだ。社員は給料を貰えばそれなりに働いてくれるのではあるが人を動かすのもむずかしいものだった。
勝ち組、負け組みという言葉も優劣からの言葉だろうが、人々の思惑やお金にまつわる苦労を体験しているのは義三自身のはずだった、、、、、、
さすがの義三も妻の君江に相談をすることにした。
いままでの義三だったら、妻に相談などしなかったかもしれない。
しかしこの話は娘夫婦のことだし、それから今後の自分たちの生活に関わることにもなる。
このころ確かに義三としては経営の第一線から、そろそろ引退したいという気持が生じていた。
{ もしかすると、このままでは私の会社はジリ貧の状態が続くかもしれない }
と義三は経営に弱気になっている。だとしても小さいながらも自分で作り上げた印刷会社をたたむのには、それなりの踏ん切りが必要であった。
しかし優子の後押しがあった。
優子にしてみれば{ 東京に戻れるかも? }という気持ちが動いていたのである。
義三は迷った。
まずお金の工面をどうするか、、、、?その方法とは、、、

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1-35 結婚のとき

{ 今日は何時に帰るのだろうか?、、、、 }それでもそんな淡い期待をしている自分に気づく。
{ 私たち夫婦がこんなにギクシャクし始めたのは、、、、 }
「結婚と恋愛とは違う」とはよく聞くことで、恋愛している熱い二人にはまわりからの忠告の言葉は頭に残らない。優子もそうだった。
恋愛している二人に邪魔になるものはいらない。
母の心配する言葉も { 昔と考え方が違う } うわごとのように聞いていた。
恋愛中は互いを確かめるように口喧嘩もし、仲直りもし、甘酸っぱい気持ちにもなり、互いを見つめ合う二人の世界だった。
互いに相手のことを誰よりも知っているはずだと思い込むものである。
恋する相手が遠くにいることで、それに会えない時間が長くなればなるほど思いがつのるし、密やかな夢想の時間にも変えてしまうのだった。
その美貌ゆえ優子に言い寄ってくる男たちは多かったのだが、そのような男たちには冷静に対処していたつもりだった。
純一もそういう一人ではあったが、しかし優子の心が揺れ動いていた。純一が仕事の関係で大阪から出張してくることがたびたびだったのであるが、縁というものは不思議なもので、ある日から彼のひたむきさにほのかな恋心を感じてくる優子だった。
純一は優子の美貌と視線に釘付けになった。
どちらかというと二人とも恋については奥手のほうだったのだが、二人が知り合って結婚するまでさほど時間がかからなかったのである。
結婚後の二人は夫、純一の母、美佐子の住む大阪の実家に同居することになった。
住みなれた東京から大阪に移り住むことになる優子が違和感を持たずにいたのは、夫のほうに住むというのは世の中の慣例であったし、そういうものだと納得していたのだ。
結婚前の純一は母親の美佐子と一緒に大阪に住んでいて、近所には弟の正也がすでに結婚し生活を営んでいた。
姑になる美佐子は若くして夫を交通事故で亡くしていた。再婚もせず二人の息子の純一と正也を女手ひとつで育ててきた。
優子は美佐子との同居はたいして苦もないと思えた。
というのは結婚前に美佐子のところに挨拶に行ったとき、大阪特有の気さくさではあろうがその気配りに友好的なものを感じていた。初めて訪れた優子に一緒に住もうねと言ってくれたのだから、これなら楽しくやっていけそうに思えたのである。
それに優子としては住みなれた東京のしがらみから離れて大阪に住むのもまた悪くないかなと思うようになっていったのである。
しかし、、、
結婚後、同居していると姑の美佐子の態度がしだいに変化していった。
優子の夫になった純一が自宅にいるときといないときでは美佐子の態度が変わることに優子は気づくようになっていく。最初のころはこんなものなのだろうと思っていた。
しかし月日が経つうちにどんどん姑の態度がエスカレートしていった。
夫は結婚前と同じように母と接しているように見える、あるいは微妙な違いを気づかないふりをしているのかもしれない。というよりも夫自身も美佐子に似たところがあって、人に対する繊細さがあまりないのではと優子は思う。気を使わないというよりも自分中心的すぎるように思える。
美佐子は優子を押しのけるようにして純一の世話をしたがる。食事作りだけではなく、風呂の世話などをしようとする。優子はそれぐらいなら全く構わないと思う。それどころか手間が省けて歓迎するくらいだ。妻の立場と姑の立場から嫁姑の戦いをする人たちも多いと聞く。
しかし優子は少し違っていた。 { お母さんなのだから、]息子を産み育ててきた。息子が大人になって結婚したとしても母の気持ちとしては世話をしたくなるだろう。結婚したからといつて母親と息子の関係は変わりがないのだから。だから夫婦関係を壊すようなことがなければ姑が結婚したあとの息子の世話をするのにまったく構わない。それどころか夫の世話をしてくれるなら手間が省けてちょうどよい。こんなところで嫁姑の間でごたごたしたくもない } 優子はそう考えていたのである。
そう意味では普通の人と少し変わっているかもしれない。
ただ優子としては姑の美佐子が自分のものと純一の洗濯物を一緒に洗濯機を使って洗うのはいいが、洗濯物の中から、優子のものだけ取り出されて放置されることになる。優子は自分の洗濯物と姑のものとを一緒に洗濯してほしくない。しかし優子の洗濯物を執拗に触るのには困ってしまう。想像しただけでいや~な気持ちになってしまうのだ。
{ 私が前もって分けておけばいいか、、}と優子は思うのだか、自分のいない間にタンスの中も探られている痕跡があった。
それとなく美佐子に注意を促がしてみても止めようとはしないようだった。
それどころか美佐子は優子に向かって「嫁はいいわねぇ、、、三食昼寝つきで、、、遊んでいられるんですもの、、、」と厭味を言うようになっていた。
また追い討ちをかけるように最近は「子供はどう?まだなの、、おかしいわねえ、、」と催促するようになった。その「おかしいわねぇ、、」という声音が意味深なのだった。
こんな毎日を過ごしている優子はある程度の寛容さとあきらめがなければ生活ができないのだなぁと思う。
できれば姑と喧嘩などしたくないのだから自分なりに感情を自制するようにしている。
だけどマヨネーズを使った後のそのチューブの口に付着した残りかすを指と舌で舐める姑のしぐさは耐えられそうにない、、、。
そんな日々の姑のことを純一に話してみるもののほとんど相手にしてくれない。
あまり言うと夫は露骨な顔をして、逆切れすることさえある。
それどころか純一は母親の前で「やっぱり母親は無償の愛だなあ」と言うこともあるのだ。
そんな息子のつぶやきが母親の耳に入れば喜ぶはずである。
美佐子はますます優子にあてつけるように純一にサービスをしようとする。
{ ちょっと行きすぎかなぁ、、こんな生活、、あぁ、なんか嫌になってきたなぁ、、、、、、、}
そんなある日、夫は優子に相談したいことがあると言い出した。

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1-34 永久に生きる


流れる川の上流を根源まで辿っていけばそれは無数の水滴にたどりつく。


水滴一粒一粒は結び合いながら川の流れとなり大海へと向かっている。


人生という川と海に漂いながら、人は嘆き。苦しみ。歓喜する。欲望を追求し。優劣を比較し。貧富の差を非難しながら富に酔い。平等と言いながら不平等な仕組みを作り出す。嫉妬や増悪や屈折が増し、いじめから暴力となり復讐を伴い争いは絶え間なく生じていく。


しかし苦難を克服し愛に目覚める者もいる。自分の人生の意味を求める者もいる。悪から立ち直る者もいる。


やがて死が訪れ魂の故郷に戻ったとき生命の永遠に気づく。いままでの人生を遠くから振り返ることができる。あのときの苦難が愛と成長への肥料だったことを理解できるだろう。あの病が生き方の転換期だったのだと知るだろう。あぁ私はあのときのあの苦しみの中に愛と成長の種があったことに何故、気がつかなかったのかと悔しがることだろう。


生きている間、現実の中にある意味は見えにくいものである。


粒子一つ一つが縁となって増悪しあうものではないということが理解できないでいる。


憎しみ合うものでなく争うものでなく暴力しあうものでもなく、まして戦争という形で大勢の人々同士が殺し合いをするものではなく、解決するための試金石であり愛を奏でるためのエッセンスがあることに気がつかないだけなのだろう。
摩擦や軋轢や挫折を活用し成長すること、生命の本源を極めようとしなかっただけなのだろう。


人はどこから生まれてどこにいくのか想像がつかないでいるからだろう。


完全無欠に永遠に想いを込めて蠢いている無限の生命のことを誰が知ることだろう。


そんなことを言えば、見たことのない聞いたことのないたわごとであり、お前は現実の生活を、科学のことを、本当の人生を、神仏のことを知らない馬鹿な奴だと罵しられ笑われるか無視されるだけであろう。


魂の根源からの無数の一粒一粒、互いの結びつきにより永遠に成長していることに気づかないでいる。


生も死も一瞬の出来事であり善も悪も一粒の水滴である。


やがてその水滴たちは天に上り、ふたたび雨という形で自分の人生に戻ってくる。

1-33 松本潤の突飛な行動

コンサート会場の出入り口では係員にチケットを渡すとそれを器械に通し、本物かどうかをチェックしたのちに通過することになる。なるほどここでチケットが本物か偽物かがわかるのである。とすればさっきの偽物をつかまされた二人の日本人はチケットをダフ屋から買ったすぐにコンサート会場に入場しようとしたのだろう。ところがここで偽物だったことが分かったのだ。もしかするとお釣りのお金もも偽物のお金だとわかったのだから踏んだり蹴ったりだった。まして彼女たちははるばる日本から駆けつけて、現地でのチケットを購入しょうとまでした熱心な嵐ファンなのだった。チエは彼女たちが新しい今度は本物のチケットを手に入れればと願った。それでもダフ屋なら相当のプレミアを付けて売ってくるはずだが。本物でも偽物でも。
チエがコンサート会場に入ると相変わらずの熱気だった。しかし多少の熱気はあるもののどこかに静けさもあり何か間が混在している。
振り返るとスタンド席の一部に{あれってVIP席なのかな?}と思えるような一区画がある。
静かに座っている様子の一群があった。のちに開演したあとも静かにしていた区画だった。
やはりVIP席だったのかもしれない。
それよりもチエが気になったのはステージ前付近のまとまったいくつかの席がすっぽりと空いていたことだった。実は開演したあとでも、そこの席が埋まらなかったには少なからず驚いた。嵐のファンにとってはたまらなく、いい席なのにである。もしかすると買い占められていた席がプレミアつけすぎて売れなかった?それとも、、、。
どうもいつもの嵐のコンサート会場とは一味、雰囲気が違う。ただほとんどの席は満員なのは同じだ。
チエはアリーナ席で早苗を探す。コンサートの開始時間まであまり時間がないが、なんとなくこじんまりとしたアリーナ席だからそんなに時間はかからないかもしれないと思った。今回の上海が嵐の海外公演は最後だから念入りに探さなければならない。
しかしガードマンたちの雰囲気がしっかりしていない。まるでにわかのガードマンとでもいうように心ここにあらずのところがある。公演前だからチエがアリーナ席の間やステージの周りを歩き回っても誰も咎めない。近くに見る関係者やガードマンたちの顔つきはなんとなく田舎の人たちのような、なんとなくお人好しなのか、それとも関心があまりないのか、どちらにしても仕事として熱心にしているようには見えない。
チエは相当、歩き回ったが早苗を発見できずにいた。
とうとう嵐のコンサートが始まってしまった。

嵐の5人は相変わらずあでやかな登場だった。
チエは公演途中の頃合いをみて、アリーナ席の間を歩きまわってみた。しかし公演途中でさえも誰もチエに注意する者がいない。ステージのところどころには関係者がいるけれど、特に何かをするというわけではなく誰かに注意するわけでもなく、なんとなく所在なげにしている人たち。たとえばステージのすぐそばに関係者らしき中年男性が2人、座っていたが、それはまるでステージで歌い踊る嵐を眺めているだけといった趣があった。
そんな感じだから、開演していてもある程度、自由に歩きまわれそうだった。
実際、チエは何度か公演の途中アリーナ席のあちこちを歩いてみた。最初は疑心暗鬼、少し緊張したが慣れてくれば堂々と歩くようになる。ガードマンたちはやはり面倒くさいのか関心がない
のか、それともまさか、チエがスタッフだとでも思ったのか、誰もがチエの行動に知らん顔なのだった。
そんなとき突然、ステージから飛び降りてきた人物がいる。
{あっ、、松潤}
松本潤がステージから飛び降りてきたのだ。その飛び降りた目の前にいたのはチエだった。
そんな松本潤は、至近距離にいるチエに気軽に笑顔を向け手を振る。そしてすぐにくるっと前を向いてどんどんステージの周りを踊り歌いながら歩き出したのだ。
日本では嵐のメンバー誰かが公演中にお客のすぐ近くでそうした行動をあまりしたことがない。
ときたま変わった行動をとりそうなのは松本潤ではあるが、、。
そこに歌い踊りながらステージの周りを歩いている松潤をステージの上から注視している人物もいる。ステージ上でびっくりした表情で見つめながら歌っている櫻井翔だった。歌って踊ってはいるが、目が点になり松本潤を注視しながらである。やはり日本ではなく上海でのコンサートだからどんなハプニングが起きるかわからないからだろう。
他のメンバーは自分の踊りと歌を続けている。櫻井翔のびっくりした表情を見ていると思わずおかしくなってしまうチエだった。

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1-32 嵐の上海公演

2008年11月14日、チエは嵐の上海のコンサートに参加しながら行方不明の愛早苗を探すべく上海市内にある早苗が予約していたホテルに泊まることにした。
どう調べてみても彼女はチェックインはしておらず気配さえなかった。
翌日、チエは始発ちかくの電車に乗って上海大舞台会場に到着すると嵐のグッズ販売の並び場所に数人が並んでいた。
先頭は日本人女性の数人だった。チエは彼女たちに声をかけるとまるで昔からの友達のように話がはずんだ。
並んでいる人たちの中にはソビエトのそれも聞いたことのないような遠い地方からの女性たちも来ていて、日本人のチエに一生懸命、話そうとする。映画の「花より男子」を見たのが、きっかけで、嵐の大ファンになったという。中国やソビエトやタイの国など多岐にわたってファンが増えているようだという説明付きである。
早苗が来ていれば、必ずこの嵐のグッズ売り場に現れるはずだと早苗の親友の泉優子の話がチエには印象的で、ソウルのときと同様に朝早く来てみたのだった。
しかしソウル公演のときにはグッズ売場の列に早苗は現れなかったし、コンサート会場でもアリーナ席の一つ一つを目を皿のようにして探してみけれど見つけられなかった。
ここ上海大舞台周辺にいる嵐ファンの何人かに声をかけて早苗の行方不明の事情を説明しても { 私には関係ないわ } とばかりに、そこに心あらずの人たちも多かった。確かに嵐の公演が始まる前だったし、やむをえないことだとチエは思った。
しかし中には興味津々の人たちもいて、積極的に協力を申し出てくれた人もいてうれしかった。
この中国上海が今年の嵐の海外公演としては最終地だから、なんとか見つけられればと願っているのだが、なんにしても早苗自身が現れなければどうしようもない話だった。
チエとしては腰を落ちつけて、できるだけ効率的に探すより他はない。
そうこうしていると公演会場の正面方向の建物の一部に窓口が開かれた。{あれって、、、?}
ソウルのときと同様、この上海の公演会場でも当日券売場が設置されていた。
考えてみれば嵐の海外公演のチケット価格は日本人にはごく普通に感じるかもしれないけれど、経済格差が大きければ大きい国や地域ほど、重荷に感じる度合いも事情も違ってくることだろう。それでもチケットを購入したい人々がたくさんいる。中国人もたくさん来ているし、他国からも来ている。さすがに他国からの人はチケットを持っているようだ。
それを狙ってダフ屋がいたるところに現れては買い手や売り手を探しているのをみれば、人気のチケットだからさらにプレミアムがついていることは察しがつくし、この広場を見渡すと普通の恰好をした男も女も地面にシートを敷いて、いろいろな写真やプロマイドを堂々と売っている。日本では販売されていない嵐に関する初めて見る品々が置かれ「にわか店」がいくつもできてなんでも商売のタネになりそうな雰囲気がある。
台北でも少し離れた町では嵐のグッズをたくさん売っていた。もちろん公式ではない。
どこの国でも商売の可能性がありと見れば売るようになる。考えてみれば日本でもどこかの街では表に出ないようなあるいは堂々とジャニーズの品々を販売している店では嵐のグッズも売っていた。だから海外の国々のいくつかの街では当然、飯のタネになりうるのだ。
上海大舞台の前の広場には警察の車両が駐車しているものの、それを取り締まろうとはしないし、それどころかどこかで喧嘩が始まっても、警察官はそこに現れず、喧嘩のまとめ役は集まってくる周りの関係者?なのだった。意味深ではある。
日本人女性らしき二人が右往左往している様子にチエは思わず「どうされたんですか」と声をかけてみると「実は偽物のチケットを買ってしまって。それにお札のおつりをもらったんだけど、偽札らしいんです。せっかく日本からここまで来たのに本当にどうしたらいいのか」と涙ぐんでいる。ダフ屋から安くチケットが買えると心が湧き立って、危険性を考えずに購入してしまったというのだ。そしてお金を支払っておつりをもらったのだが、チケットそのものが偽物だけでなく、そのおつりも偽札だったことが、あとでわかったというのだから、まるで往復ビンタのようなものである。(当時はまだ現金が主流だった) チケットも事前に
購入せずに日本から二人してここまで来たのだからたいした嵐ファンなのだった。
このように商売のタネになりそうな人だとみるとダフ屋たちは、その人に押しかけてくる。
もし正規のチケットを余分に持っている人が現れたら、売ってくれと次々にせがんでくるし、なかなか売ってくれないとなるとお金を示してその人にまとわりつくことになる。それでも売らないと、どこまでも追いかけてきて危険な状況が生まれることになりかねない。{身の危険を感じるほどやばい。危な~~い}
たとえ危険を感じて警察官のところに行ってもそのときだけである。警察官がそばを離れたら、ワッとまたダフ屋たちが近づいてくるのだ。お金への執着が強いのだ。警察官も我関せずだから信用はしないほうがいいような気がする。

グッズ売り場に並んでいた中国人の若い女性が「お金もチケットも偽物が多いから、気をつけないと」と持っているチケットを陽にかざしながら注意してくれた。どこの国にも優しい人はいる。
それにチケットもお札もいろんなものの偽物が動いているから、誰から買うにしても中国の人たちは慎重になる。
早苗はやはり現れず、チエは19:30の開演前に会場に入ることにした。

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1-31 埃の調査

チエは口惜しそうな顔をし、ソウルでの早苗の形跡は見つからなかったと報告した。
「そうか、わかった。それで由比、、君のほうの早苗の自宅マンションのほうばどうっだった?」
「あ、はい興味深いものがでました。監視カメラの画像では10月17日の朝早く、彼女がスーツケースを引っぱって自宅を出ていく様子が映っていました。これがそうです」
と言って写真を見せた。ハンドバッグを乗せ黒っぽいスーツケースを引っ張る小柄な早苗がマンションを出て行く様子が写されている。
「それで机の埃の調査の件なのですが、彼女は10月15日に机を拭いたと思われます。ところが、その机の上に置いていたと思われる何か四角いもの、バッグかB5サイズほどのパソコンくらいの大きさのものが10月21日ごろには無くなっているようです」
「それはどうしてわかった?」
「これが机の埃の数値データの変化を計算した結果です」と由比は和田に書類を差し出す。
「なるほど、しかし10月21日に彼女はシンガポールにいたはずだな?」
「そうです。彼女は現地のマンダリンホテルに再度のチェックインを予定していた日です」
「彼女はその日、シンガポールで豪華客船ピュアプリンセス号の船旅を終えて下船し、そのあとで、そのマンダリンホテルにチェックインする予定だったのだが、チェックインしていないし、キャンセルもされていないことがわかっています。しかもその日に彼女の自宅マンションの机の上から何かが無くなっている?」
「、、、ということになりますよね。他のものはまだわかりませんが」
「でその日の前後のマンションの監視カメラのほうはどうだった?」
「残念ながら、怪しい人物は映っていないようです。しかし、、」
「しかし、、、?」
「しかし、あのマンションには少しばかり欠陥が、、、」
「それは非常口の階段の出入り口のことだろう?」
「お分かりになっていたのですか?」
「あのマンションはオートロックになってはいるが完全に機能していない」
「そうです。ちょっと工夫すれば非常階段に通じるフェンスを乗り越える事ができる。しかもそこには監視カメラが設置されていませんよね」
「この君の調べたデータからみると彼女が机を拭いた日が10月15日で、10月21日ごろにパソコンくらいの大きさのものが、机の上から無くなっている。その10月21日に彼女は
シンガポールに滞在しているはず、、とすれば、、、」
「10月21日に早苗のマンションのこの部屋に誰かが入ってノートパソコンらしきものを持っていったということですか?」
「うん、可能性が高い。早苗本人は10月21日にピュアプリンセス号の船旅から、シンガポールの港で下船したばかりのはず。ただその日に市内にあるマンダリンホテルを予約していたはずだがチェックインしていなかったところがひっかかるよな?」
「まさかとは思いますが、早苗が21日の船旅を終えた足でシンガポールから日本へ帰って、その翌日の22日のDragon社とのアポイントの時間までにシンガポールまで、とんぼ返りするなんて、まるでサスペンス映画みたいなこと考えられませんよね?いや待てよ、早苗はなんらかの理由で日本に帰ってしまってシンガポールには再び行かなかった?しかしDragon社とのアポイントをキャンセルをしていない、日本の勤務先であるオフィサーソフト社にも連絡報告をしていないということは早苗の性格からして考えられない」
「理由がわからないし、だいいちそんなとんぼ返りすることは時間的に可能なのか?」
「もしかすると自宅マンションに置いてあるノートパソコンの中に重要なデータがあって、それをシンガポールまで持っていくのをうっかり忘れたとしたら、シンガポールでは仕事にならない。そんなみっともないことは勤務先にもDragon社にも知られたくない。とすれば急遽、日本に帰ってデーターを持ってすぐにシンガポールへ向かう?ことも考えられる。10月22日から始まるDragon社との仕事に間に合わせることができる?」
「そのことを豪華客船の旅の途中にでも思い出したというのか?」
「う~~ん?」
「それと早苗のマンションの監視カメラの録画には10月17日の朝早く、彼女がスーツケースを引っぱって自宅を出ていく様子だけが映っていた。他には映っていない」
「そうかなるほど。つまり彼女は帰国はしていない?しかし自宅マンションには戻らず帰国していたことはありえる。事実として21日に予約してあったマンダリンホテルにチェックインしていないことがわかっている」
「ピュアプリンセス号の船旅が終わって船から下りたあと、シンガポールにいた彼女はいったいどこに行ったというのでしょうか?」

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1-30 シンガポールでの行方調査


ここは探偵社「二人の幸せ研究所」の会議室。
和田所長がシンガポールから、そして調査スタッフのチエは韓国のソウルから帰国したあと、ほかのスタッフとともに会議室でミーティングが行われていた。
和田所長が説明している。
「2008年10月18日(土)、早苗はシンガポールのマンダリンホテルをチェックアウトしたのちは、豪華客船ピュアプリンセス号による3泊4日のクルーズに乗船していたことがわかった。
シンガポールを出発し、各地を観光し、再びシンガポールに戻ってくるクルーズだという」
その和田の言葉に集まったスタッフ一同は聞き耳を立てた。
「早苗は18日(土)の午前中にホテルをチェックアウトして、ホテル前に停車していたタクシーに乗って、豪華客船ピュアプリンセス号の寄港地付近にて下車した。18日(土)から21日(火)までシンガポールの港の発着で、その豪華客船の船旅を楽しんだというんだ」そう繰り返しながらホワイトボードの文字を指さしながら和田は続けて説明した。
「10月18日(土)の午後1時から、豪華客船ピュアプリンセス号の乗客予定者は乗船開始した。早苗も乗船した。次の寄港地であるマレーシアのペナン島に向けて出航。
19日(日)の午前中、下船を希望する観光客はペナン島(マレーシア)にて下船。早苗も下船。
観光した後、観客全員がふたたび乗船する。早苗も乗船。夜、次の寄港地であるタイのプーケット島に向けて出航。
20日(月)午前中、停泊地であるプーケット島にて希望する観光客は下船する。早苗は下船していない。夜間にピュアプリンセス号は、シンガポールへ向けて出航する。

21日(火)午前中、3泊4日の旅を終え、シンガポールの港ですべての乗客とともに早苗も下船しているが、その後はどこに行ったのかは不明。予定ではその日に再びマンダリンホテルの宿泊予約をしていたのだがチェックインしていなかった。
22日~24日までシンガポール市内にあるDragon社と仕事をする予定であったが現れなかった。
27日(月)帰国予定にもかかわらず帰国せず、いまだに連絡が取れない状態が続いている。
以上がシンガポールでの早苗の行動を調べた結果だ。

早苗はシンガポールの港から、豪華観光船ピュアプリンセスに確かに乗客の一人として乗り込んでいた。しかし早苗が再びシンガポールに戻って下船した後の消息は、さっぱりつかめないんだ。補足し重複になるが」と言いながら、和田はボードの文字を再び指し示しながら、まるで自分に言い聞かせるようにもう一度、早苗の行動を説明した。
「10月17日(金)羽田→シンガポールのフライト済み。シンガポール市内にあるマンダリンホテルに1泊の予定でチェックイン済み。
10月18日(土)マンダリンホテルをチェックアウト済み。休日
10月19日(日)休日
10月20日(月)勤務先には、この日の休暇を届け済み。
10月21日(火)勤務先には、この日の休暇を届け済み。ただ翌日からシンガポールにあるDragon社との仕事のアポイントが入っているため、この日から再びマンダリンホテルに4連泊の宿泊予約済みだったがチェッインもキャンセルもなされていない。
10月22日(水)午前10時、Dragon社にて担当者とアポイントがありましたが、愛早苗は来社していないし、連絡がとれない状態となっていることがわかった。
Dragon社とは、この10月22日(水)から24日(金)まで現地での打ち合わせをする仕事の予定だった。しかし約束の時間になってもDragon社に現れない。だからDragon社は早苗が約束時間に来社しない旨を早苗の日本の勤務先であるオフィサーソフト社に連絡した。この時点でも早苗の携帯電話はつながらなかったという。
10月23日早苗の勤務先オフィサーソフト社では如月専務を中心にして早苗さんとの連絡をとることに集中したがやはり取れない。それでその旨を早苗さんの父である愛啓介宅に電話連絡した。
愛啓介は、東京の早苗の自宅マンションに急行した。早苗の部屋207号室の鍵は持っていないから、家主に事情を話し開けてもらった。やはり早苗は居なかった。その足で早苗の勤務先に行って事情を聴くことにした。
しかしいまだ勤務先でも早苗と連絡がとれないというこことだった。
10月24日愛敬介は娘の行方不明のことを警察に連絡した。行方不明というだけでは警察は動こうとしない。しかし父親は強く要請した結果、早苗の大塚にある自宅マンションを見てもらうことになった。来てくれた警察官二人が207号室を検分した話だと、あまり不審な点はない様子だし、帰国の予定である10月27日くらいまでは、待ってみてはどうかとことだ
った。
10月25日(土)休日
10月26日(日)休日
10月27日(月)シンガポール→羽田、帰国予定だったが、フライトをしていなかったようです。
10月28日(火)出社予定だったが出社せず。不明。
10月31日(金)羽田→ソウルのフライト予約済み。会社には事前にこの日の休暇を届け
済み。この日から2日(月・祝日)まで、ソウル市内の某ホテルに3連泊の宿泊予約済み。
11月 3日(月)ソウル→羽田の夕方のフライトを予約済み。会社には事前に休暇を届け済み。
11月 4日(火)出社予定         
11月14日(金)羽田→上海のフライトを予約み。上海の某ホテルに3連泊を予約済み。
会社には事前にこの日の休暇を届け済み。
11月15日(土)休日
11月16日(日)休日
11月17日(月)上海→羽田のフライトを予約み。会社には事前にこの日の休暇を届け済み。
11月18日(火) 出社予定
「以上だが、早苗の消息はいまだまったくわからない。それでチエのほうばどうだった?」と和田は顔を向けた。

1-29 韓国の嵐ファン


チエは嵐のコンサートが始まる前にその会場となるフェンシング競技場の周辺で早苗を見つけることができなかった。
このソウルの会場では、日本のどの会場よりも厳しいチェックが待っているように思っていたのだが拍子抜けがした。というのはチケットを見せると、早く行けとばかりにバッグの中をちらりと覗いただけで通過させてしまうのだった。
{あれっ、、こんなもん?}と会場入り口でのチェックを通過したチエは思った。
会場に入ってみると日本のコンサート会場とは違う一種独特のざわめきが漂っていた。
ざわざわする人々の気配と雑多な話し声、そのざわめきがときどきうねりをあげるかのように強弱しながら膨らむ。
しばらくすると会場が一瞬、静かになった。すると突然、会場全体が絶叫する。
空気は破裂寸前に膨張し、ときに叫び声がつんざく。まだ開演していないのにである。
するとしばらくすると確かに予期していたのだろう。
突然、先ほどとは違うような会場全体がどよめき響く。それとともに一種異様な雰囲気とともに「嵐」が現れた。嵐が歌いだし踊りだす。間髪を入れず一緒に総立ちした観客も大声で歌い踊りだす。会場は最初から大盛り上がりである。
日本や台湾と韓国のファンとのパワーはそれぞれ違いがある。どちらも熱狂的なのは共通であるが韓国のファンは一味違うようである。いたるところで大合唱が響いて群集からの圧力のような雰囲気があり、まさに熱風が押し寄せては膨らむというにふさわしい。観客みんなで歌う熱風がコンサートをしている「嵐」を包み込むのだ。
チケットが取れないで会場の外にいるファンは場内から漏れてくる嵐の歌に合わせて大声で合唱し踊り、ときとして叫ぶ。
そんな熱い韓国のファンの前だから終了のときがきて、その嵐が終了の挨拶をしてもアンコール熱風はやまない。いつまでも続くことになる。二度や三度や四度では納得しない韓国の嵐ファン。そのアンコールに応える嵐はいつもより、長い時間の延長になったのは自然の成り行きだった。
もし早苗が嵐のコンサートを観るとしたら、アリーナのいい席をとるはずだと聞いている。
実際、チエもアリーナ席をとり、アリーナ席のファンの中から早苗を探すことを試みた。
早苗は150cmすこしくらいの小柄の女性だから、できるだけ見落とさないように気をつけて探してみたものの、くやしいけれど早苗を見つけることができなかった。
それに何人もの韓国人や日本人の嵐ファンが行方不明になっている早苗のコピー写真を手にして、その発見に協力してくれていることは嬉しかった。
だか、、いまだ誰からもチエに連絡がこない。

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1-28 嵐のソウルコンサート会場

チエはこの公演当日、早めにフェンシング競技場に到着した。
というのは、もし早苗が嵐のソウル公演に来るとすれば、当日の朝から販売される嵐のグッズを購入するに違いないとの早苗の親友である泉優子は言っていたからである。
早苗は早めに来るだろう。チエにとってもうなずけることだった。
販売開始時間はまだ先であるが、すでに数百人のファンが売場に向けて並んでいた。
早苗がリバーサイドホテルにチェックインをしていないことから予想できないことではないれけれど、一縷の望みを託し、グッズを購入するために並んでいる一人ひとりをチェックした。いまのところ早苗の姿はない。
しばらくすると韓国人スタッフが叫びながらそばを歩いて去っていく。
チエのそばで並んでいる韓国人女性に聞いてみると、片言の日本語で「チケットを持っていない人はグッズを買えませ~~ん。購入するときにはチケットを提示してくださ~い」と韓国語で言っているらしい。
するとしだいに行列の中から「えっ、そんな馬鹿な、、、」という日本語のざわめきが立ちはじめた。日本人もかなり並んでいるのがわかった。そんな声なき声がしだいに伝染していく。
そうしていると並んでいる若い日本人男性が、台北講演でも見かけた日本人の公演スタッフに向かって、「おい、ちょっと、ちょっと、とんでもないことを言ってるよ。さっき韓国人のスタッフらしいが、何かおかしいことを言ってるぞ、チケットを持っていないとグッズを買えませんなんて、そんなアナウンスをしているぞ、本当なのか?」と怒鳴るようにして尋ねる。
その日本人スタッフは返答できないでいる。
「あんな勝手なこと言って、もしそうだとしたらそんなの最初から言えよ。いままで何時間、みんながグッズを買うためにここに並んでいると思ってるんだよ。だいいち並んでいる人に失礼じゃないか。いったいどうなっているんだ」とたたみかける。きっと恋人にでも頼まれて嵐のグッズを買いにきたのかもしれない。
「はい、、ちょっと聞いてきます、、、」と言って、日本人スタッフは急ぎ足で行ってしまった。
長い間、待たされたが、そのスタッフが戻ってきて「大丈夫です。買えるそうです」との返事。その返事にさっきの韓国人スタッフのアナウンスはいったいなんだったんだと思ったが行列していた人はほっとした様子である。嵐のチケットが手に入らず、せめてグッズだけでもと買いに来ていた人もかなりいたのであるからなおさらだった。
チエはグッズ売場の行列を中心に早苗を探していた。ふと気づいた。グッズ販売の前方斜め左のほうにバラックみたいな小さい白い建物が設置されている。ここにも少しの行列ができていたのである。
{何、あれ?もしかすると}よく見ると当日券売り場が設けられているらしい。
{そんなの知らなかった}
時間がたつにつれて続々とグッズ売り場もその当日券売り場にも行列が長くなっていたのだった。
そうこうしているうちにようやくグッズの販売が始まり、ぞろぞろと行列が動き出す。
早苗の姿はまだ見当たらない。コンサートの時間が迫っている。
するとそばで「おかあさん、こっちこっち」と日本語が聞こえてきた。
「いえ私は結構ですから、どうぞあなたたちは先に行ってください」と言っている。それに対してその若い韓国人らしき女性二人は「いいえ、大丈夫、おかあさんを席まで送ります」と何度も言い合っている。

「どうしたんですか」とチエは、その太り気味の女性に尋ねてみると「いえ、どういうふうに行ったら席まで行けるかいいかわからなくなってしまったんです。それに一緒に来た娘と、はぐれてしまって。娘の携帯電話は通じないし、もしかするともう会場の中に入っていると思うんですが、それでどうしようかと困ってうろうろしていましたら近くにいたこのお二人が、私に事情を尋ねてきましたら「私たちが席まで連れて行ってあげます」と言うのです。私は最初、断ったんです。しかしこのお二人が私を席まで送ると言って言ってきかないんです。でもこの若い韓国人の方た
ちに持っているチケットについて尋ねてみたら、この方たちの席はスタンドらしく、私の席はアリーナ席ですので、ずいぶん離れているはずなんですよ。ですから、もし私と一緒にアリーナまで行ってしまったら、この方たちは回り道して、ご自分たちのスタンド席に行かなくちゃあならなくなるでしょ。そうすると開演時間までにご自分のお席に間に合わなくなっちゃうかもしれないし、まあ、ご親切にしていただくのはありがたいのですけれど見ず知らずの私にこんなにしていただくのは申し訳ないと何度もお断りしているのです。それでも「大丈夫、大丈夫」ってこの人たち、私を案内しようとするんです。だから私、困ってるんです。韓国の人ってほんとに親切なんですけど、、、、、」とその中年の日本人女性は複雑な表情を浮かべているのだが、「オモニ、いやお母さん大丈夫、お母さん大丈夫、私たちが案内します。さぁ、一緒に行きましょう」とその韓国の若い女性たちは日本人の中年女性の手を引っ張って行ってしまったのである。
なんとなく心が温まった。
しかし、チエはそんな場合ではない、そんなことより、、、、、

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1-27 嵐のコンサートチケット

夏も過ぎ去った2008年10月30日、探偵社の所長である和田と行方不明になっている早苗の父の愛啓介はシンガポールへ、そして同じ日、スタッフのチエはジャニーズの嵐が開催するソウルへ向けて飛び立った。
シンガポールは一年中常夏といっていいところだが、韓国はそうはいかない。チエは肌寒い東京から、ほとんどかわらないソウルへの旅となる。
チエは早苗が予約していた10月31日(金)の同じフライト便に搭乗したいとは思ったが空きがなかった。早苗は予約していたフライトに実際、乗るかどうかはのちに確認できるだろう。

どちらにしてもどこかで早苗をキャッチできればそれに越したことはないのだが、いまだ彼女は自宅に帰った様子がないのだから、その予約されたフライト便に乗ることはないかもしれない。ソウル市内のホテルのほうは嵐のコンサートの関係で混雑することが予想される。だから早苗が予約しているリバーサイドホテルに空室があるかどうか気をもんだが、早苗の勤務先であるオフィサーソフト社の取引のある旅行社にプッシュしてもらった結果、なんとかチエの一部屋は予約できたというので安堵した。
チエはもともと「嵐」の海外公演の2日間とも観にいく予定だったのである。
ただ今回のチエが早苗の行方調査を行うことで、ソウル往復の旅費とホテル代を勤務先である探偵社が出してくれることになったのでありがたかった。その分をアリーナ席のチケット取得にはずむことにし、急いでオークションで探すことにした。チエはオークションの出だしより最終に近いほうが、たとえ人気の嵐のチケットであっても落札価格が落ちていくだろうと予想していた。台北のときもそうだったし、ソウルもそうに違いないのである。ただし落札時期が遅くなればなるほど出品数は少なくなることから、自分の思うような席は取れないことにはなるが、もともと安いチケットを狙っていたチエだった。
オークションの出だしのころは{嵐のアリーナ席ってこんな金額するの?あのような高い金額になるようでは私には無理だわ}と思っていた。ところが調べてみると開催日が迫ってくるに従い落札価格が安くなっているようなのである。やはりチエは思ったより安い価格で落とすことができた。ただ開演日が迫っているので、こちらは決済の手続きをして、チケットなどは現地での手渡しにしてもらうことにした。万が一、そのチケットを出品していた韓国人が会場に来なければ入場は不可になることもありえる。けれどそんなことは言ってられない。
{考えてみれば行方不明になっている愛早苗は嵐の台北公演を観に行ったということだった。私はスタンド席だったけど、あのとき彼女はアリーナ席で楽しんだということだった。彼女は、どのようにしてチケットを購入したのだろうか?もしかすると、私と同じようにオークションでだったのだろうか?}とふと思い浮かんだ。そして{どちらにしても彼女とチエは台北で同じ嵐の公演を見ていたのだ。今度のソウル公演にもし早苗が来ているものならば見つけてみせる。彼女が嵐ファンならば、なんとか見つけられるところがある、、}とチエは意気込んだ。
チエは手帳を出して早苗のスケジュールをチェックした。
10/31(金)ソウルへ向け出発予定。
11/1(土)嵐14:30追加公演と19:30ソウル公演がある。 
11/2(日)嵐14:00と19:00ソウル公演がある。
11/3(月・祝日)夕方の便で帰国予定のはず。
11/4(火)東京の勤務先に出社予定。          
チエは手帳のスケジュールを検討しているうちにうとうとした。
飛行機はソウルに到着した。
10月末のソウルの街は日差しは温かいが風は冷たく肌に触れた。チエはリバーサイドホテルに到着するとすぐにチェックインし、翌日の31日に早苗がチェックインするかどうかを調べることにした。韓国語がわからないといってもそこはなんとかなるもので、ありったけのかわいさと困った表情で、愛早苗という小柄な日本人女性を探しに東京から来たことを一生懸命に話した。すると日本語が話せる年配のフロントマンまでが対応し探してはくれたが、いまだチェックインをしていないという。もちろん仮名でチェックインをすることもありえるから、彼女の写真を渡したのはいうまでもない。
だが早苗の気配が感じられない。
11月1日には、嵐のコンサート公演日になる。

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1-26 依頼者からの電話


純一の浮気調査報告書を優子に渡した数日後、、、その優子からの電話だった。
和田に一通りの挨拶をしたあと、、、優子は言い出した。
「実はこの間の調査の結果資料を見直したのですが、さすがプロの方だなと思いました。
きれいに証拠が撮れていますし、頼んでよかったと思いました、、、、ああいうふうに証拠が撮れていると相手はどうしようもないんでしょうね」
「そうですね、証拠というのは第三者が納得できるものでなければならないので、できるだけ目に見える形で証拠を撮るようにしています。ご主人の場合は相手の女性と小旅行をしたようなもので、行動と浮気現場のペンションでの出入りや宿泊の様子の画像が撮れているのですから、もうこれで逃げようがないでしょうね。しかしまさか平日の早い時間に伊豆高原まで行って泊まるとは思いもよりませんでしたね」
「それで今後どうしたらよいのかと思いまして、ご相談したいと思ったのです」
「離婚というところまで考えておられますか?」
「この間、申しましたように、いままではまったく離婚は考えていなかったのです。でも今後どうなるかもありますが、あの様子だと離婚のことも考えなれればならないかもしれませんね?」
「そうですねぇ、、、」
「どのようにしていったらいいとお考えでしょうか?」
「一般的なことを申し上げますと、まず証拠はきちんとビデオで撮れていますから、もし裁判になっても問題はなく勝つことができます」
「はい」
「ただ、その前にご夫婦で、お話合いをする方もおられますけれど、ご依頼者によっては浮気をしているご主人をすぐに問い詰めたりする人がおられます。これはケースバイケースで、感情のおもむくままに行動すると相手に教えなくてもいいようなこちらの持っている情報を悟られてしまって、裁判になる前に対策を練られてしまうことがありますので要注意だと思います。もし最終的に離婚になることや裁判の可能性も含めて考慮されるのであれば、慎重に行動されたほうがいいとは思います」
「この女性と主人が別れてくれればと思っていますが、どう思われますか?」
「当然そうなればいいですよね、ただスタッフの意見もそうですが、あの様子ではすぐに別れさせるのはむずかしいでしょうね」
「皆さんはどんなところで、そう思われたのでしょうか?」
「そうですね。あの二人の様子を見るとたしかに親密ですね」
「逆にあの女性は私たち夫婦が別れてくれればと思っているかもしれませんよね?」
「それはどうでしょうか?、、、」
「今、主人はルンルン気分でしょうしね。あの女性のことは、どう思われます。もっと詳しく調べたほうがいいでしょうか?」
「女性については、もう少し調べておいたほうがいいとは思っています。お任せいただければと思います」
「お願いします。あ、それから、、、」と優子は切り出した。
「はい、、、」
「あの露天風呂で録音していただいたものがありましたけど、あれは盗聴ということにはならないですよね?」
「大丈夫です。あれはたまたま屋外の特設された露天風呂に二人が入ったときのものです。比較的、近づきやすかったので、試しに録音器を置いみたのです。お風呂の様子ですのでたいしたものは録れていないと思いますが、対象者のよりプライベートなものですし、これは参考にしていただければと思いお渡ししたものです」
「録音されるときはその露天風呂の近くに誰かいて録るのですか?」
「いいえ、録音機器を置いておくだけで、人はそばにおりません」
「それは大変でしたね。長い時間でしたでしょうから編集されるのもたいへんですね」
「そうですね。スタッフの映したものも集めて編集し、大事な浮気の証拠を厳選したつもりです。露天風呂での録音のほうは証拠資料というより参考程度と考えましたので、時間の関係もあり申し訳ありませんが、編集はしておりませんで、そのままCDにダビングして差し上げたのです。まぁ、より個人的なものですし、私どもがご主人と女性の露天風呂でいちゃついていたのを聞くようなことはなるべく避けたいですからね。伊豆高原の夜で騒音は少ないとはいえ、屋外ですから、音などはいかがでしたか?」
「えぇ、二人でお風呂を楽しんでいるようで、あまり聴く気にもなりませんが、いつか時間があればとは思っています。あ、それから、私の提出された資料や録画や録音の原本はいつまで保管されるのですか?」
「先日、申しましたように、お渡ししたDVDや資料については特別なことがない限り、私どものほうでは長期保管はしないのです。1ヶ月以内には破棄してしまいます。ですので、もし泉さんが将来、裁判などを考慮されるのであれば、ご自身でその資料を保管して頂かなくてはなりません。ご主人には見られないところに置かれたほうがいいと思います」
「わかりました。いただいた資料は実家にでも置いておきます」
「そのほうがいいかもしれませんね」
、、、私はこのときの優子との話になんら不審な感じをもたなかったのだ。
、、、しかし、、、

1-25浮気調査結果

和田のイヤホンから聞こえるのは女の声だった。
「、、ふふふっ、、ねぇ、私もいい年になってきたのょ、、どうなっているの、うちのマミーも心配しているし、、」その女の声が聞こえてきた。
探偵社「二つの幸せ研究所」のスタッフが泉優子の夫の純一の浮気調査をしたとき録音されたものだ。
純一を尾行していくと途中、ある女性と合流した。そしてその女性とともに伊豆高原のペンションに泊まったのである。そのペンションの外に特設されていた露天風呂に二人が入ったとき録音されたものだった。
純一とその女性がペンションに出入りし宿泊したことにより、浮気を証明するための状況証拠画像はすでに撮れていた。それに加えて二人が露天風呂へ入ったものも撮れているので証拠としてはすでに十二分だった。
最近のこの探偵社のスタッフは忙しくなり、所長の和田は急遽、早苗に関するシンガポールの調査も入ったので、いくつかの調査業務を短縮するためにこの録音したものは編集もせずにCDにダビングし、調査結果の参考資料として依頼者の泉優子に渡したものだった。それをこのシンガポールへの機内での空き時間を利用して整理したのである。

{あぁ、これが、そうだったか、、、}と和田はビデオカメラをチェックしながら、録音されていたものを耳に流していた。その録音したもの、これが純一とその女性の露天風呂での話し声が、和田のイヤホンを通じて聞こえてくるのだった。
「わかっているよ、、、、、、そりゃあ、少しずつやってるよ、、、、もう少し時間をかけなきゃな、、だいぶ会話が少なくなってきたし、、険悪というところまではいっていないが、まあ、それに近くなるときもある、、、はっきりした傷をつけちゃあ、俺のほうがまずくなるから、ほどほどにやっているんだけどね、、、、」
「悪ねぇ、、、、」
「何を言っているんだ、、でもだいぶ進めているいるつもりだが、、優子の奴、結構、忍耐強いんだ、、むずかしいところだよ、うまくやらないといけないしな、、」
「どのくらいかかりそうなの?」
「あいつが真剣に離婚を考え出すまではもう少しかかるかもしれん、自然にやらなけりゃあ、ならんしな、そこが難しいところなんだ」
「よくそんなこと考えられるわね、、、、まさか私にもそんな悪いことをしないでしょうね?」
「馬鹿を言え、お前と俺のためじゃあないか、それよりお前のほう、金の工面は大丈夫か?」
「何とかするわ、、、、、、」
「、、親御さんはどうなんだ?」
「もちろん、かわいい娘のためだもん、理由はなんとでもなるわ」
バシャーッ、バシャーツ、、、風呂おけで湯をかけている様子の音が聞こえている。
ペンションの外に特設された貸切の露天風呂なので、彼らが使っている時間帯は誰も近づかない。外から見れば使用中という札と内鍵がかかっている。だからほかの人は誰も入れないことになっているので、彼らは安心して楽しんでいるのだろう。
「、、、いゃあぁん、、、スケベ、、、、あとで、、、」
依頼者の泉優子は、夫が浮気をしていることはうすうす感じていたので、この探偵社に浮気調査を依頼したのだ。しかし、、、{まさか夫が平日に浮気をしていたとは思いもしなかっただろうし、この動画に映る二人のペンションまでが記録されており、しぐさや動きを見ればショックを受けることだろう。しかしそれよりももっと優子にとって衝撃的なのは、この露天風呂での二人の会話内容だったはずだと和田は思った。その由々しき内容を何度も聞きなおした。
和田は{調査結果資料とこの録音したものを参考資料として優子に渡したのだから、彼女はすでにこの録音された会話内容は聞いたはずだ。そしてその後に優子は和田に電話連絡をしている。しかしそのとき、、和田にこの会話についての言及はなかった。もちろん相談もなかった。いや、まてよ、そういえば、この調査報告書を渡した数日後 }と和田は優子とのことを思い出そうとした。

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1-24 シンガポール機内にて


依頼された翌々日、探偵の和田は早苗の父である愛啓介とともに娘の早苗の消息を探すべくシンガポールへ向けて飛び立つことになった。
機上になった二人の話が一段落したあと、和田はどっぷりと座席に深く座り、思いにふけっている。先ほどまでの啓介の話を思い出していた。
「そうですね。あの子はどちらかというと小さいころからおとなしいほうでしたが、こうと決めたらなかなか引かないたちでした。友達は多くもなく少なくもないと思いますが、なかでも優子さんとはとてもよくしていただいているようです。娘の勤務先のことはよくわからないのですが、忙しくて帰りが遅くなるというので昨年、私の埼玉の実家を出て一人住まいを始めたのです。一人住まいも仕事も楽しんでいる感じがしていました」
「早苗さんが誰かに恨まれるようなことはなかったでしょうか?」
「よくわかりませんが、早苗からはそのようなことで悩んでるとかはまったく感じられませんでした。それは家内も言っています」
「最近の早苗さんとお話されたのはいつ頃ですか?」
「そうですね。早苗は一ヶ月に一度くらいの間隔で私どもに電話をくれますが、先日くれたとき私とは少ししか話ができませんでしたが、妻のほうとはしばらく話をしておりました」
「どんな様子でした?」
「別段変わった様子はありませんでした。妻と早苗とは女同士でもありますからね。くだらない話で楽しそうにしていました。あまり悩みとかはないような感じでした。ですので早苗の消息がわからないことの理由が私たち家族には全く思い浮かばないのです」
「早苗さんはジャニーズの嵐のグッズを集められていたようですね?」
「グッズのことはよくわかりません。私は嵐というタレントさんのことはあまり知らないのです。家内はよく知っていて、誰それはかわいいとか、誰と誰が仲がいいとか、この間も早苗と電話で楽しそうに話はしていましたね」
「早苗さんが仕事でシンガポールへ行くことは、ご家族はご存知なかったのですよね?」
「えぇ、まったく誰も知らなかったのです」
「奥さんもですか?」
「そうなんです。家内にも話していなかったようです。仕事で行くからだったからでしょうか?」
「うふぅ、、む」
シンガポールへ向かう機内は空席がほとんどなく、旅行者の男女やビジネスマン、日本人や各国からの乗客が、くつろいだ雰囲気でフライトを続けている。
和田はこのフライトをしている時間を利用して、今回の資料の準備や整理を終えた。次に機器の準備をしておくことにした。準備といってもビデオカメラのチェックや録音機の録音済みのものを保存、消去などをして整理しておくのである。和田は手元においた録音器のスイッチを入り切りしながら耳に流している。
人の話や音を紙に記載しようとすれば抱えきれないほどのページ数になる。しかしこんなちぃちゃな録音機で簡単に録音できるというのは、考えてみれば不思議なものである。
機器や周辺機器は年々、進化を続けている。しかし生活も便利になっているはずなのに、何かが進歩していないように感じられるのはなぜだろうかとふと思った。
インターネットが日常の生活に浸透し、言葉や慣習などが違う国々の人たちと通信を利用して、互いにコミュニケーションをとろうとするのには楽しいし有意義な面がある一方、逆に危険性が高まることにもつながっている。翻訳機能が充実して言葉の壁が少しずつ低くなってくればくるほど互いのコミュニケーショが、うまくとれているだろうという思い込みや意識の隙間を利用した犯罪が発生することは目に見えているのである。それに手軽に海外に行けるようになった日本人が、知らないままに危険な地域を行き来して突然、犯罪に巻き込まれることも増えている。行方不明になっている早苗がある程度、英語を流暢に話せ、海外の事情に明るいほうとはいえ、日本人女性を見たら、近づいてくる危険な人物もいるかもしれない。早苗が所持している携帯電話がいつまでも通じないのは、異常事態の可能性が高いことを示している。隣で眠っている早苗の父の啓介は、娘が今、どういうことになっているのか深刻な気分に違いない。
そんなことを考えていると、「、、、ふふふっ、、、」と聞こえてきた。
{誰?、、、}と和田は振り向いた。

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1-23 煩悩のともしび


後ろ側にあるベッドで宇多田は眠っている。
したたかに飲んだウィスキーのせいで、ときどき胸を膨らませている。
金曜日の夜でも駅近くのMホテルには禁煙室があった。
早苗は居酒屋を出たあと宇多田と別れてもよかったのだが、もう少し相談にのってほしいという宇多田の申し出に従ってしまった。
頑丈で酒に強そうに見えた宇多田だったが、ウィスキーを飲むピッチは早かった。やはり飲みすぎてしまった。倒れるというほどではないが足元がおぼつかないのでほっておくわけにもいかず、早苗は世話をすることになってしまった。といっても宇多田を自宅まで送るというわけにもいかないので、結果的にホテルの空室を求めたのである。
早苗は立ち上がって、このMホテルの17階の部屋から池袋の夜景を見た。
窓から映る夜の街並みを眺めていると遠くまで点々と続く灯りたちが、まるで寄り添う人々のようにも見えた。その数々が人の煩悩といえなくもないと思った。
早苗もいままでに恋の一つや二つは経験したし、現在もお付き合いをしている男性もいる。ただそれだけが生活ではなく、家族があり、仕事があり、そのほかの時間もあって自分の思うようにいくことばかりではない。
グロッキーになっている宇多田は、目の前に立ちはだかる壁に阻まれて前に進めないでいる。優子が結婚していたことを受け入れがたいのである。しかしはその壁は当然あるところにあるだけの事実なので壊すことはできず、おそらく受け入れるか迂回して通り過ぎることぐらいなのかもしれない。{もし私の場合だったら、、、}と早苗は思い浮かべていた、、、、。
人は誰でもふとしたことで思いがけない方向へと進むことがある。
早苗は今夜、優子と飲むのだろうと思っていた。まさか宇多田と飲むとは思ってもみなかった。
ただ相談にのってあげるだけだという軽い気持ちのまま居酒屋からこのMホテルにいるのである。宇多田はグロッキーになってしまった。早苗は行きがかり上だったが、宇多田をこの部屋まで送ってきたのだから、もうこれでいつでも帰れるという融通さが、早苗をこの部屋に留まらせているのだった。
宇多田の様子を見ていると優子を想う一途な気持ちが伝わってくる。
だが自分がもし宇多田の立場になったとしたら、こうはならないのだろう。女の早苗にしてみれば宇多田の言動の端々に何か物足りなさを感じている。もっと他にやりようがあったろうにと。だが彼にそんなことは言わなかった。
{当の本人がわかっているのだろうし、性格なのね}と思うよりほかはないのだから。
優子が結婚しているのは現実。宇多田の気持ちを人妻の優子に伝えることは余計なことかもしれない。早苗は優子の家庭の状況をうすうすと感じている。優子の今後が、どうなるのかわからないにしても、そんな話をいまの宇多田にしてみたところでしょうがないことだった。
ひたすら一人の女性を想い続けている男の純情をなぜか懐かしく感じる早苗だった。
何杯ものウィスキーを飲み続けてグロッキーになってしまった宇多田。弱い人間だとは思えない。
むしろ少年をみるように微笑ましく感じている。それに比べたら、私と関わった男たちは、、、と考えてしまう。「あぁぁ、、、、」と早苗は窓にため息をこぼした。
それに呼応するかのように「うぅぅぅ、、、」宇多田はベッドの上で寝返りをうつ。
{窓から見える街明かりのように人には寄り添ってくれる灯火が必要なんだわ。それぞれの灯りがそれぞれの煩悩を持っていても、いや持っているからこそ寄り添う必要があるのかもしれない。求め合う灯火の意味がすれ違っていて錯覚があつたとしても灯火を求めあうのだろう。
早苗は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してグラスに注いだ。
そしてベッドに仰向けになった宇多田の重い背中を抱き起した。
薄目を開けた宇多田は早苗の細い腕に反応する。
「お水でいいんでしょう?」
早苗は両膝をベッドにつきながら宇多田の背中を抱くようにして支え、右手に持ったグラスを宇多田の口へともっていく。「どうぞ」という早苗の言葉に宇多田は素直に応えた。早苗がグラスを傾け、ゆるやかに口元から水を流し込もうとしたのだが、宇多田は右手を伸ばして早苗の手にかぶせるようにしてぐいぐいと飲みだした。飲み終わると「ふぅ~~っ、」と息を吹きだしながら半目を開けた。
「、、、どう、おいしかった?もう少し飲む?」その早苗の抑揚のある声に宇多田は無言のまま首をゆっくりと振る。早苗は宇多田の背中側を支えていた左腕を離し、左膝をずらそうとしたが、いつのまにか宇多田の右手が早苗のふくらはぎ側を押さえ、じっとしている。飲んだ冷たい水が宇多田の喉の渇きを潤おし、背中側からは柔らかく張りのある感触が脳髄を熱くした。宇多田はおもむろに向き直ると両手で早苗のウェストを抱きしめた。
早苗は「ちょっと、、」と振り切るようにして持っているグラスをベッドのサイドテーブルにこつんと置いた。宇多田は待ちきれない子供のようにふたたび早苗の背中側から抱きしめた。
「まぁ、酔いつぶれていたと思っていたのに、、、」と早苗は呟きながらじっとしている。
早苗も少しほろ酔いだった。薄暗い部屋に言いようのない感覚を覚え、目の前の泥酔した男をいかようにもできそうだという思いがいままでになく大胆にさせた。
「あらあら、どうしたの、、、」と言って向き直り、大きな宇多田の上半身を小さな早苗が抱きしめた。宇多田はうっすらと目を開ける。目に映る女性が優子ではなく早苗だということはわかっている。しかし宇多田にとって優子でもあった。
、、、この甘い香り、、、。
窓の外、、、蒸し暑い夜風は煩悩という木々の葉たちを小さく揺らせていた。

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1-22 渦巻く恋心

宇多田の胸中に渦巻くものがあった。
早苗の話によると優子はすでに結婚しているというのである。
早苗としては宇多田が優子にただならぬ想いをよせていたことを今日、知ったばかりだったが、そうであるなら宇多田に優子の状況を最初から言っておいたほうがいいと考えたのである。宇多田の目はうつろで長い時間、言葉が出なかった。早苗は一人で黙々と飲んだ。そんな二人だから、その様子をまわりのお客がちらりちらりと気にすることになる。早苗はいたたまれなくなって宇多田を促し店を出ることにした。レジでは早苗が支払おうとするのをさすがに宇多田が気づいてあわてて支払った。早苗としては、居酒屋を出た後で別れを告げるつもりだったが「もう少し話をさせてください」という宇多田の悲痛な言葉に「じゃあ、もう一軒だけね」とつい付き合うことにした。ただ早苗としては、これ以上の特別に話をすることはないのだけれど、7年以上もの間、一人の女性を思い続けていた宇多田の様子を見ているとなんとなくほっておけないような気がしたのである。二人はそれほど遠くないMホテルの最上階にあるBar「スカイラウンジM」に入ることにした。店内に入るとサラリーマンやOLたちの笑い声が聞こえ、その間を縫うようにモダンジャズの音色が流れている。おだやかに時が流れていた。
「少し食べたほうがいいわ」と早苗はつまみと赤ワインを、宇多田はウィスキーのダブルを注文した。宇多田は元気なさそうにしていたが、ウィスキーグラスがテーブルに届くとグラス半分ほど一気に飲み「フーッ」と息を吐いた。
「やっぱり縁というしかないわね」
「えぇ、、」
「あれから随分と経つものね」
7年以上も前、当時、大学の女学生だった早苗が、大学近くの喫茶店ウファでバイトしていた男性と長い年月を経て、こんな場所で一緒に酒を飲むとは思いもよらなかった。何もなければ二人ともすれ違った人生だったはずなのである。
「その間、私は何もしていなかった」と宇多田は力なく言った。
「、、、、」早苗は斜め向かいに座って右手に持ったワイングラスを持ちゆっくりとまわしている。
宇多田にとって久しぶりに会った優子と早苗が少しも所帯じみた感じがしなかった。その再開した日に優子に「尾崎さん」と声をかけたとき、「どうして私の名を」と彼女は返事をしてくれたではないか。しかし優子がいまだ独身というのは宇多田の勝手な思い込みだった。
宇多田はまたウィスキーのダブルをお代わりの注文をしたあと「今思うと、、、私は甘すぎたんですね」
「あんまり飲みすぎてはだめよ、、」と早苗は心配そうに宇多田の横顔を覗き込む。
「大丈夫です、、、」
「そうね、、思い込みだったのね」
「馬鹿だったんです。あぁ、、、なんて俺は」宇多田はグラスをじっと見つめている。
「あなたは馬鹿じゃないわよ、、、立派なものだと思うわ、、そんなふうにいつまでも一人の女性を想い続けている男性って、なかなかいないものよ、、、少なくとも私はそんな人とお付き合いしたことがないわ、、」そう言いながらら、ワイングラスをぐっと傾けた。甘く苦い、その香りの息吹が喉を通って暖かくした。
まばらだったこのスカイラウンジにもお客が増えてきた。ときに嬌声と騒がしさが出てきている。薄明るい照明の中にいる宇多田と早苗は普通の恋人同士のようにも見えるかもしれない。
「これから、どうしたら?、、、」
「私にはわからないわ、、、、」
「、、?、、、」
「、、だってそうでしょう?彼女、旦那さんも子供もいるのよ」
突き放すように言ってはみたものの心情は少しずつ変化している。早苗も恋の一つや二つは経験しているのだが、宇多田のような男性は初めてなのである。
「でも前に進むしかないじやない」
「えっ、、、?」
「いや、優子のことじゃないの。これからのあなたのこと」
「そんなこと考えられない」
「でしょうね。今日の今日ではね。冷たい言い方かもしれないけれど」
「、、、、」
でもいつかは、、そういうわけにはいかないと思うの」
「、、、、」
「それに思い通りにならないのはあなただけじゃあないのよ」
宇多田は、うつむき加減の顔を上げた。
「まあ、今日は飲みましょう」早苗は元気づけるように宇多田の肩に手をやりながら乾杯の仕草をした。

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