本当の孤独

1-166 本当の孤独
優子の弟の光男がいなくなった。
光男はもう23才になっていた。
優子とは年が離れていて、父や母にすれば大事に育てすぎたのかもしれない。
その光男が、高校を卒業しても大学へ行こうともせず就職をしようともせず、かと言って父親の仕事を手伝おうともせず実家にこもりっきりになっていた。
母の君江から光男が実家から出て行ったことで何か思い当ることはないかという優子への電話だった。
しかし優子は知る由もない。
ただ光男のことは、以前から家族全員で気がかりではあった。
光男は高校を中退してからというものの社会生活ができないでいた。
家族がその理由を尋ねても答えようとしないし、外に出て何か行動しようとしていなかった。
親からさんざん言われてアルバイトに行こうとしたこともあったが、すぐに辞めてきた。
それ以降は、よっぽどの用事がないかぎり家から出ようとはしなかった。
優子にしてもいろいろと事情があった。
夫婦は別居状態になったし、生活費は貰っているが、離婚は覚悟している。
目の前にいる娘のうむいは、医者からは自閉症の可能性があると疑われている。
優子はよほどしっかりしないとと思っていた。
それに加えて実家の弟の光男までも行方がわからなくなったというのである。
優子は親友の早苗の行方がわからなくなった経験をしていて敏感になっていた。
早苗の行方ががわからなくなってのち殺人事件として発覚した。
早苗が白骨化した遺体でシンガポールの海で引き揚げられて、あの悲惨な殺され方をしていたことに優子は心を痛めていた。
毎日、眠ろうとしても熟睡できないし、うつらうつらとして夜中に目が覚めてしまう。
自分だけでなく早苗の家族にしたら、もっとそうだろうとは思って心配している。
そんな優子だった。
それにしてもいつになく目の前のうむいが変に思える。
先ほど気づいたが、うむいはいつもよりニコニコして食事をしている様子に見えた。
{ おいしかったのかしら?それとも何かいい事でもあったのかしら? } と思った。
子供って、その日の気まぐれで生きているようなものだから、そんなものだろうとは思う。
そんな矢先に「光男がメモを残して出て行ったの」という母からの電話だった。
早苗のように思いも知らぬ重大なことが起きることもありえる。
ただ実家にこもりっきりになっていたことも出て行ったことも光男の判断なのだろう。
だとしたら、大人としての責任と考えを持たなければならない。
長く実家に籠って世間から遠ざかっていた光男が、急に誰も知り合いのいない世間に一人、入って行った。
たいしたお金は持っていないだろうし、頼れる友達がいればいいけれどそうでもない様子なのである。

携帯電話は着信はしているはずである。

連絡がとれなければ、両親はいずれ警察には届けるつもりだという。
よほど困ったら帰ってくるとは思うけれど、世間に迷惑をかけたり事件を起こされても困る。
昔、周りの人間を殺傷して事件を起こした者もいる。
人は毎日に楽しみはあるものの何がしかの問題を抱えたり、すっきりしないままに生きているのかもしれない。
光男の様子を見ていると孤独感を感じる。
誰でも人々の中にいてもどこかに孤独感を持っているものなのかもしれない。
しかし人は本当の孤独では生きていけない。
孤独感では生きていける。
優子はsaveearthの仲間と共にハワイ旅行に行ったことがある。
オアフ島のホノルルから揺れる小型飛行機に乗り、ハワイ島に渡った。
ハワイ島ではレンタカーを借りて目的地の北部にあるホテルまでドライブをしてみた。
途中、黒々とした火山岩や瓦礫のはてしなく広がるところに入った。
数人の友達と乗っている車での移動だから、最初の頃は面白い風景だと思っておしゃべりに花が咲いていた。
しかし、しばらく続いていくと誰もが無口になっていった。
黒々とした火山瓦礫の岩だらけの生き物が見えない風景が広がっていつまでも続いている。
車がやっと通れる細い道。
植物の気配さえない。

空は青々としていた。

走れども走れども同じ黒々とした火山瓦礫の岩々が続いていくと怖さが増してきた。

誰もが口々に「怖いね」と言った。
はてしない無機質的な火山岩の瓦礫しか見えない広がりに囲まれていると生命を感じられない環境で「本当の孤独」を見たように感じていた。

車の中には友達がいてもである。
そのときに思った。
「孤独」という言葉は簡単に使えない。
私たちが、通常「一人っきり」と言っているのは甘い感覚だったと思った。
やはり人は一人では生きていけない。
もし人が食べ物や飲み物などを光のない洞窟に持ち込んだとしても、その暗闇の中では長く生きていけないだろう。
しばらくすると発狂するか、ついには死んでしまうことだろう。
そのときsaveearthのみんなで「孤独」と人生について語り合う機会になった。
「孤独」というのは、例外を除いてほとんどがありえない。
通常の生活の中での多くは「孤独」と思い込む「孤独感」だろう。
私たちが生きていられるのは「本当の孤独」でない証拠だろうという結論になった。
もし「本当の孤独」というのであればほどなくして死ぬしかないだろうから。

これが生物の生物たらしめている生命の共生の原則があるのだろうと話し合った。
だけど光男のように人とのかかわりが苦手だとか、虐めやごたごたがあって人とかかわりたくないとか、それぞれの孤独感を求めて一人になりたい人もいる。
それでも周りには家族や少なくとも他人が見えるか感じるはずである。
その中で孤独感が強くなっていけば孤立する。

その孤立を打破するために自分を傷つけたり、あるいは他人のせいにして問題や事件などを引き起こしてしまうかもしれない。
光男が実家にいるときは本当の孤独ではなかった。
光男はこもりっきりだった。
まわりには家族がいるから、生きていけたのである。
光男は、それを気づかずに放棄して外に出て行った。
何がきっかけでどうしたというのだろう。
これからどうやって生きていくのだろう。

人は孤独感を持って生きている。

人は一人で生まれて一人で死んでゆくものである。

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