武士道の本質

1-165 武士道の本質
向かいに座っているうむいは、母の優子が自分のことをなかなか見てくれないので不思議に思いながら朝食を食べている。

優子は昨晩の思いついたことを夢中になって考えていた。
人はイメージしたことを動作で一致させ、さらにその動態に応じた必要性を叶えることができるようにすれば一流になれるだろうと思う。
心、頭脳、技、体のうち技や体は目に見えるものである。
心は頭脳や技や体に影響しているけれども形がない。
古の武士たちはいざとなったら生死をかける闘いをしなければならないから、幼いときから武道における教えや心構えなどを学んではいた。
しかし、それでも危急の際や戦いの場の心の不安定さが身体を支配して思うように動けなくなることを痛切に感じていた。
闘いの最悪の場合は死を意味する。

それだけではなくサムライたちは「死に様の美」もまた意識していたのである。

場合によっては切腹ということもありえる。

日本人は「恥」という言葉をよく使う。

独特の美学を持っている。
古の人たちは心を把握しようと努めると同時に技、体を通じて修業をしていたのである。
茶道や華道など「道」という言葉がつくものの多くは主体的に心をテーマにして善の極美を追求しているように思える。
ただ楽しもうとするだけならば「道」を学ぶ必要はない。
あるいは立派な神社や寺や教会で祈るだけで、ある意味での安心感は得られることだろう。
しかし高みを目指す人ほど、それだけでは心が満足しないものであるが、心を追おうとしても掴もうとしてもコントロールしようとしてもむずかしい。

優子は成功者を見つけなければならないと思った。

世界には少数ではあるが、過去からさかのぼればたくさんいることだろう。
優子たち五人で学生のときに作った「SAVEEARTH」の会は、日本の歴史や幕末明治時代の志士たちの武士道を学び、人のために活用しようとする会だった。
優子は山岡鉄舟や坂本龍馬が大好きだった。
その中でも武士道の提唱者であり体現者である山岡鉄舟は稀に見る人物に感じられた。
その鉄舟が会得していた武士道の本質に迫りたいと思っていた。

鉄舟は1888年7月19日、夏の早朝、身を清めた。

暑かった。

隣室では弟子たち、他にたくさんの人々がかけつけていた。

鉄舟はいつもの写経を終えた後、少し汗が滲んでいた。

皇居方面に深々と礼をしたあと結跏趺坐をした。

そしてその座禅のまま亡くなっている。

鉄舟の死を追うように悲しみのあまり殉死した人もいた。

山岡鉄舟は武士道を体得し生きぬいた人だった。

この真髄は偉大な宗教と同根のようである。

武士道は、私たちが気づいていない本来の心を体得し、その真髄によって心と身体にフィードバックさせることができるのではないかと思えた。

武士道は人類の大変な助けになるにかもしれない。

優子はこの人物の生き様を思い描いて小躍りした。

山岡鉄舟は武道者というよりも求道者であり、日本の歴史における精華だろうと思った。

生きる真実、誠実を観たように思った。

昔も今も人にはいろいろな生活の苦労がある。

健康に不安だったり、経済的に不安だったり、コンプレックスに悩んだり、いじめだったり、人間関係がうまくいかなかったり、恋人や夫婦や家族の間に問題があったり、孤独感に耐えられなかったり、老後や死ぬことまで考えて、イライラしたりふさぎ込んでしまうことがある。

人は不安や恐れや欲得や傲慢さなどをもって問題を起こしたりする。
しかし、もし本来の自分の人生の意味を知り、心について把握することができていれば全く違うことになる。

「生きる」ということ、「本来の心」に気づく必要があるのではないだろうか。

そして自分の人生を俯瞰することができれば、目の前に立ちはだかる生活の苦労や病や死などの意味に気づくことだろう。

そのことにより、目の前の課題は過去からさかのぼる因果応報の延長線上にあることに気づき、検証すれば課題の意味と解決方法がわかることだろう。

未来をも見渡せるかもしれないという壮大なイメージが湧いたのである。

それは魂や霊性の成長に関与する。

社会を構成しているのは人々の集合体であり、突き進めばそれぞれの心であると言えるだろう。

人は嫉妬したり、虐めたり、憎んだりすることなどに貴重な人生の時間を費やしやすいのではないだろうか。

疑問点さえ気づかずに省みない人生を終える人も多いかもしれないと思った。

だが人は心底では本当の自分を見つけ、幸せ喜びへ成長する道を歩みたいのだと思う。

けれどどうしたらいいのかわからない人も多いことだろう。

鉄舟は人生の根本問題を解いているばかりか、その活用は世事万端に及ぶとおっしゃっている。

であるならば一例として、誰もが経験する病についてはどうだろうと優子は考えてみた。

鉄舟自身は胃癌で亡くなっている。

このような偉人が自分で胃癌を治すことができなかったのは何故だろうかと疑問視する人が、たまにいるけれども答えは簡単である。

山岡鉄舟のことや社会状況などを調べれば納得できる。

若い頃からの生活状況の因果律によるものである。

現代医学はどんどん進歩していると言われている。

しかし癌は昔は三人に一人だったものが、現在では二人に一人の割合で増えているのである。

どこかに問題があるはずである。

他にもさまざまな病は現在の医学で事足りるのだろうか?

そうはいっても人は病との戦いに負けるわけにはいかない。

その病について古の知恵や武士道の本質を活用できないだろうかと優子から聞いたときの早苗の瞳は輝いていたのを思い出す。

そのとき、、、

「お母さん、、、お母さん、、、」

目の前のうむいが手を振っているのが優子の目に入った。
うむいが片手で母の優子に手を振り、もう片方の手で指さしている。
優子の携帯電話が振動している。
優子は電話をとった。
「はい、、、、、あ、お母さん、、、どうしたの、? えっ、、、

光男がいない?、、、、、」
{ 光男って、、おばあちゃんとおじいちゃんと一緒に生活しているあの人 }
うむいは思い出した。
おばあちゃんの息子であり、お母さんの弟だから、うむいにとってはおじさんになる。
「どういうことなの?、、、、いつから?、、、」

そばで聞いているうむいは思い出した。
あのとき、、、。

うむいが母の実家に預けられていたとき、、、

そのとき、うむいはダイニングテーブルで一人だった。

おじいちゃんとおばあちゃんはたまたまそばにいなかった。

するとその家にこもりっきりの光男おじさんは二階から降りてきた。

光男の行動は早かった。
冷蔵庫を開けて、ケーキを見つけて取り出すや否やフォークも何も使わずに手づかみで、むしゃむしゃと食べ始めたのだった。
光男おじさんが二つ目のケーキにとりかかろうとすると、うむいは「そのケーキは私のよ」と声をかけた。
光男おじさんはうむいの声が聞こえなかったのか、反応しないでそのまま食べ続けた。
うむいは何度か声をかけてみた。
しかし光男おじさんは、あっという間に手づかみでケーキを食べ終わったから、大人の男の食欲はすごい。
「それって私のおやつだったのよ、、、」とうむいは抗議した。
だが光男は、うむいに流し目をしたまま返答はせずに水をごくごく飲んだ。
そこでうむいは、光男おじさんを睨みつけた。
「私のケーキ返して」と怒鳴った。
ようやく光男は声を出した。
「なんだ!」
久しぶりに聴く光男の声だった。
日頃の光男は、二階にある自分の部屋にこもりっきりで用事がないと階下に降りてこない。
いつもはのろのろとした動きの光男だが、この日は違っていた。
おばあちゃんが光男おじさんとうむいのために用意してくれ冷蔵庫に置いてあった今日のおやつのケーキを二つとも食べてしまったのだ。
幼い女の子のうむいが、大人の大きな体の光男おじさんに向かって目をむいて怒った。
「早く、私のケーキ返して、、あれは私のためにおばあちゃんが用意してくれてたものよ」
「俺は、これが食べたかったのだ」
「あなたのは、一つだけでしょ」
「気が変わった」
「私のケーキを返して」
「食べちゃったんだから、もうないだろ」
「だから返してって言ってるでしょ!!」うむいは思わず大きな声を出したのだ。
それに呼応するように「もうない!」の一点張りの光男だった。
「それじゃあ、、買ってきて同じものを」
「そんなものはどこで売っているのか知らない」
「とにかく同じものを買ってきてよ」
「お金はない、、、」
「そんなことは私は知らない。とにかく人の物を食べたのだから返すべきよ」
「、、、、」光男はまたまたしゃべらなくなった。
「とにかく早く買ってきて、、、早く、、」とうむいは光男を睨みつけた。
「、、、、、、、」
「もうっ、、早く買ってきて、買って来るまで帰ってこないで、、出て行って、、、今すぐ買ってきて!!」と怒鳴ったのである。
光男は無視を続けていたものの目の前にいる幼いうむいの剣幕のすごさに驚いて、とうとう二階に上がってしまった。
それから、ごそごそしていたかと思うと二階から降りてきた。
その光男は背中には大きな黒っぽいリュックを担いで、右手には大きな紙袋を下げていた。
そして、うむいには何も言わずに玄関ドアを開けて出て行ったのである。
うむいは光男のその背中越しに怒鳴った。
「早くよ!」

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