心のありよう

1-144 心のありよう
優子は寝室で瞑想をしている。
夫婦のベッドには娘のうむいを一人寝かせている。
「出張だ」と言っては夫の純一はほとんど家に帰って来ず、まるで別居生活をしている感じがする。
夫と結婚して数年の間、これはあやういかなと思っていた時期もあったけれど、数年たつうちに急にお金まわりがよくなっていった。
聞いてみると扱っている仕事のプロジェクトが順調に軌道に乗り始めたというのである。
それも中堅の会社と純一の会社との契約ができて日本全国に支店を設けようとしているというのである。
もっとも純一の会社の支店網というのではなく、そのパートナー会社の支店の一部のスペースに純一の会社業務のメンテナンス部門を兼ねた取次所を設けたようなことだという。
相手の会社の売り上げも順調に伸びているらしく、パートナーとなった純一の会社もそれに応じて忙しくしているようなのである。
「出張」と言ってはほとんど家にいたことがない。
そんな純一をはたから見ると幸せそうに見えているかもしれないが、実情は違う。
お金は入れてくれるからその苦労はなくなってはいるが、夫婦の別居状態が続いているのである。
昔は毎日、家に帰ってきていた。

ときには夫婦は喧嘩もしていた。
しかし夫が浮気をしていたという事実が発覚したときは大騒ぎになった。
しかしその騒ぎが一段落し、離婚の話も続いてはいたが、妻の優子が離婚のハンコを押さないということがわかると夫は用事がない限り帰宅することがなくなっていった。
幸いにも住んでいるところがマンションなので隣近所とはお付き合いがほとんどない。
こんな状態が長く続いているとそれも慣れてくるものである。
純一が家に居れば、それなりにごたごたになりやすいし、幼いうむいにいい影響は与えない。
優子は時間が空くとその日の気分で座禅か、瞑想をする習慣を続けている。
今晩もうむいの寝姿を見届けた後、そばで瞑想をしているのである。
昼間は木刀を構えて相手に立ち向かった。
相手の木刀の切っ先のかすかな動きが真剣の刃を見立てているために優子は身動きできずにいた。
相手の真剣のかすかな切っ先の動きが、次の瞬間に自分に降りかかってくると思うと緊張の連続になる。
常に防御の体制をしていなければ、それは次の瞬間に死を意味することになる。
いや防御の体制をしていても防ぎきれないかもしれない。
しかも相手がどう動くか、まったくわからない。
これが面や小手をつけて竹刀で互いに「メーン」「コテー」「ドー」と打ち合っているのなら、相手がどう動くかくらいは予想ができるものである。
こちらも相手の動きの隙を見つけて、そこに打ち込むことは簡単である。
あるいはこちらから打ち込む様子を見せて、それに対応していく相手の動きに隙を作らせることもできる。
しかしこれが真剣で構えている相手だとそうはいかない。

相手も自分も互いに切ろうとしている。
一瞬の動きで死命が決することになる。
優子は昼間の剣道室でのことを思い出している。
相手の剣先の動きに目を集中させる。
その動きを目に焼き付けるようにして次の瞬間に相手に切り込むか、切られるかその一瞬にして判断し身体が動けるのかどうかが疑問に思えてきたのである。
人は目をつぶって身体を動かしてみたり、腕や手を思うようなところに停止させてみると思っていたような動きの軌跡をとらないし、思っている位置に停止したつもりが違った位置に停止していることが多い。
これはプロアマ問わずスポーツ選手や芸事でも同じようなものだと思う。
その誤差は身体と頭脳の認識が一致していないことからくるのだろう。
とすれば頭脳は心に直結しているがために心という軸をまず安定させなければならないことになる。
心の軸がずれてしまえば頭脳と身体に伝わってずれてしまう。
もともとの心が安定していなければならない。

頭脳と体の動きの認識のずれ以前の問題を解決しておく必要がある。
しかも相手との距離感の認識と切り込む間合いと動きが瞬時に連続的に認識できなければ切られることになるかもしれない。
それも相手の動きに合わせてこちらに優位に持ち込まなければ相手はそれを隙と見て切り込んでくるかもしれない。
その自分の心と頭脳と体のイメージと実際が一致することさえできれば、相手の様子を観ることがてきるようになるだろうと思う。
しかしここに問題が持ち上がった。
内実を探っていくと心と心の問題だと気づいた。
自分の心の問題と相手の心の問題である。
自分にとっては恐怖心だった。
死や傷つくことを予感する恐怖心を克服できるのかどうかが、まず前提にあった。
人が生活するうえではさまざまな不満や恐怖心やコンプレックスが生じている。
それが嫌なら逃げたりする引き籠ったりする生活を甘んじればそれもできるかもしれない。
優子は自分だけでなく人の心のありようを会得すれば多くの不満や困難や病などが克服できるだろうと考えていた。

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