両刃鉾を交えて避くる用いず、好手還って火裡の蓮に同じ、 宛然自ずから 衝天の気あり

1-143 両刃鉾を交えて避くる用いず、

好手還って火裡の蓮に同じ、
宛然自ずから 衝天の気あり
「やゃ~~つ、いぇつっ、、!!」
優子は木刀を正眼に構え相手に対して気合を発している。
対する相手の男性も木刀を正眼に構え、じりじりと前に動いている。
「いゃあぁ!!、、」とその相手は鋭い気合を張った。
まわりにはたくさんの剣道部員たちが剣道着を身に着け、互いに竹刀で撃ち合っている。
その喧騒に武道室の隅でひときわ鋭い気合を発している二人だった。
優子は10年近く前に卒業したこの大学で所属していた剣道部を訪ねていた、
優子は大学生になって初めて剣道を学んでみたいと思ったのだった。
剣道部に入部してみると部員は男女がいたが、女性は少なかった。
女性部員は高校あるいは中学校で経験者した者が多く、優子のように初心者はほかには一人だった。
女性部員の着替え室に入るとその汗臭さに辟易したが、それもすぐに慣れた。
剣道着の匂いも当たり前のようになったころには面白みも見出した。
というのは卒業近くになると男女ともに辞める人たちも出てくる。
そんな中で地道に力をつけて初段までになり、「先輩、先輩」という下級生から頼りにされる存在になるとまんざらでもない笑顔を見せた。
その頃は鋭い勢いある気合の声が出たものだった。
優子は、思い出して久しぶりに卒業した大学の剣道部を尋ねたのだった。
昔の剣道部を世話をしていた内田先生が今は剣道部の顧問であり部長にもなっていて、優子の訪れを歓迎してくれた。
若々しい後輩たちが目を見張らせて優子の剣道着姿を見つめている。
優子のここを訪れた目的は変わっているのかもしれない。
というのは福田稔医師から見せられた治療と講義が優子の頭から離れなかったのだ。
その施術を見るまでの優子は、癌や重篤な病を治す方法は東洋医学では難しいのではないかと思っていた。
漢方薬は多少の効果はあるかもしれないが、癌にかかった患者の「気」を流そうとしたり、あるいは瀉血の作用で本当に治すことができるかどうかに大きな疑問を持っていたのである。
ところが福田稔医師の様子を目の当たりにした優子はいままでの考えが一気に崩されてしまったのである。
その日から優子は福田ー安保理論の書を求めた。
読めば読むほど興味深くなっていく。
素人ながら病が理論的にここまで解明されていることに目を見張った。
福田稔医師が行っている瀉血の治療は、あるいは気を流すという効果が病を治していくという説明に頷くことはできる。
その成果は白血球の数字やバランスに表れるというのである。
しかしあのやり方は素人には無理だろうし、医師でも簡単に真似のできることではない。
福田医師のような治療をしている人は世界のどこかにいるかもしれないけれどあまり聞いたことはない。
福田医師は「病のほとんどの人は気が鬱屈している。それが私には見えてくるから、その鬱屈した気の滞りを流すようにしてやれば、癌でも治るんだよ」と言いながら、患者の全身を次々と注射針を刺していくのである。
福田医師の癌患者は瀉血の治療を受けて体全体が血だらけになるのであるから、現代の医師から見れば到底納得のいくの方法には見えないだろう。
昔ならばいざ知らず、現代の医術というのは検査と手術と投薬が主流の西洋医学であるから、形のない「気」や瀉血など邪道とみなし学ぶ気持ちなどは起きる医師などはないのではなかろうかと思う。
しかし優子はその福田医師の施術に医学の未来を感じたのだった。
本物は西洋医学だけではない。
胎動しひらめきに似た福田医師の施術に優子にはある言葉が浮かんだのである。
「両刃鉾を交えて避くる用いず(りょうばほこをまじえてさくるをもちいず) 
好手還って火裡の蓮に同じ(こうしゅかえりてかりのはすにおなじ)
宛然自ずから 衝天の気あり」(えんぜんおのずからしょうてんのきあり)という禅語だった。
これは中国唐王朝後半、洞山良价(とうざんりょうかい)(807年~869年)禅師の碧巌録の第四十三則にある言葉だった。
興味深い言葉であり公案に思えた。
そしてこの日も以前、在学していた大学の剣道部に頼んで場所を貸してもらっていたのだった。
優子は木刀を真剣になぞらえて相手に対して気合を発していた。
相手は木刀を正眼に構えていて、優子には真剣が迫ってくるように見えている。
相手の真剣が目前に少しずつ近づいてくる。

身動きできず、じりじりと後ずさりするのだった。

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