1-134 本物の医者

「先生、病を治す方法についてアドバイスをいただきたいのですが」
「うむいちゃんは、病ではないと私は思う。
だからそれほど時間はかからずに普通になってくると思うね」
「それはありがとうございます。安心しました。
で一般的な病についてなのですが、最近の先生のご見解を願いたいのですが、、、」
「あなたには随分と病を治すことについては話をしてきたつもりですが、、、、」
「ありがとうございます。私は先生からいままで教えていただいたことをノートにまとめてきました。ですが先生には失礼になるかもしれないとは思いますが、
私はもっと根本的に病を治すことができないかと考えているのです」
「ほう、それはいいことだ。しかしそれはどの医者も知りたいところさ。
多くの医者は患者に対して横柄な縦度をとる人もいる。

検査と薬の知識を施しているのが実情なのだ。
そんなわけで対処治療法を患者に提供することになる。
まるでチャップリンの描いた映画にようにオートメーションの中に流れる患者の姿を浮かべてしまう。
しかし一方で自分の立場を考えて地域治療などに貢献している人や研究している人たちは少数ながら世界各地にいるからね、捨てたもんじゃない。
私もその一人になりたいと思ってやっているのだ。
私が注目したのは1994年頃から始まったという研究の結果が発表された。
それは医学者の福田稔さんと安保徹さんの福田安保理論というものだ。
世界に先駆けて日本で、この画期的な免疫学の新理論が出てきた。
私はこれを読んだときびっくりした。
病気になったり治るのかがわかる理論だからね。
「そんなに画期的なものですか?」
「書店で福田さんや安保さんの書いた免疫についての本は読んだことがないということだね?」
「はい」
「実は福田安保理論は医療に携わる者としては重大なことだった。
その理論は白血球と自律神経免疫の関係でね、ほとんどの病気に関係していることがわかったのだ。
要は自律神経のバランスは白血球と連動していて、それが乱れていれば免疫が低下して病気になり、整えれば免疫が高くなって病気を治すことができるという。
その病を左右する自律神経のバランスは白血球の数値バランスを示した新理論だった。
これは日本だけでなく世界の医学界とって重大なニュースだったね。
私から言わせればノーベル賞の一つや二つぐらいとれてもおかしくないほどのものだと思う。
ところがノーベル賞の声が聞こえなかった。
人のためにはなるが、お金にはなりにくい理論だったからね。
儲けにくいから医師会も会社も飛びつかない。
むしろ現在の医療関係者や製薬会社からは煙たがれる存在になる」
「そういえば免疫という言葉は聞いたことはあります」
確かにその後、日本の医学界もマスコミも比較的、静かだった。
日本自律神経病研究会はあるが、日本の医学会が力を入れている様子はない。
まるで無視しているかのように。
ローヤル・レイモンド・ライフ(Royal Raymond Rife 1888-1971)はたいへんな圧力を受け続けたが、現代でも福田さんや安保さんはいろいろな面で圧力を受けるか、無視されるかするだろう。

もっと危険なこともあり得ると思っている。
私たち市民の間では免疫という言葉は浸透してありきたりに使われている。
つまり人は免疫の重大さを心のどこかに認識している証拠なんだろう。
そこで、私の瞼に浮かんだのは優子さんのことさ」
「私ですか?」
「この新しい免疫学は病を解決する理論なのだが、それに不足することがあると私は考えたのさ」
「不足しているもの」
「それを探ってほしいのだ」
「探るって言われても、、、」
「君はここからは東京に戻るのでしょう?」
「はい」
「そうしたら福田稔医師を訪ねて行ってほしい。
たしか自律神経免疫治療の研修をしているからそれを見てきてほしいのだ」
「私がですか?」
「そうだ、君はうってつけだと私は考えている。
どういうことかというと私が教えた医学のことだけでなく、あなたは心と整体のことを研究しているからね。
それに禅や瞑想について一見識を持っていると私は判断しているのです。
そこがこの理論の不足分だと私は考えているのだ。
私も年をとっているが、まだまだその方面もあわせて研究をしたいのだ。
私はその分野にかけてはまったくの素人なのであなたが私の先生になってほしい。
私に教えてもらいたいのだ」
「弟子が先生にそんなことを言われるなんて思いもよりませんでした。
私には荷が大きすぎる課題ですが考えていたことがあるのです。
先ほどお話ししたように私の親友は病を治す方法として極小生命体の実践的な理論形成を試みていました。
しかしそれが事件に遭遇してしまって、その研究も頓挫したのです。
もともとその極小生命体のことは先生から私が教えていただいたもので、それを私の考えを加味して彼女に伝えていたのです。
ですので私としては彼女に対して責任を感じています。
それで私なりに病の根源を追求して、できるだけ誰もが自分で治す方法を開発したいと思ったのです。
失礼な言い方かもしれませんが、医者はあくまでもサブでしかありません。
本来の医者は聖職であり奉仕者の部分を持っていると考えています。
本物の医者があるとすれば、それは自分自身にあると私は思っています」
「ほう、おもしろい。わかった。一緒にやろう」
「お願いします」
「ところでこれから私と一緒に行ってもらいたいところがある」
「はい、どこへ?」
「、、携帯電話屋さんだ」
「はぁ、、、?」

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