1-124 香港とシンガポールでの起業

シンガポールでは、、、、


豪華客船ピュアプリンセス号での張、ジュリア ( ミセスジュリア )の死亡事故の検視が行われた。
それと客船での新型インフルエンザウイルスについても対応に追われていた。
シンガポールの港に帰航した客船の事でもあり、緊急で人員が派遣されたためか、比較的対応は早かった。
二度、陰性になったお客や船の関係者は次々と船から降りて解放されることになる。
李ガンスも検査されたが陰性だった。
張、ジュリアの死について関係者としての事情を尋ねられたが、結果的に被疑者ではないと判断され解放されたのだった。
ドクターアデナウアーも事情は尋ねられたが、特別なことはないと判断されたためにアメリカに帰国することになった。
その後、張ジュリアの遺体はシンガポール市内の病院で詳しく調べられることになった。
防護服を着た警察官は客船の船長および医療関係者などから事情を尋ねていく。
それによると新型インフルエンザに関してはどこが発生源かはまったく予想がつかなかった。
子供なのかそれともその子供を抱えていた母親なのか、それとも他からなのか、親子ともどちらとも検査してみると陽性だった。
すでに2人だけでなく、船内では数人の陽性者が見つかり、すぐに市内の病院に搬送されている。
各メディアでの取り上げ方が熱を帯びていく。
新型インフルエンザやウイルスの話だけでなく、飛ぶ鳥を落とすようないきおいのある女性起業家、張ジュリアのショッキングな死はシンガポール人の話題をさらっていた。
そうなると噂が噂を呼び、人々の間では憶測が独り歩きをする。
そしてその日、。。。。。
シンガポール警察車両はプライベートクルーザーがいくつも停泊している港の付近を走っていたのだ。
朝早くとはいえ日差しは強かった。
走り去る車両から見えるカフェ店では、朝のゆったりとした時間を過ごす老夫婦の姿も見え隠れしていた。
警察車両はセントーサ島セントーサコーブの高級住宅地のとある目的地へと向かっていた。


妻の張、ジュリアとその夫である王紅東は香港を拠点としただけでなく、シンガポールまで商売の域を広げていった。
香港では飲食業が主であったが、シンガポールではさまざまな業種を変えて起業している。
張、ジュリアは商売の才があった。
彼女が作る飲食店の店づくりには特徴があった。
女性で素人であり神経質であったがゆえに場所を選ばず、女性が安心して入れるような清潔な店づくりに専念していた。
店で出される料理の値段は決して安いのではない。
自分も食べられるような安心感のあるおいしい食べ物を提供するという至極、単純ではあるが見過ごされそうなところに着目していたのである。
彼女の神経質さが、そして素人さが、店づくりが一部メディアに取り上げられたことをきっかけにインターネットでおいしいと噂が広がっていったのである。
実は、その味の要素に和食の特徴が盛り込まれていた。
店づくりだけでなく、食べ物の味付けに秘密があったのである。
彼女は日本にもたびたび旅をしていた。
特に日本の食べ物や和食のとりこになった。
寿司や刺身やてんぷらの店は香港にはたくさんできている。
だが日本を旅していると香港にあるそれらの店はだいぶ日本の食べ物の趣も味も違う。
一方、香港にある本物の日本レストランはあるにはあるが非常に高い感じがしていた。
香港人には高い感じがせずに本格的な和食の味付けのレストランがあまりないというのが、彼女の着目した点であった。
その味付けや料理の値段の付け方や清潔感が人々から高評価され、店は各地域へとどんどん広がっていったのである。
そのサポートをしていたのか夫の王紅東だった。
香港での成功を受けた2人は香港だけでなくシンガポールまで進出していったのである。
シンガポールと香港の物価は相当の差があると感じられる。
シンガポールでは食べ物や店づくりについては香港と同様な趣旨で進出できたのだが、仕事をしているうちに様々な業種で新しい発見をしていったのである。
そのシンガポールで拠点として彼らが住んでいた地域こそが、セントーサ島セントーサコーブなのだった。
その車両の一つには陳警部も乗っていた。

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