1-65波打つ生命力


昨晩、娘の優子が孫のゆむいを「一晩、預かってね」連れてきた。
{ 見た目には普通に見えるんだけど、、、 }とゆむいの様子を見て君江は思う。
夕食を終え、ゆむいは窓際にある鉢植えの花々のそばで絵本を見ている。
{ やっぱり女の子だねぇ、 }ゆむいを横目で見ながら、君江は薬と水をお盆に載せて立った。
隣の部屋のドアを開けるとベッドの中で夫の義三が目をつぶって横になっている。
天井の明かりは消してある。枕辺のスタンドはつけたままだから、眠りに入ろうとはしていないのだろう。
「さあ、お薬よ。」と君江はやさしく声をかけた。君江はベッドテーブルを引き寄せて、そのお盆を載せる。ベッドの中の義三は薄目を開けながら、君江に反応する。「今日はどう、おいしくなかったの?」と君江は明るい声で話しかける。
義三は自分で創業した印刷会社を廃業してしまった。その後、読書や書道のほかにこれといった趣味がないので自宅からあまり外に出ない。義三はもともと口数の少ないほうであったが、年とともにさらに少なくなった。それでもわがままぶりは昔より強くなった気がする。夫が働いているうちは自宅に帰るのは毎日遅かったが、今は違う。働いていてくれているときには「亭主元気で留守がいい」とばかりにふざけているときもあったが、朝からあまり外に出ない夫を見ていると何かほかにも趣味を見つけてでかけてもいいのになぁと思う。
仕事を辞めてから少し、頭痛がよくあるようになってきたので近くの医者に診てもらった。
医者の言うには「いつもより血圧が高めになっているのでもう少し強めのお薬を出しておきましょう。様子を見てください」とのことだった。義三は心配性なのか医者の言うままにいつくかの薬を飲んでいる。
妻の君江も年を感じ始めている。お互いに年なのだろうと思う。昔からあった首や肩のこりがよりひどくなってきたようにも感じている。元気のいい若いときはあっという間に過ぎ去ってしまう。若い頃は親を見て年をとるってこんなものかなぁと思っていた自分が、あっという間にもうこんな年代になってしまっていることに驚く。年をとっていけばそれなりに精神的に成長をするものだろう思っていたのだが、若いころに比べてもあまり変化がないように思うのは不思議な気がする君江だった。
そんな君江に若い頃に口ずさんでいた歌がテレビから聞こえてくる。テレビでリバイバルされているうちはまだ自分たちのような視聴者が少なからず世間にいるということになるのだろうが、それも年々少なくなることだろう。しかし若くても老年でも年を重ねるのは変わらないのだから、これからも楽しみというものを少しでも見つけていかなくちゃあと思う。身体が動くうちは「旅行でもしたいわね」と義三に明るく話しかけることがある。今日もそんな話しかけをしてみたのだが、義三はそのことには返事はせず「光男は?、、」と25歳になる息子の名前を言う。
「相変わらず、なかなか自分の部屋から出ませんよ。パソコンでしょ、、、」
「、、どうしたもんかなぁ、、、、」と義三は呟いた。
「はい、どうぞ、はい、、、」君江は義三に水の入ったグラスを渡している。素直に薬を飲み終わった後、夫は「テレビを点けろ」とばかり目で合図をして{ さらにわがままになったのかなぁ、、} と君江は思う。そばのリモコンをとり、スイッチをオンにして夫に渡す。夫はリモコンを受け取り、テレビのほうに顔を向けようとしたとき、君江の後方に立っているゆむいに気づいた。「あら、ゆむいちゃん」君江はゆむいを見て声をかけた。
ゆむいは義三のほうをじっと見ている。「こっちおいで」と君江が促してもゆむいはじっと
見つめたままである。義三もじっとゆむいのことを見つめている。君江はゆむいを抱きかかえるようにして義三のそばに寄せた。
「ゆむいはいつ来たんだ?」と義三はゆむいに話しかける。そして腕を差し出しながら、ゆむいの腕に触れようとする。ゆむいは不思議と尻込みをしなかった。しかしいつもの無感動的な表情は変わらない。義三は左手でゆむいの左手をゆっくりとさすりはじめる。さすっている夫の義三の表情がみるみる明るく変わっていく。
そして上半身をさらに起こしながら、ゆむいの腕から頭に触れようとする。その刹那、ゆむいはさっと尻込みした。「おっ、」と義三は小さく呟く。
「大丈夫よ」君江は優しい声とともにゆむいを後ろから抱きしめる。
君江は小さな体の微妙な振動を感じている。
ゆむいの波打つ生命力をいつまでも感じていたいと思った。

お読みいただきありがとうございます。
にほんブログ村 ⇔ 人気ブログランキングへ

よかったらクリックお願いします。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です