1-38 母と息子たち

その頃、息子の純一が東京で事業を起こすとの意気込みを示したのである。
東京は大阪から新幹線で2時間ちょっとくらいではあるが、美佐子にすれば純一がもし、この大阪から離れて生活するというのだからすこしばかり滅入ってしまう。
「会社を興す以上、東京でなければだめなんだ。会社が軌道に乗ったら大阪でも営業所を設けて帰れるようにするよ」と言って純一は母の美佐子を説得した。
そういう息子の一大決心を聞くにつれ母の美佐子も折れるより他はないと思うのだが、、
美佐子の夫は子供たちが小さい頃、交通事故がもとで亡くなった。
その頃なにがしかの保険金がおりたものの、まだ幼かった二人の息子を女手ひとつで育てるのにそれなりの苦労を重ねてきた。
かわいい息子二人にひもじい思いをさせたくないという一心と夫を亡くした寂しさを癒すために懸命に息子二人を育ててきたところもあった。
美佐子は少しでもお金になりそうな仕事ならなんでもやった。
懸命に仕事をしていくうちにひところ落ち着く仕事を見つけた。
それは靴磨きの仕事だった。
当時、靴磨きの仕事はできそうでいて簡単にはできない仕事の一つだった。
それぞれの場所に縄張りがあり、新規参入というのはむずかしいのである。
だが美佐子にとって仕事をすることに必死だった。
その必死さでその縄張りという垣根を崩していく。
そしてその縄張りの中に入ってしまえばこちらのものであった。
美佐子の仕事に対する意気込みは違う。
大阪の生まれだからというのではなく、もって生まれた持ち前のバイタリティと真剣さで雨の日も風の日も仕事をこなしていくのだった。
休もうと思えばいつでも休める仕事だし、保証がなく身体が資本の仕事である。
{ 病気などしていられない } そんな気持ちで美佐子は休みもなしの状態だった。
この靴磨きの仕事は見た目だけ気にしなければいいし、稼ごうと思えばサラリーマンの二倍以上の手取りになる。
しだいに稼ぐためには何が必要かというのをわかるようになっていく。
美佐子は笑顔を向けて常連のお客をそらさない。
靴磨きに女性が少ない分、そんな美佐子の常連客が増えていった。
苦労はするもののそれなりに順調に稼げる仕事のことは息子たちに教えなかった。というよりなるべく仕事のことを知られないようにしているつもりだった。
度数のないメガネをつけ、手ぬぐいで髪をおおって目の前の靴を磨く姿にした。
そして上から見ているお客に冗談交じりの言葉をかけるときの美佐子の笑顔と対応はお客を再び訪れさせるに違いなかった。
美佐子は仕事を終えれば、近くのデパートのトイレに入って普段着に着替えて帰宅する。
稼ぐ土日も家にいなかったから、二人の息子はかぎっ子で育っていった。
美佐子の仕事は順調になっていき、お金も次第に貯まってくるようになった。
年にも似ず手は皺だらけで爪には黒い垢が溜まって、何度洗っても消えないけれど気持ちは充実していた。
仕事を終え、高いビィルディングの合間から夕焼け雲が見えるとき、衣服を着替え化粧を直した美佐子の唇がときに微笑んだ。
かぎっ子で育った純一と正也の二人の息子は美佐子の希望だった。
二人の息子は母の美佐子にねだれば好きなものは買ってもらったし、遊びに来る仲間にも奢ることさえできた。小遣いも多めに持たされた。
幼い二人は世間というか、まわりから冷たくされている感じを父親がいないからだと意識するには幼すぎてもいた。
長男の純一が中学に行くようになっていじめられるようになったのも自分のせいだと思っていた。純一は気弱さはあった。
忙しい母はいじめのことを知るよしもない。

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