1-22 渦巻く恋心

宇多田の胸中に渦巻くものがあった。
早苗の話によると優子はすでに結婚しているというのである。
早苗としては宇多田が優子にただならぬ想いをよせていたことを今日、知ったばかりだったが、そうであるなら宇多田に優子の状況を最初から言っておいたほうがいいと考えたのである。宇多田の目はうつろで長い時間、言葉が出なかった。早苗は一人で黙々と飲んだ。そんな二人だから、その様子をまわりのお客がちらりちらりと気にすることになる。早苗はいたたまれなくなって宇多田を促し店を出ることにした。レジでは早苗が支払おうとするのをさすがに宇多田が気づいてあわてて支払った。早苗としては、居酒屋を出た後で別れを告げるつもりだったが「もう少し話をさせてください」という宇多田の悲痛な言葉に「じゃあ、もう一軒だけね」とつい付き合うことにした。ただ早苗としては、これ以上の特別に話をすることはないのだけれど、7年以上もの間、一人の女性を思い続けていた宇多田の様子を見ているとなんとなくほっておけないような気がしたのである。二人はそれほど遠くないMホテルの最上階にあるBar「スカイラウンジM」に入ることにした。店内に入るとサラリーマンやOLたちの笑い声が聞こえ、その間を縫うようにモダンジャズの音色が流れている。おだやかに時が流れていた。
「少し食べたほうがいいわ」と早苗はつまみと赤ワインを、宇多田はウィスキーのダブルを注文した。宇多田は元気なさそうにしていたが、ウィスキーグラスがテーブルに届くとグラス半分ほど一気に飲み「フーッ」と息を吐いた。
「やっぱり縁というしかないわね」
「えぇ、、」
「あれから随分と経つものね」
7年以上も前、当時、大学の女学生だった早苗が、大学近くの喫茶店ウファでバイトしていた男性と長い年月を経て、こんな場所で一緒に酒を飲むとは思いもよらなかった。何もなければ二人ともすれ違った人生だったはずなのである。
「その間、私は何もしていなかった」と宇多田は力なく言った。
「、、、、」早苗は斜め向かいに座って右手に持ったワイングラスを持ちゆっくりとまわしている。
宇多田にとって久しぶりに会った優子と早苗が少しも所帯じみた感じがしなかった。その再開した日に優子に「尾崎さん」と声をかけたとき、「どうして私の名を」と彼女は返事をしてくれたではないか。しかし優子がいまだ独身というのは宇多田の勝手な思い込みだった。
宇多田はまたウィスキーのダブルをお代わりの注文をしたあと「今思うと、、、私は甘すぎたんですね」
「あんまり飲みすぎてはだめよ、、」と早苗は心配そうに宇多田の横顔を覗き込む。
「大丈夫です、、、」
「そうね、、思い込みだったのね」
「馬鹿だったんです。あぁ、、、なんて俺は」宇多田はグラスをじっと見つめている。
「あなたは馬鹿じゃないわよ、、、立派なものだと思うわ、、そんなふうにいつまでも一人の女性を想い続けている男性って、なかなかいないものよ、、、少なくとも私はそんな人とお付き合いしたことがないわ、、」そう言いながらら、ワイングラスをぐっと傾けた。甘く苦い、その香りの息吹が喉を通って暖かくした。
まばらだったこのスカイラウンジにもお客が増えてきた。ときに嬌声と騒がしさが出てきている。薄明るい照明の中にいる宇多田と早苗は普通の恋人同士のようにも見えるかもしれない。
「これから、どうしたら?、、、」
「私にはわからないわ、、、、」
「、、?、、、」
「、、だってそうでしょう?彼女、旦那さんも子供もいるのよ」
突き放すように言ってはみたものの心情は少しずつ変化している。早苗も恋の一つや二つは経験しているのだが、宇多田のような男性は初めてなのである。
「でも前に進むしかないじやない」
「えっ、、、?」
「いや、優子のことじゃないの。これからのあなたのこと」
「そんなこと考えられない」
「でしょうね。今日の今日ではね。冷たい言い方かもしれないけれど」
「、、、、」
でもいつかは、、そういうわけにはいかないと思うの」
「、、、、」
「それに思い通りにならないのはあなただけじゃあないのよ」
宇多田は、うつむき加減の顔を上げた。
「まあ、今日は飲みましょう」早苗は元気づけるように宇多田の肩に手をやりながら乾杯の仕草をした。

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