1-17 悲しみと慈しみの琴線


「ただ私は人々の中にいても人は孤独を感じているのじゃないかと思っているの。インターネットでコミュニケーション的なものが盛んなのは、便利だとか楽しむことがあるのだろうけれど、人は人とつながりをもとうとする気持ちが強いからだと思う。そのつながりを通じて自分のことをわかってほしいとか、生きる支えがほしい、支え合いたいという人間の底辺に流れている欲求があると感じるの。いつの時代もどこに生まれてきたとしても、、、」
「おいおい。戦争の話が、いつのまにか人間の心の問題になっちゃってないか。人はそれぞれに生きているんだし、そんなこと個人の感受性の問題だから、それは別個に考えておくほうがいいんじゃないか?」
「喧嘩したって命とりになることもあるし、通りすがりに気にさわったら、行きかう人も浮浪者でも殺してしまうこともあるのが現実さ」
「人は顔が違うように感受性も違う」
「ただ人間ってどういうものなのかなぁと、ふと思ったの。たまたま私たちはこの時代の日本に生まれてきて、過去の世界大戦の批評はできるのかもしれないけれど、もしその当時の日本に生きていたら、きっと戦争に巻き込まれていたか戦争に参加していたのだろうなぁと思う。それと同時に現在の世界の紛争地域や戦争をしている人たちのところに生まれたとしたら、私たちもその苦境に巻き込まれているはずなのにと考えてしまう」
「それを考えたらきりがない。被害妄想ぎみ。おまえ大げさしすぎなんじゃないか?」
「もしそういうことが気になるなら、ボランティアでもなんでも参加するしかないじゃん」
「俺は政治や生活環境を悪くした結果の自業自得というしかないと思うぜ。その国のことはその国で解決するしかないんだよ」
「そうだよな。だからそういうことが起きないように僕たちにとっては日本の政治が大事になるし、重要なのは教育になるだろうね。いつも平和な国になるように気をつけなければならないんだよ。ただ日本が第二次世界大戦で敗戦になったとたん新聞社は戦争批判を始めたらしい。学校では教育を正反対に切り替えた。恥ずかしげもなく。一方で敗戦当時の責任をとろうとして密かに腹を切って自決した者も何人かいると本で読んだことがある」
店内はだいぶ混みはじめ、方々で飲み物を注文したり、嬌声や笑い声が飛びかっている。
「だけど、、、、、もう今は21世紀になって様相が変わってきた」
「一日一日を必死でもがいている人たちがいる。世を儚んで自分を傷つけたり、世界の紛争地では自爆までする人もいるのが現実なのよね」
「それは自分自身で解決する問題だよ。紛争地のことはそれぞれの地域に違う問題を抱えているということなんだよ。国によっちゃあ、争いごとが殺し合いまで発展するんだよ。日本では犯罪なんだから、それこそ警察のフィールドの話さ」
「よく民族間紛争って言われるけど、些細なことからエスカレートしていって引くに引けなくなったんじゃないかと思うよ。殺し合いをするまでになるのはよほどのことだよ。あるとすればもともとから潜在的な問題が積み重なった結果、爆発したということなんだろう」
「私、、どこかしら人は[愛]を感じられなくなっていることが多いような気がしているの」
「愛?、、愛って言葉、みんな簡単に使っているけどなぁ、いまどき」
「人の心には、ときに深刻なことが起きることがあると思う、、、たとえばまわりに人がいても孤独を感じてしまう、、一人でも癒されないという不安、、自分ひとりで深刻になにかを抱えてしまっていて、いつまでも解消できずに誰も助けにならないと想いこんでしまう。鬱屈した気持ちとともに人間の生きている存在に嫌悪感さえ感じてしまうことがあるのじゃないかと思うの。だから、いつまでも自分の将来を明るい色で描くことができないでいるのじゃないかと。もしかすると紛争地域で自爆することだって、都会の片隅で自殺することだってどこかでつながっているような気がする。切ない鬱屈した気持をどうしようもなく、やりきれないと感じてしまう、人を信じたいけど信じられないもどかしさ、圧迫を受け続けて心と体の苦しみだけでなく魂までもが傷ついて、いつまでも癒すことができないでいるのかもしれない」
「おいおい、考え過ぎだぞ。おまえ飲みすぎたんじゃねぇのか?」
「そうだよ。それってまさにカウンセラーの世界にように聞こえるぜ」
「でも人は心のどこかで人を求めているはずなのに、、人を傷つけてしまうことって、、」
隣のテーブルで静かに聞いていた早苗の薄茶色に染めたセミロングの髪が微妙に揺れた。
その刹那、

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